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えひめ、昭和の記憶 ふるさとのくらしと産業Ⅷ -新居浜市-(平成27年度「ふるさと愛媛学」普及推進事業)

第1節 人々のくらしを支えた陸上交通運輸機関

 新居浜に別子鉱山鉄道が開通した明治20年代の陸上の運輸交通状況を見ると、人員輸送の手段としては、明治10年代から駕篭(かご)に代わって使用され始めた人力車が唯一のもので、荷物運搬には大八車や荷牛車が用いられていた。このころの新居浜は道路の整備がまだ不十分で、戸数、人口とも少なかった。このため、別子鉱山鉄道の開通後も別子銅山に関係がある人以外は鉄道に乗車する必要がなく、別子鉱山鉄道は鉱山専用鉄道として運行されていた。
 明治30年(1897年)ころ、大衆乗り物として6人乗り、低賃銭で区間制をとり、停車場を各所に設けて遠路乗り継ぎを行った乗合馬車が運行されたが、従来の交通事情を大きく変えるものではなかった。 
 こうした交通事情を大きく変化させた第一の要因は、大正10年(1921年)の国鉄新居浜駅の開業である。開業後、新居浜駅を中心とした6人乗りバスやハイヤー業の創業が相次ぎ、従来の乗合馬車や人力車をしのいで主要交通機関となっていった。当初の利用者及び運行回数はごくわずかであったが、新居浜の発展とともに複数の交通組合が生まれ、また、瀬戸内運輸も新居浜でのバス事業に乗り出すなど、路線が拡大されることとなった。
 第二の要因は、住友の発展に伴う人口増加である。大正2年(1913年)から昭和35年(1960年)までの新居浜の人口の推移を見ると、新居浜町及び金子(かねこ)村は、大正年間から昭和10年(1935年)にかけての人口増加が著しい(図表3-1-2参照)。これは、大正14年(1925年)の星越(ほしごえ)選鉱場の操業開始と星越駅及び選鉱場構内引込線の設置、鷲尾勘解治(わしおかげじ)の構想による地域繁栄を目指した地方後栄策に基づいた臨海工業地帯の造成(新居浜港の完成、海岸部の埋立て、新居浜港線敷設)と大都市計画(昭和通りの完成など道路交通網の整備)によるところが大きい。別子鉱山鉄道沿線からの工場通勤者が増えたため、この鉄道の利用を希望する声が次第に高まり、昭和4年(1929年)から地方鉄道として一般貨客の運送にも開放することとなった。こうして、人々は別子鉱山鉄道を通勤や通学のほか、買い物などの日常用務、登山や行楽にも利用するようになり、人口増加につれて利用者も増加していった。また、戦局拡大の影響を受け、昭和17年(1942年)に国鉄新居浜駅から星越駅を結ぶ国鉄新居浜駅連絡線が敷設され、多くの人々に利用された。
 戦後の交通事情を見ると、別子鉱山鉄道は、別子銅山の復興計画に伴って昭和25年(1950年)に電化され、「それまで4、5両を引くだけでも遅れていた列車が、18両を引いても平気で定時運転し、(中略)ダイヤの組み方一つで、大量の鉱石を輸送し得る体制が確立(①)」された。バス事業では、終戦後の劣悪な交通事情を解消するため、昭和23年(1948年)から新居浜市営バスの運行が開始された。瀬戸内運輸との運輸協定を結んでの営業であったが、バスの普及は通勤や通学のみならず、市内の交通体系がバス中心へと移行することにつながっていった。さらに、昭和26年(1951年)からは伊予鉄バスが、昭和35年(1960年)からは国鉄バスがそれぞれ運行を開始し、バス路線がさらに拡大していった。
 このような変化は別子鉱山鉄道にも影響を与え、昭和27年(1952年)には国鉄新居浜駅連絡線が客車運行を廃止して貨物専用線となり、昭和30年(1955年)には別子鉱山鉄道が再び鉱山専用鉄道に戻ることとなった。
 高度経済成長の時代を迎えると、交通事情はさらに変化していった。貿易自由化による製品価格の低迷や人件費の高騰などによって非鉄金属業界が不振に陥り、別子鉱山鉄道も機械化や省力化、輸送経路の変更などを余儀なくされ、国鉄新居浜駅連絡線は昭和42年(1967年)に廃止となった。別子鉱山鉄道は、昭和48年(1973年)3月の別子銅山閉山に伴い、昭和52年(1977年)に廃止された。バス事業は、マイカー時代の到来による公営交通事業経営の困難さにぶつかり、昭和40年(1965年)、新居浜市は市営バスの営業権を瀬戸内運輸に譲渡した。
 本節では、新居浜市営バス及び国鉄新居浜駅連絡線に焦点を当て、これらの交通機関と人々のくらしについて話を聞いた。

聞き取り調査協力者
 Aさん(昭和2年生まれ)、Bさん(昭和7年生まれ)、Cさん(昭和10年生まれ)、Dさん(昭和13年生まれ)、Eさん(昭和14年生まれ)、Fさん(昭和14年生まれ)、Gさん(昭和16年生まれ)、Hさん(昭和19年生まれ)、Iさん(昭和25年生まれ)

図表3-1-2 新居浜の人口の推移

図表3-1-2 新居浜の人口の推移

『新居浜市史 昭和37年版』から作成。昭和12年、新居浜町・金子村・高津村が合併し、新居浜市を設置。昭和28年に垣生村・神郷村・多喜浜村・大島村、昭和30年に船木村、泉川町、中萩町、大生院村、昭和34年に角野町が新居浜市に編入。