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愛媛の祭り(平成11年度)

(2)まちを木が走る

 愛媛県の面積の約70%は林野地であり、上浮穴郡(久万町・面河(おもご)村・美川(みかわ)村・柳谷(やなだに)村・小田(おだ)町)の林野地は、そのうちの約16%を占めている。久万町は、四国霊場44番札所菅生(すごう)山大宝(だいほう)寺の門前町、また土佐街道の宿場町として栄えた。江戸時代には松山藩領のうち久万山6,000石地といわれ、上浮穴郡の産業や経済の中心地であった。林業が現在のように盛んとなったのは、明治5年(1872年)に井部栄範がスギ・ヒノキの造林を積極的に導入することから始まった。その後、篤林家(熱心な林業家のこと)による造林の普及が進んだ。が、本格的な造林は太平洋戦争後の木材需要の急激な高まりに刺激されて、焼畑用地や採草地にも造林が広がっていった後からである。そう考えると、久万町は新興林業地ということができる。しかし、昭和30年(1955年)代後半という早い時期から、地域を挙げて良質材生産に取り組んだことから、全国的にも有名な林業地となったのである。だが、過疎化と高齢化の影響により、近年は林業就労者の数も減りつつある。そのようななかで、林業の後継者づくりや林業の振興を目指す幾つかの試みがなされ、その一環として林業をテーマにした久万林業まつりと久万山御用木まつりが行われている。

 ア 林業のまちの産業祭り

 **さん(上浮穴郡久万町直瀬 昭和3年生まれ 71歳)
 **さん(上浮穴郡久万町菅生 昭和23年生まれ 51歳)

 (ア)林業まつりの始まり

 県下の林業の盛んな地には、地域林業振興の中核的な担い手として組織的な実践活動をしている林業研究グループがある。久万町にも現在11の林業研究グループがある。それらの連絡協議会の代表である**さんは林業研究グループの活動から久万林業まつりの始まりについて次のように語った。
 「久万地方には、明治時代から代々の篤林家がいまして、効果的な枝打ちを通して、優良無節(むふし)(*11)材を育てていました。そこで、久万町はその優良無節材を久万地方の特産として普及しようと、昭和38年(1963年)から約5年間かけ、県久万出張所林業課の林業改良指導員と協力して『上浮穴地方育林技術体系』を全国に先がけて作成したのです。そして、その上浮穴地方育林技術体系を普及推進させるために、町内にある11の公民館を巡回し、理論と実技の講習を行いました。その後、この巡回講習がきっかけとなって、公民館ごとに林業研究グループが結成されたのです。さらに、これらのグループを支部として、昭和44年(1969年)3月には、会員150余名の久万町林業研究会グループ連絡協議会(このあと林研グループと呼ぶ)が発足したのです。
 会の発足当初は、林研グループでは上浮穴地方育林技術体系に沿った密植、枝打ち、除伐・間伐(*12)を中心に巡回指導し普及に努めました。また、林内作業車道の開設も積極的に取り入れており、林内作業の効率化を図ったり、優良木の育種・選定も行ってきました。
 昭和46年には、上浮穴地方育林技術体系の一般的な普及を目的に、それに沿った参考資料や機械機具の展示、製材品のコンクールをする久万林業まつりを、国道33号沿いにあった久万町観光センターで開催することになったのです。」
 その後、久万林業まつりは、林業関係者の交流の場としてだけでなく、町の産業文化祭も兼ねるようになり、一般の人たちとの林業を通した交流の機会となっていった。その様子を、久万林業まつりにかかわってきた**さんに聞いた。
 「久万林業まつりは、久万町の住民の方々の林業意識を高め、町内外に久万林業のことや、その林産品を知っていただくために、昭和46年から上浮穴林材業振興協議会が主催で上浮穴郡で始まりました。しかし、昭和57年(1982年)からは町村単位になって、久万町がその代表となって行うようになったのです。そして、上浮穴郡の他の町村では各地域の祭りに力を入れるようになり、林業まつりには育林コンクールや製材品のコンクールや小・中学生の木工作品の参加のみになってきたのです。」

 (イ)現在の林業まつり

 「(**さん)現在の祭りの運営は、久万町と町森林組合、町商工会、久万農業協同組合、林研グループを中心とした久万林業まつり実行委員会が行っています。
 今年(平成11年)の祭りのメイン会場『お祭り広場』は久万運動公園です。ここでは、林業総合資料展や久万高原市が催されています。久万高原市では、町内の農家でできる高原野菜やキノコなどの食材関係の販売やシクラメンの販売などもしており、多くの人でにぎわっています。林業総合資料展では、久万広域森林組合や林研グループが中心となった展示の検討委員会が毎年テーマを決めて展示をしています。今年は『さらなる飛躍をめざして』のテーマのもと、木質系の新素材の研究や木材の歩留まりがよくなるような研究成果が展示されました。また、治山事業での環境を考えた木材の利用についての研究などの成果、森林の伐採と植林の関係や久万林業の実情なども展示しています。林業相談コーナーを設けて林業に携わっている人たちの林業経営などの相談もしています。木材と触れ合うことの楽しさを小・中学生に浸透させようと、生徒を対象とした木工作品の展示も第1回から行っております。これには、毎年、上浮穴郡内の小・中学校からの作品を出してもらっています。そして、その中で優秀なものは全国大会に出品しています。時には、全国大会で入賞することもあります。
 また、一般の方の林業に対するイメージを知るために、アンケートも実施しています。平成9年のデータですが、林業まつりの参加者は、林業関係の方が3割から4割くらいで、残りは一般の方でした。
 『材木広場』では、久万広域森林組合菅生事業所で、久万材の展示即売や銘木販売を行いました。
 さらに、『テクノ広場』では、県林業試験場を会場として、農林参観デーという行事を同時開催してもらいました。そこでは、高性能林業機械の作業実習や枝打ちの実演や研究所での研究成果の説明などをしてもらいました。
 昨年(平成10年)までは、町内に会場を何か所か設けて、巡回バスを回していました。しかし、マイカーで来られる方が多くてバスの利用客が少ないので中止にして、今年から会場を三つにして集中するようにしたのです。
 開催日は、原則として10月の第3金曜日と翌土・日曜日の3日間の実施だったのですが、昨年から土曜日と日曜日の2日間の実施としました。毎年、約3万人の人たちに来てもらっています。」
 県林業試験場が久万町菅生に移転されたのは平成2年からである。当初は昭和27年(1952年)に林業指導所として松山市溝辺(みぞのべ)に設置され、その後、昭和35年に川内(かわうち)町則之内(すのうち)に移転し稼働していた。現在、林業試験場では、林業従事者の高度技術修得のための研修生の受け入れや一般の人を対象とした林業体験研修や各種の林業関連の試験などを行っており、その成果を農林参観デーに展示発表して久万林業まつりに協賛している。

 (ウ)久万林業の歩み

 林業総合資料展(写真3-2-17参照)でパネル展示していた内容を中心に、現在の久万林業についてまとめてみた。
 上浮穴郡は久万町を中心に各地の森林組合が存在し活動している。その組合員の多くは小規模な林業家であり、林業を営んでいくうえでの作業には人手や輸送手段などの集約化が必要となってくる。そこで、森林組合の広域化が進んできており、上浮穴郡においても昭和62年に「地域林業担い手育成確保対策事業協議会」が産声を上げた。その会を通して第3セクター方式の林業会社「いぶき」を久万町で平成2年に設立し、平成3年には「中予山岳流域林業活性化センター」が設立され、さらに広域化が進むこととなった。この「中予山岳流域林業活性化センター」は、上浮穴郡の5町村の林業関係者による運営で、三つの事業を推進してきた。一つ目は、低コスト林業の推進を目指し、共同施業場の締結を推進してきた。二つ目は、平成7年9月に第3セクター方式の林業会社「いぶき」の本社を久万町に置き、上浮穴地域一円に拡充・広域化を目指した。三つ目は、木材流通加工基地の整備を目的に、平成10年に各地の森林組合を合併して久万広域森林組合を設立させた。それ以外に、現在、中予山岳流域林業活性化センターで力を入れているのは、集成材(*13)の製造工場を加工団地に造ることである。

 イ 林業の町らしさを求めて

 **さん(上浮穴郡久万町菅生 昭和30年生まれ 44歳)

 (ア)御用木まつりの始まり

 久万町の林業も昭和40年代には林業従事者の減少がみられたが、林業での町おこしの気運が高まった。また、若者の間からも、何か久万らしいお祭りをしたいという話が出るようになり、久万山御用木まつりが誕生することとなった。その始まりまでのいきさつを、第1回御用木まつりから現在の祭りまでかかわっている**さんに聞いた。
 「久万町には、昭和初期まで、山の神祭りが毎年8月9日にありました。みんな山の仕事を休んで、お祭りをしていたようです。しかし、太平洋戦争後は、山仕事をする人も少なくなりその祭りもしなくなりました。そして、その代わりに久万の夏祭りとして久万町納涼祭りを行っていました。七夕のササ飾りや花火大会・ミュージックナイターを開催したり、阿波おどりを踊っていたのです。なぜ阿波おどりを踊っていたかといいますと、昭和50年(1975年)ころ徳島県で阿波おどりの連に参加している親戚を持つ方が町内に移ってこられ、その方を通して、阿波おどりの連に来て踊ってもらうようになったからです。そして、それを見て、町役場の人たちや町内で三味線を弾いていた人たちが一緒になって踊り始め、昭和57年(1982年)まで阿波おどりが続いていました。しかし、久万で阿波おどりというのも主体性がないということでやめたのです。
 昭和58年には久万町商工会青年部、農業後継者、久万町青年団が一緒に交流する機会を持とうということで久万町青年協議会ができました。そして、五神太鼓(ごじんだいこ)や劇団『くまっこ』というのをつくったのです。この協議会の中で、久万らしい祭りをつくろうという話になりました。そんな時、その当時の久万町誌に『山の神祭り』という記事が出ていました。慶長7年(1602年)松山城を加藤嘉明(1563~1631年)が築城した際に、松山藩の藩有林がこの久万町の畑野(はたの)川(現在ふるさと村のある所)にあり、そこから、天守閣などの建築のための材木がお清めされて、運ばれていたという事実が分かったのです。それで、その史実を参考にして、地元の大宝寺でお祓いをしていただいた丸太をかき、途中水を掛けてもらいながら、レースをする祭りをしたらどうかということになったのです。そこで、昭和59年から阿波おどりの代わりとして、久万山御用木まつりが始まったのです。昭和61年からは久万おどりができて、御用木まつりと花火大会を初日に、翌日久万おどりをすることにしました。しかし、踊りだけでは人が来ないので、現在は、久万町納涼祭りとして、初日の8月第1金曜日に花火大会と久万おどりを、翌土曜日に御用木まつりを行うようになりました。」

 (イ)新しい祭りをつくって
  
 御用木まつりの、御用木かき比べについて、**さんに聞いた。
 「現在、丸太は赤い鬼皮(おにがわ)(樹木の最も外側の樹皮)を残したものは男性がかき、鬼皮を除いた白木のものは女性がかきます。また、丸太の前の切り口には『御用木』という高札を打ちつけ、しめ縄や御幣を付けてお飾りをしています(写真3-2-18参照)。
 運営は、久万山御用木まつり実行委員会が行っています。総代表を元締(もとじめ)といい町長が務め、その下の実行委員長は代表世話役といい、実行委員会の代表が務めています。
 かき比べのチームは、御用木についている紅白のひもを引っ張り先導する「若衆」が1人、丸太をかく「荒(あら)し子」が10人、そしてそのチームの代表者である組頭で構成されます。
 切り出した木材の根本の方を元口(もとぐち)、先端の方を末口(すえぐち)といいますが、かく丸太はスギ丸太で末口の直系17cm以上のものを長さ6mにした通し柱材で重さ約200kgあります。かく時には元口を前にします。
 レースは、1チームずつ行います。号令によってスタートラインに置いてある御用木を、荒し子が一斉にかきだします。そして、ゴールに元口が入ってきた時までの時間を計り、その時間を競うのです。
 走るルートは、住吉(すみよし)の交差点がスタートで、商店街をまっすぐ走り、役場に行く道を右折して、役場の前にあるゴールまでです。直線距離にして700mくらいあります。一番の見せ場はカーブの所で、いかにスピードを落とさずに直角に曲がるかです。沿道の商店街には、所々に水を満たした桶(おけ)を置きます。その水をお清めといい荒し子たちに掛けるのです。沿道の商店街の人たちは、人が集まってくれるので、わりあいと協力的で、お清めの水が足りなくなると足してくれたりします。
 先頭を走る若衆は、小学生が務めるのですが、数が足りない場合は、大人がすることもあります。若衆は、荒し子が水を掛けられて前がよく見えない時の、進む方向を示す舵(かじ)の役割をします。
 距離もあり途中で水を掛けられるということもあり、ゴールでは、駆け込んできた人たちは、もうへとへとですから、ドーンと落とさないようにと、係のものが御用木を支えます。
 すべてのチームがかき終えた後、走り抜けた時間を比較して、一番早いものを一番柱とし、以下二番柱、三番柱という順位が付けられるのです。そして、それぞれ順位を呼ばれたら、丸太を役場の駐車場につくられた櫓(やぐら)の所に持っていき柱立(はしらだ)てをして(写真3-2-20参照)、元締から賞金をもらうのです。
 御用木は、最初は地元の優良な無節のヒノキの長さ6mに切った通し柱で、地元の篤林家に出してもらっていました。しかし、参加するチームの数が増えたため、現在は、久万町の林研グループにお願いして、スギの御用木を出していただくようにしています。」

 (ウ)目ききについて

 御用木まつりに優良無節材を提供し、祭りを技術面で支えている林研グループの**さんに目ききについて聞いた。
 「目ききというのは、木の枝打ちをした跡が修復されて柱材として製材されたときに、節がない木を見分けることなのです。枝打ちの跡にセミ留(と)まりというこぶができていれば節が出てこないのです。これは、木にセミが留まっているように皮が浮いているのでセミ留まりと呼ばれるのです。この無節材をつくるために、枝打ちは植林をして約5年後の樹高が3mくらいになったころから始め、それから後は六四(ろくよん)といいまして、幹径が6cmになれば4cmの所までの枝を枝打ちするのです。しかし、何年も放置していて一度に枝打ちをする『どかうち』をしますと、枝を落とした所の修復は、木の上部から始まるので下部の所の修復が十分でなくなり節ができるのです。また、優良無節材をつくるために林研グループでは、まっすぐに成長し幹の形が真円になった成育のよい優良木を求めて、それらの木から苗をつくって研究しています。久万町の場合には、植栽されている木材の割合が、スギとヒノキが7対3でスギが多いこと。また、祭りに合わせるために御用木の伐採時期が7月でムシがつきやすいので、ムシの害の少ないスギにしたということ。そして、町木がスギであるということ。以上のような理由で、御用木まつりに提供する木は、スギの2階柱(1階は3m)にしています。御用木に使う丸太は、上浮穴地方育林技術体系にそって管理した林齢約50年のものです。これらを毎年30本を確保するのは大変です。」

 (エ)祭りの移り変わり

 「(**さん)御用木かき比べは、最初は町内の若者が燃え上がって行ったのです。当時、かき比べには15組くらいのチームの参加がありました。出場チームは、全部町内のチームで、大字単位の組対抗でした。最近は、スタートからゴールまでの所要時間が早いチームで2分30秒くらいです。遅いチームでも4分くらいです。それで、ある程度足に自信がないと勝てなくなったのと、地元のかき手の高齢化もありだんだんと地元の参加が少なくなり、トライアスロンなどで鍛えた人たちの参加が増えてきています。昨年(平成10年)優勝した津島町の丸太同好会などのように遠くからも参加してもらっています。上位入賞するチームは、いろんな工夫をしています。例えば、お清めの水を真横から顔にまともに掛けられることがあり、その対策として、ゴーグルやヘルメットや鉢巻きなどを着けています。また、肩には丸太がバウンドして直接当たるのを防ぐために特別なパッドをしたり、足には水で滑らないよう、わらじを履いたりしています。」

 (オ)御神木をかく

 「(**さん)御用木まつりは、若者を中心としたかき比べだけでなく、地元の若者以外の人たちの参加も考え、平成6年から町内の42歳の厄年や満60歳の還暦を迎えた人がかく厄除け丸太や還暦御神木が始まったのです。厄除け丸太をかく行事は、前の年の人からの申し送りができていて、久万町から出ている人も帰ってきて、久万町に残っている同じ年の人たちと一緒にかきますので、一種の同窓会のようになってきました。昨年までは、久万町に4つの中学がありましたから、これを機会に同級生を知るきっかけにもなっているのです。また、還暦御神木をかく行事では、久万町で春先に毎年行われる還暦式でお願いして、その還暦を迎える人のうち、篤林家の人に御神木を提供してもらっています。
 昨年(平成10年)は、久万町の四つの中学校が統合された記念の年で、直瀬の五社神社にあった樹齢380年の木を切り、特別な台車に乗せて御神木として中学校の生徒や保護者が引きました。」

 (カ)これからの御用木まつり

 「(**さん)昨年は、大人かき比ベチーム20組、女性かき比ベチーム5組、オープン参加(小学生・中学生・幼稚園児など)16組、そして、還暦御神木、厄除け丸太が参加しました。このように、ある程度のチーム数が出るようになり、久万町の人にも御用木まつりの時期が来たと思っていただくようになり、御用木まつりも浸透し定着してきたのかなと思います。そこで、我々は次の新しいことを考えないといけないと思っています。つまり、久万町は林業の町として、『いぶき』が40人体制になり、久万中学が統合され木造校舎もでき、林業組合も統合されるなどいろいろなハード面が充実してきました。しかしこれからは、久万町に入って来られた芸術家や技術者の人たちとの連携を図るなど、ソフト面での充実が大切であると思っています。この祭りがその一つのきっかけになればと思っています。」


*11:木の節とは、樹幹のつけ根の所やつけ根の跡をいう。無節材とは、枝のつけ根の跡が残っていない木材をいう。
*12:除伐とは、林分の込みすぎを緩和し、形質の良い木の成育をよくするために、目的樹種以外のものを中心に伐採するこ
  とで、間伐は目的樹種を中心に余分な樹木を伐採することである。
*13:製材した板(ラミナー)を乾燥し、集成接着した材である。そのおもな特徴は、大きな節や割れのような木材の欠点を
  分散または取り除き、木材の不均一性からくる狂いや乾燥時の割れや反りが少ない点にある。

写真3-2-17 久万林業まつりの林業総合資料展

写真3-2-17 久万林業まつりの林業総合資料展

平成11年10月撮影

写真3-2-18 御用木

写真3-2-18 御用木

鬼皮をつけた丸太が男性用、白木丸太が女性用。平成11年8月撮影

写真3-2-20 役場前での柱立て

写真3-2-20 役場前での柱立て

平成11年8月撮影