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愛媛県史 地誌Ⅰ(総論)(昭和58年3月31日発行)

6 瀬戸内海の分化とリアス海岸の生いたち

 瀬戸内海の分化

 約一〇〇万年前の第四紀更新世前期末頃になると、日本列島の地殻を東の方向から圧縮する力が強くなり、北東から南西方向の軸を持つ断層や土地の隆起・沈降現象が目立つようになる。その結果、瀬戸内海周辺の地域では、このような方向をもつ土地の高まりを低く沈んだ部分とが交互に配列するようになる。瀬戸内海では土地の高まりが大きな島や多くの島々が集まる諸島の地域となり、土地が沈んだ部分がほとんど島のみられない灘の部分となる。また、四国や中国の陸地では、土地の高まりが半島や山地の高い部分になっている。
 現在の瀬戸内海を東から順に見ていくと、大阪湾(沈降部)、六甲山―淡路島(隆起部)、播磨灘(沈降部)、小豆島―備讃諸島(降起)、備後灘―燧灘(沈降部)、沼隈半島―芸予諸島(越智諸島)―高縄半島(隆起部)、広島湾―伊予灘(沈降部)、防予諸島―国東半島(隆起部)、周防灘(沈降部)といったように、土地の持ち上がった部分と沈んだ部分とが交互に配列していることがわかる(図2-10)。

 リアス海岸の形成

 更に、前の時代に一連の山地をつくっていた四国山地と九州山地・紀伊山地との間にも沈降現象がおこり、豊後水道や紀伊水道となった。両水道の形成に伴って、それより前の尾根の部分は半島や島となり、谷の部分は入江や湾になる。海岸線は出入りの多い複雑なものとなり、リアス式海岸が形成された。宇和海沿岸にみられるリアス海岸はこのようにしてつくられたものであり、その生いたちからも明らかなように、対岸の九州や紀伊半島の沿岸にもリアス式海岸が分布している。
 豊後水道と紀伊水道の形成は、瀬戸内海周辺でみたのと同じ波状構造に由来したもので、紀伊半島、室戸岬、足摺岬、九州山地という互いにおよそ一五〇㎞ずつ離れた高まりと、紀伊水道、土佐湾、豊後水道という低い部分が交互に配列している。この沈降運動の結果、周防灘、伊予灘、播磨灘、大阪湾の部分は太平洋とつながり、瀬戸内海地域全体に海水が浸入するようになる。


図2-10 瀬戸内海の形成と分化

図2-10 瀬戸内海の形成と分化