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愛媛県史 地誌Ⅰ(総論)(昭和58年3月31日発行)

4 都市の気候

 都市の気候

 都市に人口が集中し、比較的せまい地域に人間活動が集中的に行われると、地表の状態は大きく変化し、大気環境も特有の様相をもつようになる。各種の工場や発電所は大量の人工排熱、大気汚染物質を地表付近の大気中に排出するし、市街地・住宅地では高度の異なる建造物が無秩序にならび、都市域全体の地表面が建造物、コンクリート、アスファルトなどの不透水性物質によっておおわれる。このような都市域の改変は風の吹き方、熱収支、水収支の状態を変化させ、都市の内外で大きな相異が見られるようになると、都市気候の形成がはじまる。
 都市を上空から遠望すると、汚れた空気が都市上空を帽子のようにおおっているのが観察できる。これをイェロー(ブラウン) ハットとかダストドームとよび、周辺の大気と明らかに異なる都市気候の実態をみることができる。県内の都市の多くは瀬戸内気候地域にあり、風がよわく晴天が多いので、都市気候形成には都合がいい条件にある。表2―5に大工業都市内外の気候差の見積りを示した。県内にはこの表にあげたような都市気候を示す大工業都市はないが、この値の二分の一ないし三分の二程度の都市気候は存在すると考えられる。
 多くの人口が都市に集中し活動している現在では、人間の大気環境として都市気候は重要である。この項では都市気候の実態と形成要因についてのべてみよう。なお大気汚染に関しては後述する(第四節)。

 都市温度の経年変化

 松山は人口規模では四国最大の都市で、昭和五五年には四〇万人をこえ、大都市の景観が見られるようになった(図2―27)。都市は生産・商業・交通などの活動が活発になり大規模化すると、人工排熱、大気汚染物質の都市大気への放出が増加し、より大量のかわら、石材、コンクリート、アスファルトで地表面がおおわれ、緑地や裸地が減少する。さらに下水道・排水道が完備すると、都市表面は乾燥し蒸発散による熱エネルギー損出は減少する。また都市の構成物質は蓄熱量が大きく、夜間の長波長放射を増加させるし、小規模な建造物の乱立のため空気がよどみ、乱流・対流による顕熱交換を減少させる。こうした都市化による地表の改変は都市温度の上昇に寄与する。また都市温度の形成要因は時代が進むにつれ生活様式、生産活動の変化、都市化の進展により増強されるので、都市の気温・湿度・風などの経年変化をみることは重要である。
 松山地方気象台は明治二三年(一八九〇)に松山市持田に設置され、昭和五五年までの九〇年間について年平均、最高、最低の年平均経年変化をみたのが、図2―28である。この図は上段から日最高、平均、日最低の年平均値を年別にプロットし、五年ごとの移動平均、さらに最小自乗法によって得た回帰直線を重ねて示してある。日最高気温の傾向をみるとほんのわずか上昇しているだけであるが、日最低気温はかなりの上昇で、九〇年間に二度C以上も上昇していることがわかる。とくに第二次世界大戦中は気温は低下傾向で、戦後上昇傾向がいちじるしく都市化の後退・進展と最低気温の経年変化は軌を同一にしているように見える。なお九〇年間の上昇率を月別に算出すると、図2―29のようになり、月による変動が大きい。上昇率が大きいのは五月・一○月・四月・一一月で春と秋、小さいのは一二月・二月・六月の冬と梅雨期である。
 都市温度は風がよわく、晴天の夜間から早朝にかけ顕著になり、移動性高気圧の気圧配置の時である。移動性高気圧の出現頻度が高いのは一〇月(四五・二%)、四月(四四・一%)、五月(三七・二%)、一一月(三六・八%)で、まさに松山での都市温度の上昇率の高い月と一致する。一方、冬は北西季節風がつよく六月・九月は梅雨期・秋雨期で低気圧、前線型気圧配置が多く、これらの場合は都市温度は現れにくいことを示している。最低気温の上昇率の高い一〇月の月平均気温は一年に〇・二九三度Cずつ上昇し、気象台開設当時と比較し二・五度Cも高温になっている。この値は約半月分の気温差に相当し、松山市郊外と比較し半月も季節の進行がおくれていることを意味する。一方、日最高気温の上昇率は日最低気温の一〇分の一のオーダーで、日中の海風が上昇率を下げているものと考えられ、瀬戸内海気候の特徴の一つであろう。

 都市温度の分布

 以上のべたように、都市域では高温域が現れ年ごとに強められる状態をみてきた。都市化がなくなり、農地や自然の土地利用にかわるところが都市気候の外縁にあたる。都市の高温域は等温線で示すと、高温域がちょうど瀬戸内海に浮かぶ島のように閉曲線で表わされ、これを都市の熱の島(アーバン・ヒートアイランド)とよんでいる。松山での熱の島はどのようになっているであろうか。
 図2―30は昭和五五年一一月一四日、一八時四〇分の松山市街地周辺の気温分布である。この日は大陸からの移動性高気圧におおわれ、風がよわく快晴で典型的な秋晴れの日没後の気温分布である。この日の熱の島は石手川で分断され、左岸と右岸のヒートアイランドに分かれている。左岸の熱の島は周辺で等温線が混み合い、温度傾度が大きく、中央部では小さく熱の島の特徴をよく示している。主要市街地の広がる右岸では熱の島は複雑な形をとる。国鉄松山駅付近、城山南東部の商業街、道後温泉街などに熱の島が分散している。これはこの日の気圧配置が移動性高気圧の後面にあたり、よわい南よりの一般流があったため、熱の島が変形したのであろう。城山の西側には低温域があり、熱の島の分布を複雑にしている。城山はかなり広い範囲にわたり自然植生が保護され、さらにお堀の水体がこの低温域の形成に関与している。その他の日の調査でも風がよわく、晴天の夜間には四季を通じて熱の島は現れる。しかし一般風の影響をうけ熱の島の強さ、型態、大きさは微妙な変化をする。

表2-5 大工業都市内外の気候

表2-5 大工業都市内外の気候


図2-27 松山市街地と周辺の土地利用

図2-27 松山市街地と周辺の土地利用


図2-28 松山市の年平均気温の経年変化

図2-28 松山市の年平均気温の経年変化


図2-29 気温上昇率の月別変動(明治23~昭和54年)

図2-29 気温上昇率の月別変動(明治23~昭和54年)


図2-30 松山市の都市気温分布(昭和55年11月14日18時40分)

図2-30 松山市の都市気温分布(昭和55年11月14日18時40分)