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愛媛県史 地誌Ⅰ(総論)(昭和58年3月31日発行)

3 夏

 初夏

 五月二二日から六月一〇日までの二〇日間が初夏にあたる。この期間の気圧配置型の変化は晩春の時期に比較して停滞前線の頻度が増え、気圧の谷・移動性高気圧の三型がほぼ同じ頻度となっている。しかしこれは平均値で、春のように気圧の谷と移動性高気圧が交互に周期的に天気が変化するのではなく、移動性高気圧が続いて現れたり帯状高気圧が卓越するようになる。上空に雲がなければこの時期の太陽黄経は六〇度から七五度で、七月下旬から八月上旬の最も高温の時期と同一であり、日射は強い。日最高気温が二五度C以上になると夏らしい日というので夏日という。この気温に達すると人々は半袖シャツを着始め、ビールの消費量は急増するといわれている。松山での夏日は初夏六月初めに始まり一〇月初めまで約四ヵ月一二〇日続く。日平均気温は二〇度C前後で樹々は新緑から濃緑へ移りかわる。湿度が適当ならば、最も快適な気候であり、西ヨーロッパの夏の気温に相当する。初夏の始まりの小満は二四節気の一つで草木が茂って天地に満ちはじめる意で、まさにこの季節ぴったりである。なお六月六日にはじまる芒種というのは芒のある穀物を種まきする意で、田植えが行われその後に梅雨がくる。梅がみのり、麦が熟しこの時期をまた麦秋という。

 梅雨

 図2―40の梅雨における気圧配置型の出現頻度をみると、Ⅳ型つまり停滞前線型が最も多く、約六〇%を占める。この停滞前線は大気大循環でみれば、地球の中緯度をとりまき季節によって南北に移動し、寒帯気団と熱帯気団の間にできる寒帯前線が梅雨前線として日本付近に停滞する。梅雨は日本だけでなく中国では梅雨(Mai-yü)、韓国では長霖(Chang-ma)とよび、東アジア全域にわたる現象で、低緯度では入梅も出梅も早く、高緯度ではおくれる。松山における明治二三年から昭和三九年の六五年間の梅雨の調査によれば、入梅は第三三半旬(六/一〇から六/一四)、出梅は第三九半旬(七/一〇から七/一四)で梅雨期間は六半旬の三〇日となり、この間の降水量は二九三・八㎜、日照時間一一二・五時間である(山口・昭和四〇年)。梅雨は前項でものべたように地域性も大きく、南から北上してくる前線なので南四国で多べ、瀬戸内側では少ない。瀬戸内側では梅雨・秋雨は同程度で、しかも降水量は少ない。
 梅雨には年によるくせが大きく、入梅・出梅時期の変動も大きいが、一般には梅雨は前期と後期に分けられ、中頃には中休みがある。前期は北の冷湿な高気圧がつよく北太平洋高気圧がよわいので、気温は比較的低く雨はしとしと降り降雨時間の割に降水量は少ない。六月下旬になると一時的に北太平洋高気圧が強まり前線を押し上げ、暑くて好天の日が続いたり、反対に北の高気圧が前線を南下させ晴冷の天気になったりし梅雨の中休みがある。後期になると太平洋高気圧が強まり、前線が北に押し上げられ同時に太平洋側では地形性上昇が加わり大雨がぶりやすい。さらに梅雨末期の集中豪雨時には南アジアの上空から舌状に非常に多湿な空気の侵入があり、これを湿舌とよび時に記録的な集中豪雨をもたらす。
 梅雨は高温多湿な不快な天気をもたらすが、水資源供給にとっては重要である。とりわけ水田耕作地域や梅雨時の降水の少ない瀬戸内気候地域では、ため池や水利施設によって水資源の確保につとめている。瀬戸内海の島しょでは現在でも空梅雨の年には水不足に悩むことが多い。図2―43の日照時間、降水量の季節変化をみてみよう。永年の平均図なので梅雨の中休みは図にはないが、梅雨前期には日降水量六㎜前後、後期には一〇㎜にも達し、日照時間もよくこれに対応した変化をみせている。なお四国地方の平均の入梅は六月八日、出梅は七月一四日で季節区分の梅雨より入梅で三日、出梅で二日早くなっている。梅雨末期に梅雨前線が北上するとき、局地的上昇気流が生じ、よく界雷が発生する。雷鳴があると梅雨明けというのはこの現象をいったものであるが、統計では真夏になって日射が強くなると熱雷がよくあるので、必ずしもあてはまらない。   

 夏

 梅雨が七月中旬に明けると本格的な夏となる。夏は七月一七日から八月七日の二二日間で、松山では夏に入ると同時に真夏日になり、アブラゼミが鳴きだす。年により多少の変動はあるが、「梅雨明け一〇日」といい、梅雨明け後はよく晴れた風のよわい暑い日が続く。梅雨前線が北上した後、安定した夏型が続くからである。夏型気圧配置とは北太平洋高気圧が日本列島をおおい、寒帯前線が中国東北区から北海道北部または樺太(サハリン)にかけての地域にあり、南に高圧部、北に低圧部の南高北低の気圧配置となる。さらに細かくみると等圧線が西南日本から朝鮮半島・黄海にかけてゆるやかに高緯度側にふくらみ、北太平洋高気圧を鯨にたとえると、鯨の尾のように見えるので、「鯨の尾型」気圧配置とよんでいる。このような気圧配置は一度形成されると長い間継続する傾向があり、風がよわく炎熱の晴天が続き、平野部では水不足が生ずる。
 この梅雨期から夏への季節変化は、変化の多い日本の季節変化のなかでも最もはげしい現象といえよう。ごく短期間に日降水量八㎜から一〇㎜が二皿から四㎜になり、五時間から六時間の日照時間は八時間以上にもなることが図2―42から読みとれる。季節風気候で夏にこのような小乾燥季があるのは世界的にみてもきわめて特異な現象であることが指摘されている。
 日最高気温の平均値は三二・五度Cで七月下旬から八月上旬に現れる。図2―44に松山と宇和島の気象管署開設以来の高温極値とその起日を図示した。高温の極値の第一位は宇和島の四〇・二度C(昭和二年七月二二日)でこれは全国で第二位の有名な記録である。宇和島でのこの高温極値はフェーン現象にともなう高温である。第一位のものを除くと高温極値はほぼ三六度から三八度Cに集まり、時期的には七月二〇日すぎから八月二三日の処暑に大部分が生じ、とりわけ八月八日の立秋までに集中している。このような高温極値の生じた日の天気図をみると鯨の尾型が多く、しかもこれが連続して現れている傾向がある。

 晩夏

 立秋が八月八日で、この日から八月二〇日までの一三日間が晩夏である。日最高気温、日平均気温は夏と同様に高く、一年中最も高温であるが、日最低気温が立秋をすぎるころから下降しはじめる。また日照時間がこの時期に急減しはじめ、降水量もわずかに増加している。つまりこの頃になると気圧配置では夏型が最も多いが、台風や気圧の谷型が夏に比較してやや増加する。そのうえ光の季節ではもう秋で日中の時間が短くなり夜が長くなるから、夜間の放射冷却により日最低気温が低下しはじめるのである。しかし日最高気温の方は立秋の頃はまだ上昇傾向を保ち、下降に転ずるのは八月下旬である。
 八月八日の立秋以降の暑さを残暑というが、夏の暑さの坂を登りつめた後の暑さという意味で、気候的な意義をもっている。年によるくせもあるが、残暑もきびしく高温極値が晩夏に現れることもめずらしくない。

図2-43 夏の季節

図2-43 夏の季節


図2-44 松山・宇和島市の高温極値とその起日

図2-44 松山・宇和島市の高温極値とその起日