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愛媛県史 地誌Ⅰ(総論)(昭和58年3月31日発行)

5 冬

 初冬

 初冬は一一月二六日から一二月二五日の三〇日間である。図2―40からも明らかなように、冬型気圧配置は十月末から現れるが、初冬になってはじめて出現頻度が三〇%に達する。気温は晩秋からひき続き低下し、高冷地では冬を迎える準備をする。庭木や畑の野菜など霜によわいものは保護しなげればならない。こんなとき一日や二日季節はずれの暖かでおだやかな晴天の日に恵まれることがあり、これを小春日和とよぶ。日
中の時間はますます短くなり、夜が長くなると夜間の放射冷却が活発になる。その結果気温の逆転が形成され、スモッグが現われるようになる。一二月二二日は冬至で、最も日中の時間が短くなる。

 冬
                         
 冬は一二月二六日から一月三一日までの三七日間である。冬型気圧配置は五〇%以上に達し、二日に一日は寒冷な北西季節風に吹かれている。気温の低下は晩冬より小さい割合になり、とくに寒入り後はあまり変化がなくなる。寒の間の気温は松山では最も低く、日最低気温は一度C、日最高気温八度C、日平均気温は五度C程度である。しかし日本海側の冬と比較すると降水量は少なく、多照の気候で、瀬戸内海の冬は明るい。一月の松山の月平均降水量五一・六㎜、日照時間一三二・〇時間、松江では降水量一六六・四㎜、日照時間七九・九時間である(図2―46)。
 松山や宇和島でも強い寒波の場合には低温になる。松山・宇和島における日最低気温の極値を第一〇位まで起日とあわせて図2―47に示した。大正二年(一九一三)二月一二日の氷点下八・三度C(松山・第一位)を除けば、二地点の低温極値は氷点下五から七度Cとみてよい。氷点下五度C以下になると、水道管凍結、柑橘や野菜の農作物への被害が生ずる。最近では昭和五二年二月一八日・一九日の両日に現れ、宇和島で氷点下六・二度C(第一位)、氷点下五・七度C(第二位)であった。この時は全国的に大寒波で、各地で大雪、低温の記録更新があった。

 晩冬

 寒明け、立春(二月四日)を過ぎると、二月末日まで二〇日間は晩冬である。しかし冬の寒さは晩冬になっても続く。低温極値の記録をみても冬と同じ頻度で現れている。冬型気圧配置は冬よりは少ないが、いぜんとして多い。しかし移動性高気圧と気圧の谷のいわゆる春の気圧配置が六〇%をこえ、春のきざしも見えている。とりわけ日最高気温の推移をみてみると、立春をすぎた頃から上昇しはじめ、日射しが次第に強くなり風のよわい晴天の日にはかなり気温が上昇することを反映している。日最低気温と日平均気温が上昇するのは移流効果または総観的条件が必要で、中旬がその平均日の春一番やそれに続く二月二二日頃の瀬戸内海地方悪天の特異日である。この特異日以降では、日最低気温が上昇しはじめる。このように、特異日は一つの季節から別の季節にうつるいわば季節のふし目にあたり、季節区分の際の重要な指標になる。

図2-46 冬の季節(深石原図)

図2-46 冬の季節(深石原図)


図2-47 松山・宇和島市の低温極値とその起日

図2-47 松山・宇和島市の低温極値とその起日