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愛媛県史 地誌Ⅰ(総論)(昭和58年3月31日発行)

2 開発と生物相の変化

 干潟の衰退と海浜生物相の変化

 昭和三〇年代後半からの高度経済成長は、愛媛県にも波及し地域開発が進んだ。なかでも東予新産業都市建設は、燧灘沿岸の干潟を対象に工業用地造成が進み、広大な面積の埋め立てをみた。その結果、東予地域ではほぼ五〇%が人工海岸と化した。県内で昭和五五年において自然海岸の比率の最も高かったのは佐田岬半島の七八%で、ついで南予地域の五八%、新居浜市や伊予三島市・川之江市などの東予地域では一八%にまで減少している(図2―55)。自然海岸は、藻場として魚貝類の生息産卵の場であるとともに、稚魚をはじめ海産生物の生産の場ともなっている。東予地域におけるその衰退は埋め立ての進行に加えて、戦後三〇年間にわだっての川之江市や伊予三島市における製紙工場群からの廃液の流出、そのほかの工場排水などによる海水の汚染やヘドロの堆積の影響も無視しえないほど大きいものであった。昭和四一年以降、燧灘沿岸では毎年のように赤潮が発生し、その被害も大きかったが、工場排水の総量規制をはじめ、水質基準の目標達成への努力などによって、海水の汚染の進行は現在では減退してきている。しかし家庭からの生活排水、合成洗剤などによる海水の富栄養化もあって、なお予断を許されない状況にある。なおまた、昭和四九年からは、瀬戸内海における埋め立ても法的規制をうけることとなった。
 外洋に面する宇和海の場合も、最近に至ってブリ(ハマチ)の養殖が急激に増加し、昭和四四年ごろから、餌かすやブリのフン、生活排水などによる海水汚染と赤潮の被害に悩まされている。ハマチ一匹を生産するのにイワシなら五〇〇〇匹以上必要とされる。その餌には大衆魚のイワシをはじめ、小アジ・キビナゴ・オオナゴなど輸入されるエサも大量に浪費されている。養殖の過密化がすすみ、漁場は自家汚染や老化をきたし、魚病を防ぐためにも家畜同様に薬づけも進行しているともいわれる。最近は愛媛県でも養殖筏の登録による生産規制が考えられてはいるが、漁場全体の生産力を高めるには、海の生態系を管理する共同漁業体系の確立が早急に望まれる(図2―56)。
 海浜植物とは、塩分や日照に強く、砂浜に生えるハマゴウ・コウボウムギ・ハマエンドウなどの群落をはじめ、河口や入江付近の泥地に適応したハマサジ・フクド・ホソバノハマアカザの群落、あるいはアシ(ヨシ)の大群落地など、その代表的なもので、しかも貴重な自然である。これらも護岸工事や埋め立ての進むにつれ、県内ではほとんど海岸から姿を消してしまった。また、干潟を利用するシギ・チドリなどの旅鳥(写真2―54)・アジサシ・ユリカモメなどの渡り鳥も多いが、これらの国際鳥は埋め立てによって次第に減少している。松山平野を流れる重信川の河口や、東予の加茂川・関川などの河口は、鳥類の好む魚貝類、カニ・ゴカイなどの餌も多く、これらの水鳥にとってはなお格好の休息地を提供している。重信川下流域は銃猟禁止区とされ、最近では加茂川河口近くも鳥獣保護区がつくられるなど、その保護がはかられつつある。

 河川環境の変化と生物群集

 昭和二六年ごろからの強力な農薬パラチオン(ホリドール)や水銀農薬などの導入によって、イナゴをはじめゲンゴロウ・タガメ・ミナミヌマエビなどが絶滅し、さらにメダカやシジミ・ゲンジボタルなども姿を消し、カワセミやサギ類のような肉食性の鳥類も食物連鎖で著しい減少をみせたことは一般によく知られるところである。このほか、除草剤や家畜のし尿、家庭からの生活排水の増加による水生生物の変化も見逃せない。ところが反対に汚染に強いユスリカやイトミミズなどが増加し、工場や家庭、下水処理場などの排水路にも、主としてヨシマツユスリカが大発生して、周辺の人家の燈火に集まり、食品や干し物を汚し、不快昆虫として騒がれてもいる。
 国指定の天然記念物の一つであるオキチモヅクの場合、重信川上流で大量の砂利採取が行われたことから、川底の砂の目詰りが生じて地下水位が下がったのが原因で、水利権をもつ下流住民が発生水路を深くしコンクリート化し、さらに側壁を広げて川筋の日照を増大したことがオキチモヅクの発生を不能にしたのである(写真2―55)。
 生物が豊かに繁殖する泉や池、湿地などが、次々と埋め立てられ、また河川の改修が進行するに従って、環境の変化で在来の生物が失われていった事例は、島しょ部をはじめ松山市など都市周辺の市街化が進展している地域に目立って多くなってきた。松山市高井町では、市の天然記念物に指定されているスナヤツメや「テイレギ」という名でよく知られ、伊予節にも古くから歌われている食卓草のオオバノクネツケバナが、水路のコンクリート化によって消滅ないしは激減した。また松前町などでも、在来のタヌキモ・カワモヅク・マコモ・フトイなど、在来植物が絶滅し、帰化植物のホテイアオイ・オオフサモ、松山市付近で「ロスケテイレギ」と呼ばれ、ヨーロッパ原産で西洋料理のツマにされるクレッソソ(オランダガラシ)や、コカナダモなどが増加し続けている。
 河川のダム建設も、同様に下流を放水路としてしまうことから、コンクリート護岸が多くなり、美しいキシツツジなどが各地で絶滅したし、州やアシの緑も除去されたために、そこに生息する生物の減少が目立っている。ダムは死に水を貯えることから、その放水で海岸部に淡水を大量に送り込み塩分濃度を下げて魚貝類の環境にも大きな影響を与えている。

 森林地開発とマツクイムシ被害

 昭和四〇年から四七年にかけて、石鎚スカイラインの建設をはじめ、県内での大規模な林地や草地の開発が進んだ。瓶ケ森林道、鬼ケ城スーパー林道、農林省草地改良事業による四国カルスト、大川嶺の牧場造成をはじめ、民間によるゴルフ場の造成ブームなどがあった。石鎚スカイラインの建設には、開発と自然保護との対立があったが、しかし、今にして見ると、その建設は工法に問題はあったとしても、老若男女をその大自然のふところへ運び、石鎚山や瓶ヶ森の知られざる景観を満喫させる機会を与えることを可能にしたことも事実である。
 このほか四国カルストや大川嶺頂上の草原の植生が牧草化の対象とったが、草地増成には一定面積以上の広さがないと国営事業とはならなかったのである。貴重な植生の山地が牧場造成、道路整備をはじめ、スキー場開発などに供されて、過疎化する農村振興への重要な支えの一つにされた例といえよう。
 県木に指定されているマツのザイセンチュウ病の蔓延による松枯れは、森林の環境変化を広く見せつけるものとなった。その進行は九州方面から北進し、県内でも昭和四〇年代に入って顕著となり、現在県下六万五〇〇〇haの松林のうち、三〇%以上が被害を受けてしまった(図2―57)。この原因にはプロパン燃料の普及による燃料革命や、外材の輸入などによって、マツの利用価値が低落したことから、松林の手入れがゆき届かなくなったという社会的経済的要因が指摘されている。防除のために薬剤散布が行われてはいるか、その効果は必ずしも期待されるものではない。被害跡地ではマツが消滅し、その代わりに下層木の常緑樹林や常緑・落葉混交林が成長しつつある。佐田岬半島以南の地域では、マツ林は次の世代のシイやカシなどの昭葉樹林へと移り変わっているし、中予や東予の島しょ、海岸山地などで土壌条件の悪い花崗岩質のやせ地は崖くずれの心配もされているが、アカマツに天然更新しているところもある。
 土地の良い松枯れ跡地はヒノキやスギ、あるいはクヌギの人工林化か進んでいる。いまスギカミキリなどによるスギとヒノキ林の被害が、西日本各地で広がってきているが、ヒノキやスギを土地条件に合わさずに増大さしてゆけば、病虫害蔓延の危険率を高める恐れがある。経済林の拡大は、久万林業や小田林業・住友林業のように国内有数の林業地域の振興に寄与してきた。しかし山地の頂上にまで単一植生の人工林化を進めるのは、林地の生育環境そのものの維持にも障害がある。純林の病虫害への弱さはやがて山そのものの荒廃ともなりかねない。照葉樹林は現代ではもう鎮守の森を残してほとんど消滅してしまっているが、風土に最も適し、環境保全に役立ってきたものである。植林は適地にとどめ、その他では本来の雑木林を残したり照葉林やマツなどの自然復活をはかり、自然の生態系を維持するようバランスをはがらねばならない。

図2-56 愛媛県のハマチ収穫量と投餌量の伸び

図2-56 愛媛県のハマチ収穫量と投餌量の伸び


図2-57 愛媛県におけるマツクイムシ被害(材積)状況の推移(昭和22年~56年まで34年間)。

図2-57 愛媛県におけるマツクイムシ被害(材積)状況の推移(昭和22年~56年まで34年間)。