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愛媛県史 地誌Ⅰ(総論)(昭和58年3月31日発行)

二 農業の担い手

 農家戸数の減少

 明治以降、日本の社会経済上、最も変動の少ないのが農村と農業であったといわれてきた。昭和三〇年ごろまでは、愛媛県でも、農家数・耕地面積などにおいてはほとんど変動がなかった。しかし、昭和三五年以降の経済の高度成長期において、農工間の所得格差が拡大するにつれて、農村は土地と労働力を他産業に流出させていった。
 経済の高度成長期以降の愛媛県の農家数・農家人口・専兼別農家数の推移をみると、以下のごとくである。昭和三五年から五五年の二〇年間に農家数は一三・七万戸から、九・九万戸に減少をみたが、その間の減少率は二八%である。また農家人口は七四万人から四〇万人へと、二〇年間で実に四五%の減少で、この間に農家の実態も大きく変化した。農業のみで生計をたてる専業農家は三五年には三〇%を占めていたが、五五年では一九%に減少、反対に、農業収入より兼業収入の方が多い第二種兼業農家は、三五年には三四%であったものが、六〇%を占めるように激増した。農家とはいっても片手間で農業を営む農家が実に三分の二近くを占めるようになったのである。
 農家数・農家人口・専業農家の激減は、三五年以降の傾向であったが、五〇年以降はこれに変化がみられるようになってきた。五〇年以降は、農家数・農家人口の減少率が低下し、専業農家は増加に転じてきた。これは四八年の石油危機以降、日本の経済が安定成長に移行してきたことを反映するものであり、農業からの他産業への人口流出が減少してきたことを物語っている。

 農家戸数減少の地域差
   
農家戸数や農家人口の減少は、県内一円に平準化された状態で進行するのではなく、地域差をともなって進行してきた。三五年から五五年間に、農家戸数の減少率が最も高かったのは、東・中予の山間地域と南予の臨海地域であって、次いで新居浜・今治・松山などの市街地に隣接した地域である。東・中予の山間地域と南予の臨海地域は、ともに経済の高度成長期には人口流出の激しかった過疎地域で、農家のみならず、総世帯数も激減したところである(図4―1)。これらの地域は、耕地が山腹斜面に展開したり、段畑の形態をとり、農作業に不便をきたす地域でもあった。農家戸数の減少は残存農家の経営規模拡大にはつながらず、耕地の荒廃をともなって進行したのが特色である。一方、新居浜・今治・松山などの市街地周辺では、農地が市街地に転用されていくに伴って、脱農化の進行をみたところである。
 これに対して、農家戸数の減少率が低い地域は、周桑・今治・松山など、東予や中予の平野部、それに肱川流域を中心とした南予の農山村地域である。東・中予の平野部は平坦地に恵まれ、そのうえ、市場にも近く、農業の立地環境としてはすぐれている。肱川流域は平坦地に乏しい中低山地帯であるが、近隣に労働市場が少なく、農業に活路を見いだしていこうとする住民の多い地域である。

 兼業農家増加の地域差  

 専業農家の減少と兼業農家の増加も、また地域差を伴って進行してきた。昭和三五年現在の専兼別農家の分布状況を見ると、専業農家が多い地域は、周桑・今治・松山の諸平野、それに宇和・鬼北の南予の諸盆地などの稲作地域と、越智諸島・忽那諸島、吉田町・八幡浜市などの柑橘栽培地域である。第二種兼業農家が多いのは、川之江・伊予三島・新居浜・西条など東予の都市近郊村と、弓削・生名・伯方などの越智諸島の一部、さらに東予の山間地域から、中予の山間地域の一部にかけての地域である。その兼業の内容は、東予の都市近郊、越智諸島が事務職員、賃労働者など恒常的勤務に従事する者が多いのに対して、東・中予の山間地域では林業などの自営兼業と「人夫・日雇」などが多い。第一種兼業農家が多いのは、高縄山地周辺部の農山村、中予から南予にかけての農山村、南予の沿岸地域である。このうち農山村地域の兼業としては、製炭業などの自営兼業が多く、南予の沿岸地域では漁業との兼業が多い。
 このような兼業別農家の分布は、経済の高度成長期の間に大きく変貌した(図4―2)。その第一の特色は、県内全域に第二種兼業農家の割合がおしなべて高くなっていることである。第二種兼業農家率が五〇%以下の地域は、関前村・大三島などの越智諸島、中予の忽那諸島、南予の八幡浜市・吉田町などであって、いずれも県内の柑橘栽培の盛んな地区である。これに対して、かつて専業農家率の高かった東・中・南予の稲作地域では、第二種兼業農家率が六〇%から七〇%と高率を示す地域へと変貌した。
 第二の特色は兼業内容に地域差が少なくなってきたことである。兼業の内容を、農林業センサスの区分に従って、恒常的勤務、出かせぎ、日雇・臨時雇、自営兼業に四分すると、県内全域にわたって、恒常的勤務につく兼業がきわめて多くなっている。東予や中予の都市近郊農村は言うに及ばず、かつて製炭業などを兼業としていた高縄山地や南予の農山村地域も、今では定職をもつサラリーマン農家が最も多数を占める村々に変貌してしまった。また、かつて育林・伐採などの自営兼業の多かった東予や中予の山村も、林業の低迷から、日雇・臨時雇に従事する兼業が多くなっている。
 恒常的勤務に従事する兼業の多い中で、自営兼業の多い地域は南予の臨海地域である。この地区は、はまちや真珠などの養殖漁業が盛んであり、養殖漁業のかたわら農業に従事するものが多い。また、かつて育林・伐採などの自営兼業の多かった中予や東予の山村では、最近の木材価格の低迷から、林業を兼業とするものが減少し、日雇・臨時雇の兼業に従事するものが増加している。

 農業就業人口の老齢化・女性化

 農業に就業する人口の年齢構成も、経済の高度成長期の間に激変した。昭和三五年に六〇歳以上の老齢人口の占める比率は、男子二七%、女子一六%であったものが、五五年には男子四七%・女子三三%へと急上昇している。かつての農業の担い手であった青壮年男子は、恒常的勤務に従事し、官公署や会社などに勤めることのできない高年齢者が、農業労働の主力となってきつつある。また、農業就業人口の女性化は早くからすすみ、三五年にはすでに女性化率が五九%にも達していたが、五五年では六一%となった。農業就業人口の高年齢化は四八年の石油危機以後も相かわらず進行している。これからも日本社会の高年齢化と相まって、それは一段と進むものと考えられる。

 中核農家の分布

 農業就業人口の高年齢化と女性化が進むなかで、今日の愛媛の農業を支えているのは、中核農家である。中核農家とは、一六歳から五九歳の男子の農業就業者のうち、自営農業に一五〇日以上従事している農家であるが、この比率は昭和五五年現在、県内の農家数の二二%を占める。この中核農家は、耕地面積の四一%、農産物販売額の四四%を占め、文字どおり農業生産の中核である。その経営規模も大きく、一戸当たり一二九アールで、中核農家以外の農家に比べて平均二倍強に達している。
 中核農家が全農家に占める割合を地域的にみると、特に高いのは、吉田町・八幡浜市・中島町などの柑橘栽培地域で、それにつぐ宇和島市・明浜町・保内町・伊方町、さらに砥部町・菊間町なども、いずれも柑橘栽培の盛んなところである。また工芸作物(葉たばこ)の栽培の盛んな内子町や、酪農・養豚などの畜産業の盛んな野村町などでも中核農家の割合が高い。中核農家が多いのは、果樹や工芸作物の栽培、畜産など労働力や資本を多く必要とする経営地域だといえる(図4―3)。
 これに対して中核農家の割合が特に低いのは、新居浜・川之江などの都市近郊、東予の島しょ地域、東・中予の山間部、宇和島市以南の沿岸地域などである。新居浜市は住友系の重化学工業が立地し、川之江市は製紙の町で、ともに工業化によって農家の労働力が吸引されているところである。また東予が島しょ部も造船工業などが盛んで、同じように農家労働力が吸引されているといえる。東・中予の山間部は急峻な壮年期の地形が発達したところで、農業の立地環境に恵まれず、都市への通勤可能な地区では恒常的勤務の兼業となり、それができない地区では、日雇や臨時雇などの兼業が多い。宇和島市以南の宇和海沿岸地域は、段畑地帯であって、柑橘栽培にとって不利な自然条件であるために多くの耕地は放棄されて荒廃し、農業にみるべきものがないところである。

 農業の後継者

 昭和五五年現在、農業就業状況別農家数をみると「農業専従者なし」の農家が実に五七%にも達している(表4―2)。男子専従者(一五〇日以上自家農家に従事するもの)のいる農家は三二%にすぎない。このうち、三分の一は六〇歳以上の高年齢者の専従者である。一六歳以上の男子でその家のあとを継ぐ予定者である「あとつぎ専従者」のいる家は、わずかに三・五%にしか過ぎない。

 農業の担い手

 愛媛県の農業労働力は、昭和三五年に始まる経済の高度成長期に、県内はもちろん県外の他産業に多くが流出した。さらに、いまだ農家にとどまっている労働力もその大部分は農業を片手間に行う第二種兼業者である。まさに、三ちゃん―じいちゃん・ばあちゃん・かあちゃん―農業、日曜百姓といわれるゆえんである。これら農家の営む農業は生産性が低く、土地を資産として保持する性格がきわめて強い。一方、少数ではあるが中核農家といえる男子農業専従者をもつ農家もある。彼らは農機具をはじめ多くの資本を投下し、その営む農業は生産性も高く、経営規模の拡大につとめているが、土地の流動化が進まず、耕種農業においては、その規模拡大には限度がある。また農畜産物の価格の低迷する今日、その資本投下が農業経営を圧迫している面もある。これらの農家でも後継者の不足は深刻であり、その補充が最大の課題となっている。

図4-1 愛媛県の農家戸数の減少率の分布(昭和35~55年)

図4-1 愛媛県の農家戸数の減少率の分布(昭和35~55年)


図4-2 愛媛県の第2種兼業農家率の分布(昭和55年)

図4-2 愛媛県の第2種兼業農家率の分布(昭和55年)


図4-3 愛媛県の中核農家の比率の分布(昭和55年)

図4-3 愛媛県の中核農家の比率の分布(昭和55年)


表4-2 愛媛県の農業就業状況別農家数の変化

表4-2 愛媛県の農業就業状況別農家数の変化