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愛媛県史 地誌Ⅰ(総論)(昭和58年3月31日発行)

2 東予島しょ部

 栽培の特色

 瀬戸内海に浮かぶ大小の島々からなるこの地域は、樹園地率が八〇%から九〇%にも達し、農地利用からすれば全島柑橘一色と言える(図4-13)。昭和五五年の柑橘栽培面積と生産量はともに県内の一二%を占め、東予地域では最も栽培の盛んな地域である。柑橘栽培は明治年間にはじまるが、関前村や大三島には広島県大長から渡り作(出作り)が見られ、弓削島や生名島にも因島からの渡り作があるように、多分に広島県からの刺激を受けて柑橘の栽培が盛んになった。栽培品種は、普通温州(四八%)と早生温州(二一%)が主体であるが、はっさく(一三%)・ネーブル(五%)などの晩柑類も多いのが他地区とは異なる特色である。
 栽培農家は、全農家数の九〇%を超え、農業収入をみかんに依存する農家は多いが、その経営規模は極めて零細である。みかん作経営が三〇アール未満の農家は五〇%にも達し、男子の基幹労働力は他産業に従事し、みかん作は主として老人や婦人によっている。とくにこのような傾向は日立造船が立地している広島県因島市に近い生名村・弓削町・岩城村などに著しい。これらの町村では、四七年のみかんの暴落以降、粗放経営に走り、園地を荒廃させている農家も多い。品種更新はみかんの暴落以降普通温州みかんから、はっさく・ネーブル・いよかんなどの晩柑類に転換しているが、他地区に比べるとその更新面積は少なく、将来のみかん作への意欲にはやや欠ける地域である。柑橘園は花崗岩の風化した緩傾斜地に開けている。温暖寡雨な気候は、優れた品質のみかん生産に適するが、花崗岩土壌の特性として保水性に乏しく、旱ばつの被害を受ける。大三島町浦戸に昭和三〇年県内で最初のスプリンクラー灌水が始まったのは、このような気候風土を反映したものであった。

 出荷の特色

 みかんの出荷先は早生温州・普通温州ともに五〇%が京浜市場であるが、戦前に機帆船で出荷されていた阪神市場への出荷は、現在五%程度にしか過ぎない。出荷の大部分は越智郡園芸農業協同組合によっているが、大三島町や上浦町のように約五〇%が仲買い商人によっている地区もある。県内では、商人への出荷割合が最も高い地区である。商人へみかんを出荷するものは、大規模農家と零細農家が多い。大規模農家は労力の不足から、零細農家は老人や婦女子がみかん栽培の担い手であり、これまた労力不足から共同出荷で要求される自家選果が困難なことが、商人にみかんを出荷する大きな理由である。商人は自ら選果場を持ち、これら農家のみかんを選果し、独自の販路でもって出荷する。共同出荷が徹底してないのは、利にさといこの地方の農民の気質を反映したものとも言われている。       

 関前村のみかん

 越智諸島のみかんは年内に出荷されるものが多いが、関前村のように貯蔵みかんの多い地区もある。関前村は東予地域ではみかん栽培の先進地であって、石灰岩の風化した肥沃な土壌とすぐれた栽培技術によって品質の優れたみかん産地として有名である。品種構成は早生温州四一%、普通温州五五%で、晩柑類への品種更新はほとんど見られず、将来とも品質の優れた温州みかん産地として生きようとしている。この島は経営規模が零細なことから、農道建設への土地提供者がなく、園地からの輸送はケーブルとモノラックに頼るのみであった。ケーブルの基点と自宅には土蔵造りのみかん倉庫があり、みかんはここで貯蔵され、一月から四月の間に出荷された(表4-7)。貯蔵みかんは年内出荷のみかんに比べて一・五倍から二倍の価格で売れたので、各戸とも貯蔵方法には技術を競った。土蔵作りの倉庫内には竹すだれの棚が十数段もあり、巻上げ機を備えつけている倉庫もある。昭和五〇年代になって、全国的に晩柑類の生産が伸びたので、貯蔵みかんの値上がりがなく、生産の転機に立っている。

図4-13 愛媛県の果樹園率の分布(昭和55年)

図4-13 愛媛県の果樹園率の分布(昭和55年)


表4-7 関前村の普通温州みかんの月別出荷比率と単価

表4-7 関前村の普通温州みかんの月別出荷比率と単価