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愛媛県史 地誌Ⅰ(総論)(昭和58年3月31日発行)

2 林野所有の展開

 林野所有区分

 林野の所有は国に属する国有林とそれ以外の民有林に区分される。民有林は都道府県有林・市町村有林・財産区有林などの公有林と、個人・会社の所有する私有林に区分される。
 現在の林野所有形態は、明治五年(一八七二)の地租改正、同六年の官民有区分によってその原型が形成された。藩政時代の林野所有は、藩によって林野の呼称や管理用益が複雑多岐に分かれていたが、それは大別すると、藩有林、農用入会林、私有林に区分できた。農用入会林は農民が集団的・総有的に占有利用してきた林野であり、村民が入会採草地・焼畑・薪炭材採取などに利用した。私有林は特定の個人の利用する林野であったが、面積的には広くなかった。明治六年(一八七三)の官民有区分では、藩有林は官有林に、農用入会林は公有林となったものが多い。公有林は官にも民にも属さないものとして、村落共同体が管理、従来の慣行に従って村民が利用してきた。

 部落有林野の整理

 公有林は明治二三年(一八九〇)町村制が実施されたときに、新たに町村有林とたったものもあるが、合併前の旧村が部落有林として管理していたものが多い。部落有林は、入会採草地として、また薪炭材の採取地として、住民にとっては極めて重要なものであったが、部落意識を温存するものとして、国の政策によって明治四三年(一九一〇)以降整理統一の対象となった。
 愛媛県の明治三八年(一九〇五)の林野所有形態は、国有林四万二〇〇〇ha(一五・七%)、公有林五万〇三七五ha(一九・〇%)、社寺有林一〇一五ha(〇・四%)、私有林十七万二六七六ha(六四・九%)に区分される。公有林は市町村有、その他の団体有となっているが、社寺有林と共に実質的には部落有林であった。県内の部落有林は明治四三年(一九一〇)には四万六四六八haあったが、昭和一四年までの間にその八二%にあたる三万七八二八haが整理された(表4-13)。
部落有林野は整理統一されるに際し、市町村有林になったもの、個人に分割されたものが多いが、現在も財産区有林、一部事務組合有林として、旧来の所有形態を温存しているものが約一万五八四一haある。
 明治末年の部落有林野の分布状態を郡別に見ると、周桑・新居・温泉・東宇和・北宇和などに多く、喜多・西宇和・伊予・上浮穴などに少ない。部落有林は当時肥草用の採草地として利用されたので、水田の多い地域に広く分布している。

表4-13 愛媛県の明治44年の林野所有形態と部落有林野の整理

表4-13 愛媛県の明治44年の林野所有形態と部落有林野の整理