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愛媛県史 地誌Ⅰ(総論)(昭和58年3月31日発行)

2 重化学工業化

 戦後の工業化

 第二次大戦後の日本の工業は、平和産業として出発した。旧財閥の解体をはじめ農地改革による農業生産の安定など、経済社会の大きな変化のなかで工業の復興が進んだ。それは、戦前の工業化が繊維工業の近代化と国策による軍需工業としての色あいの濃かった重化学工業の発達によって進められてきたこととは大きく異なるものであった。
 第一は、技術革新の著しい展開である。それは、アメリカや西ヨーロッパの先進的工業技術の導入を積極的に進めたことによって、高能率で大規模生産を推進した。第二は、石油化学工業の新しい発展であった。エネルギー源としての石油が、化学工業の素材生産の原料となったことで、新しい化合成繊維をはじめプラスチックス、薬品、染料、肥料などの生産分野にも登場した。
 第三は、重化学工業の本格的発展をとげたことである。昭和三〇年代に入って、鉄鋼・電力・化学・石炭・石油など素材やエネルギー生産部門が、傾斜生産方式など国の徹底した保護政策のもとで発達し、新鋭の重化学工業がつくり出された。この素材やエネルギー生産部門の発展は工業生産のなかで機械工業・化学工業など加工部門の急速な発達と、さらに、家庭電器や自動車、化学繊維・プラスチック製品などの消費財部門の発達をも促したことである。つまり、工場生産のなかの内部循環の形成であり、設備投資の拡大、大量生産と大量消費という発展のしかたがつくりあげられた。
 第四は、重化学工業化を主とした本格的な工業化の発展は、国内市場中心の生産から輸出市場依存へと展開されたことであり、また工業への投資も民間から国や地方自治体による公共投資を主とした方向に転じたのである。原油・鉄鋼など多くの原料の輸入への依存の高さと、鉄鋼・機械・電気機器などの輸出の拡大は、日本経済の加工貿易型を本格的なものとし、国民生活の日常が海外市場の変動と密接なかかわりをもつに至った。地方でも、重化学工業の発展が地域の振興につながることで、新しい工業政策が打ちだされ、工業地域が形成された。
 第五は、このような工業化は、社会をも変化させたことである。工業従業者は、全国で三〇年の五五〇万人が五〇年には約一三〇〇万人に達したが、この増加は、主として農林漁業や商業などの自営業から出た各種の労働力によったもので、この結果、農山漁村をはじめ地方中小都市の人口が減少した。工業化の進展は、工業都市をはじめ大都市への著しい人口集中と、いっぽうでは地方との間に所得水準の格差を拡大させた。また、工場からの排水や排気による大気・海水などの汚染・汚濁という公害問題が大きな社会問題となり、環境改善への努力が強く求められるようになった。
 このような戦後の工業化は、経済の高度成長期をつくりだす原動力となった。昭和三〇年代から約一五年間の工業の発達は著しかったが、四〇年代の終わりからの石油危機・ドル危機・ベトナム戦争の終結などによる世界的な不況の深刻化によって、日本経済も安定成長に入った。重化学工業よりも電子工業(エレクトロニクス)、自動車、テレビなどの先端産業や機械工業が輸出を支えるようになり、また、地域の工業開発でも計画的な政策がとられ、重化学工業による原料・素材生産から転じて、より付加価値が高い工業の立地に目が向けられるようになった。地域の産業としての地場産業についても、技術の改善、雇用と市場の拡大が振興の目標となり、工業生産の地域との密着が求められるようになった。

 重化学工業の主導

 愛媛県の工業生産は、全国的な重化学工業化の波のなかで、ほぼ同じ傾向をとって発展した。すなわち、製品出荷額等の業種別の移り変わりをみると、その総額(実質)は昭和二五年の四三八億円が経済の高度成長期に入った三五年に一九五九億円、四五年には八四四七億円と一〇年間に四・三倍となった。四八年からの安定成長期に入って、生産の伸びが鈍化をみたものの五〇年には一兆七〇〇〇億円を超え、五五年には二兆七三二一億円に達した。この増加を全国のそれに比べてみると、三五年から五五年の二〇年間に、愛媛県の製品出荷額は全国の二・九%から一・五%に低下した。これは、本州の京浜・京阪神・中京・北九州などの工業地帯が復興して生産をあげてきたために、相対的に割合が下がったのである。同じ期間に全国のそれは年平均一八%もの増加率を示したが、県内の増加率は一四%であった。
 工業の業種を、化学(化学工業、石油製品・石炭製品)、金属(鉄鋼業、非鉄金属製造、金属製品)、機械(一般機械、電気機械、輸送機械、精密機械、武器製造)の三部門による重化学工業と、食料品、繊維(繊維、衣服、その他繊維製品)、窯業(窯業・土石製品)、その他(木材、家具、パルプ・紙加工、出版・印刷、ゴム製品、なめし皮・毛皮製品、その他の製造業)からなる軽工業の二つに大別して、県内の工業生産に占めるそれぞれの地位をみると、重化学工業が圧倒的に生産を主導してきた。
 すなわち、戦後の製品出荷額の変化は、重化学工業のそれとほとんど同じ傾向を示している。しかも、総額に占める重化学工業の割合は、二五年の四九%からしだいに増加して、三五年に七一%と最高の値に達し、その後は六〇%台にあり、五五年は六二%であった(図5-16)。
 県内の重化学工業では、化学工業がつねに首位にあって、製品出荷額総額のほぼ五分の一、重化学工業のほぼ四分の一を占めている。四〇年に総額の三分の一近くを占めたことは、県内の工業の重化学への傾斜を、まず化学工業が進めたことを示す。しかし、四五年以降には、非鉄金属、石油、電気機械、輸送機械などの生産が本格的になって、重化学工業の多様化が進行した。とくに五〇年以降は、不況の深刻化によって非鉄金属や石油、一般機械、輸送機械などの生産に変動が多かった。
 また、重化学工業を化学、石油、非鉄金属、鉄鋼などの素材生産系と、金属、機械、電気機械輸送機械などの加工生産系とに分けてみると、いぜんとして素材生産系が重化学工業のなかで三分の二を占めていることは、県内の工業化が本格的に進んだとはいえ、生産の内部循環がじゅうぶんでないことを物語っている。しかし、加工生産系がしだいに増加して、多様な業種の生産が伸びてきたことは注目してよい。

 軽工業の変化

 県内の軽工業は、製品出荷額のほぼ三分の一を占めている。これまでの生産の変化をみると、四〇年代の前半には総額の三八%前後を占め、石油危機に見舞われた四八年には消費財の価格が高騰したこともあって、総額の四〇%近くまで占めたほどであった。軽工業生産の主な業種は、パルプ・紙を首位に、食品、繊維、木材・同加工、窯業・土石、衣服・繊維製品の六つである。繊維工業は戦前からの工業化を先導してきた近代工業部門の一つであったが、四〇年代に入るとパルプ・紙工業の発達によって首位の座を奪われてしまった。食品工業や木材、窯業・土石などは地場産業の主要な業種であって、戦後の生産の伸びは著しい。とくに窯業は菊間瓦、砥部焼などによるもので、住宅需要や生活におけるゆとりなどから生産が伸びた。これに対して、衣服・繊維製品は、縫製加工業が主として輸出向けの生産によって成長し、しかも県内各地の農漁村にも加工場が設けられたほどである(図5-17)。
 重化学工業と同じく、軽工業のなかを食品、繊維、木材、パルプ・紙、窯業などの素材生産系と、衣服、家具、出版・印刷などの加工生産系に二大別してみると、軽工業の製品出荷額のなかで前者は八〇%以上を占めている。これは、素材生産系業種が原料産地への立地によったものが多く、パルプ・紙工業は地場産業として有名な製紙と紙加工業の多い伊予三島・川之江地区に集中したことによっている。また、加工系生産のなかには出版・印刷工業など都市型産業とよばれるものがあるが、県内ではこの種の工業の発達はじゅうぶんではない。

 全国的地位

 愛媛県は、四国全体の製品出荷額の四四%を占める工業県であるが、全国のそれについてみると僅かに一・二%を占めるにすぎない。これは、四国の工業発達のおくれを示すものであるが、業種別にみると、一・二%の平均値を超えるものがある。非鉄金属が最も高くて三・二%を占め、ついでパルプ・紙二・九%、化学工業二・七%、石油製品二・一%、繊維工業一・八%、衣服・その他の繊維製品が一・六%などの順である(昭和五四年)。
 県内の工業生産が全国的にみて、どのような特色をもっているかをみる方法に、業種別の特化係数がある。これは、それぞれの業種の全国平均水準値であって、県内工業の専門化の程度をみるのに用いられる。特化係数が最も高いのはパルプ・紙工業で四・二五を示し、ついで非鉄金属、化学工業、石油製品、繊維工業、衣服・その他の繊維製品、木材・木製品などの順である。これに対して著しく低い係数の業種は、鉄鋼業をはじめ機械系、金属、食品、出版・印刷などである。
 県内の工業生産は、全国的にみても重化学工業に傾斜してきたとはいうものの、なお素材系生産に特化していて加工系生産のそれはまだ低い水準にある(表5-9)。

 規模別の生産

 日本の工業の特色の一つは、多くの中小規模の企業が存在して、大企業の関連または下請生産、あるいは消費財生産で特色ある技術を基礎に活動していることである。大企業は主として重化学工業に、中小企業は軽工業に多いが、この二重構造は互いに強い関連をもっている。
 県内の工業も従業者の規模別にみると、九人以下の零細な事業所が、事業所全体の七〇%近くを占めているものの従業者数で一六%、製品出荷額では僅かに四%強を占めるにすぎない。これに対して一〇〇人以上の中・大企業は、事業所数でわずか二%強、従業者数で三八%を占めるのにすぎないが、製品出荷額では六六%近くに達している(表-10)。
 業種別に、従業者が二九人以下の零細・小規模事業所と三〇人以上とによって、事業所数、製品出荷額などについての割合をみると、軽工業部門では、零細・小規模事業所が事業所全体に占める割合がパルプ・紙工業を除いて圧倒的に多く、従業者数でもほぼ同じであるが、製品出荷額等では、三〇人以上の事業所の割合が家具・装備品、木材・木製品、窯業・土石などを除いて六〇%以上と高くなっている。重化学工業部門では、三〇人以上の事業所が、事業所数で軽工業に比べて割合が高く、しかも製品出荷額では、いずれの業種も圧倒的に高い割合を示している。
 繊維工業では少数の紡績業が生産の多くを占め、パルプ・紙工業でも少数のパルプ工業と中規模の製紙業が生産の多くを担っていることを反映している。これに対して木材工業や家具工業は小企業が多く、窯業・土石も同じである。また、重化学工業部門では、化学工業や石油工業で少数の大企業が生産の大部分を占め、加工系の機械工業そのほかでは、小企業とともに中大企業が併存するという特色を示している(表5-11)。
 さらに、製品出荷額から原材料使用額と機械設備などの減価償却分を差し引いた付加価値額(生産において新たにつけ加えられたもの)から、業種別の構成などをみてみよう。
 県内の工業が生みだした付加価値額は、製品出荷額総額の二五%である。これは全国のその割合が三五%であるのに対して低い。つまり県内の工業は加工度が低い素材系生産部門が多く、加工系であっても軽工業では労働集約的な生産によるものが多いことを反映している。業種別の構成では、機械工業が二一%を占めて最も多く、化学工業、非鉄金属、パルプ・紙工業の順で、これら四業種が全体の五七%を占めている。また、事業所当たりや従業者一人当たりでも重化学工業部門がはるかに多い。これは、素材系生産ではあるが資本集約的で、規模の大きい事業所があることによっている。

図5-16 愛媛県における重化学工業生産の推移(昭和25~55年)

図5-16 愛媛県における重化学工業生産の推移(昭和25~55年)


図5-17 愛媛県における軽工業生産の推移(昭和25年~55年)

図5-17 愛媛県における軽工業生産の推移(昭和25年~55年)


表5-9 愛媛県の工業特化係数(昭和54年)

表5-9 愛媛県の工業特化係数(昭和54年)


表5-10 愛媛県の従業者規模別製品出荷額(昭和55年)

表5-10 愛媛県の従業者規模別製品出荷額(昭和55年)


表5-11 愛媛県の工業の従業者規模別構成(昭和55年)

表5-11 愛媛県の工業の従業者規模別構成(昭和55年)