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愛媛県史 地誌Ⅰ(総論)(昭和58年3月31日発行)

1 東予工業地域

 工業地域の設定

 工業地域は、どの程度の工業生産が行われているかについて相対的な比較をして区分することで設定される。ここでは、県内の市町村について、それぞれの製造業による生産額を基礎に、従業者一人当たりや一事業所当たりの生産が、県内平均に対して、どの程度の水準にあるかを見て、これらの水準値を組み合にわせて工業生産水準と名づけ、ランクづけを行った。
 この二つの水準値のうち前者は、労働生産性水準とよばれるもので、製造業の粗付加価値額を従業者数で除した一人当たりのその額の県平均に対する水準値である。もうひとつは、事業所生産性水準とよぶもので、事業所当たりの製品出荷額の県平均に対する水準値である(いずれも昭和五三年)。この二つの水準値を組み合わせて、市町村ごとに高位から下位まで七つのランクを設けることは、その市町村に立地した事業所とそれが雇っている従業者の、生産規模と労働集約の程度を示すものと考える。
 このようにして市町村をランクづけしてみると、県内には比較的まとまった市町村のグループがあることがわかった。これを工業地域としてみると、東予、松山、南予低位、中予・南予下位、島しょ低位の五つの地域となる(図5-21)。

 県内最高位の工業地域

 東予工業地域は、県内東部にあって瀬戸内海沿岸の六市四町からなる。新居浜、大西、伊予三島、小松、西条などの市町は高位生産地区で、これらに隣接した川之江、東予、波方、今治、土居の市町は中位と低位生産地区である。このうち新居浜市は、事業所生産水準が県内最高の三六五を示し、これにつぐのは大西町で三〇七となり県内で三位、また労働生産水準でも大西町が一八七で県内一位、ついで新居浜市が一六八と県内二位である。
 この地域は、製造業の事業所が県内の四一%、従業者が同じく四七%を占めているが、製品出荷額では五七%となり、県内で最大の工業地域である(五五年)。しかも工業生産が先に述べたように高水準であることは、新居浜市の住友系コンビナートの大規模な重化学工業の集積をはじめ、関連した鉄工業があることや、大西町の来島どっくそのほか今治地区の造船工業、伊予三島、川之江両市のパルプ工業、西条市の電気機械工業などの立地が大きくあずかっている。因みに、従業者一〇〇人以上の事業所では、この地域が県内の四六%、その従業者数では同じく四四%、製品出荷額では六〇%以上を占め、規模の大きな工場が集まっていることを示している(五五年)。しかし、川之江市や今治市が中位・低位生産となっているのは、製紙業やタオル、縫製業などに小企業が多く労働集約的生産が主となっているためで、なかでも今治市は、繊維工業立地型数が四・二七と県内平均をはるかに上廻って最高となっている。

 東予新産業都市

 東予工業地域は、昭和三七年の新産業都市建設促進法によって同三九年に指定をうけた東予新産業都市にふくまれる。それは、工業地域の一〇市町に、新宮、別子山、丹原、朝倉、玉川、菊間の町村を合わせて一六市町村である。新産都は全国に一三を数え、東予新産都は、四国東部の徳島新産都に相対して西部地方の開発拠点として指定されたものである。当時の経済高度成長期にあって、大都市への人口と産業の過度の集中を防ぎ、地域格差の是正と雇用の安定をはかる目的で設けられ、現在に至るまで三次にわたる五か年計画によって開発の諸施策が続けられている。施策は、産業の立地条件を整備するための工場適地の開発と造成をはじめ、道路、港湾などの建設、工業用水確保や都市施設の整備などが重点とされ、さらに公害防止とともに環境整備も進められてきた。
 この地域は、すでにふれたように新居浜、今治、伊予三島、川之江の諸都市には近代工業が立地し、県内でも工業化が進んでいたが、それらは単一業種による発展で、新産都の指定によって、いっそう工業の多様化、高度化をはかることにあった。このために、燧灘沿岸の臨海工業団地の造成や内陸の県内有数の平野部での工場団地の確保、加茂川をはじめとする工業用水の確保など、地理的環境が適しているところでもある。加えて、港の整備によって、他の瀬戸内海沿岸の工業地域との輸送を便利にすることによって、互いに関連の深い工業地域へと発展さすことに期待がよせられた。
 これまでの開発で、臨海部には西条市の東部臨海一号(一三三・二ha)をはじめ川之江市の大江、伊予三島市の寒川、新居浜市の磯浦、東予市の壬生川などの工業団地が造成され、西条市では加茂川の日量二二・九万m3の工業用水道と黒瀬ダムの完成、さらに銅山川新宮ダム、蒼社川総合開発の玉川ダムなども完成、壬生川から西条に至る東予港が重要港湾の指定をうけて整備が進み、西条市から東予市の臨海部には国道一一バイパスが開通した。この間に、新たに立地した工場には、西条市へ松下寿電子、四国積水、プリマハム、新居浜市の住友化学磯浦工場、東予市へ住友重機東予工場と住友東予アルミニウム、小松町の四国コカ・コーラなど、合計一〇一を数える。このほか西条市には中小の鉄工業を集めた団地、新居浜市の旧多喜浜塩田跡の東部工業団地などがある。食品工業が西条市や小松町に立地したのは、国道一一号沿線で地理的に北四国の中央に位置することと、豊富な地下水の利用があったことによる。
 東予新産都の実績は、工業の製品出荷額で五六年に一・八兆円を超え、とくに化学、繊維、パルプ、紙加工、造船などのほかに、電気機械、食品、一般機械など新しく成長をとげた業種を加え、その多様化が進んだ。さらに西条市には三菱電機のIC工場の進出も決定をみて、高度の工業化が進みつつある。いっぽう新居浜市は四七年の工業再配置法では、工業の過度の集中地域として立地を促進することから除外されるとともに、その後のアルミニウム生産の不況などから、市勢の発展に大きな影響をうけることとなった。また、東予新産都の人口は、五五年に五〇・四万人を数え、第一次五か年計画の基準である三五年の四八・五万人に比べて僅かながら増加に転じている。

図5-21 愛媛県の工業地域

図5-21 愛媛県の工業地域