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愛媛県史 地誌Ⅰ(総論)(昭和58年3月31日発行)

1 航空交通

 航路開設と松山空港

 愛媛県で定期航空が登場したのは、昭和四年の日本航空輸送研究所の水上機による梅津寺と大阪間である。しかし、本格的な定期航路の開設は戦後で、まず三一年に全日空による松山―大阪間の定期航路が開設された。これ以後は定期航路はあいついで開かれて、三六年に松山―熊本便、松山―広島便、三七年に松山―高松―東京直行便、四一年に松山―福岡便が就航し、現在では松山から東京・名古屋・大阪・福岡・鹿児島・宮崎・岡山への定期航路が運行されている。
 松山空港の歴史は昭和一六年にさかのぼる。旧海軍の飛行場として建設され、終戦後は連合軍の管理するところとなったが、二七年に接収が解除されたのを機会に民間空港として整備されることとなり、滑走路・誘道路・保安施設が整備されて三四年に完成した。四一年には全日空YS―一一型機の墜落という痛ましい事故が発生したが、これを機に滑走路が二〇〇〇mに延長された。さらに四二年から四六年にかけて整備が行われ、中・四国地方で唯一のジェット機が就航する空港となった(写真6―8)。現在松山空港は国の第四次空港整備五ヵ年計画に組み入れられ、滑走路を二五〇〇mに延長し大型機を就航さす計画が立てられている。

 急増する利用客

 ″安くて、近くて、早い”とは、鉄道交通と比べて航空交通の特色を表わした言葉である。安いとは航空運賃の方が安いという意味である。ちなみに、松山―東京間、松山―大阪間の航空運賃はそれぞれ二万三二〇〇円、一万二三〇〇円であるのに対し、水中翼船と新幹線のグリーン車を利用した場合では、それぞれ二万七二〇〇円、一万六六〇〇円(昭和五七年九月現在)となって前者がはるかに安い。近いとは、飛行機がほぼ直線コースを運行できるのに対し、鉄道は地形の関係で曲線コースとなるという意味で、事実松山―大阪間では飛行機の方が四三㎞短い。早いとは、時間距離が飛行機の方が短いということで、松山―東京、松山―大阪間が飛行機でそれぞれ八〇分、五〇分であるのに対し、水中翼船と新幹線利用の場合には、四一〇分、二一八分と大幅な差異がある。
 このような特性をもつ飛行機は、国民所得の向上、旅行慣習の広域化、高速化・快適化を求める国民の要求と、さらに国鉄運賃の数次にわたる値上げによる運賃格差の縮小ないし逆転とによって、近年その利用者が急増してきた。昭和三五年に松山空港における年間乗降客数はわずか二万五〇〇〇人程度であったものが、五五年には約一五九万人と実に六五倍もの増加となっている。とくに松山―東京便のそれが著しく、五五年の乗降客数は四五年の約二五倍となっている(図6―14)。
 このような利用者の急増に対して、現在は供給が間に合わない状態である。たとえば、航空路線の利用率八〇%以上の状態とは、急に飛行機を利用したくても希望する便にほとんど乗れない状態であるが、東京・大阪便はこの率を上回っている(表6―11)。このような状態を打開するには、便数を増すか機種の大型化が必要であるが、前者は羽田・伊丹両空港の容量の関係で不可能なので、現在の計画では昭和五八年六月からの中型機ボーイング七六七型機(二三六人乗)の就航や、滑走路が二五〇〇mに延長された際の大型機の就航が予定されている。

図6-14 松山空港における航空旅客数(昭和35―55年)

図6-14 松山空港における航空旅客数(昭和35―55年)


表6-11 松山空港における路線別利用の現況

表6-11 松山空港における路線別利用の現況