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愛媛県史 地誌Ⅰ(総論)(昭和58年3月31日発行)

2 今治地域

 今治商業の発達

 「商業は交通の要地に発展する」とは一般的にいわれることであるが、今治市はまさにこの典型的な例である。城下町の起源をもつ同市は、明治以後に、阪神・中国・九州航路や越智郡島しょ部への離島航路の船舶が数多く寄港し、西四国における海の玄関口となった。
 同市の商業の発達は、交通条件の他に、伊予ネルやタオル生産などの綿業の発達と、「伊予商人」とよばれる人びとの活躍によるところも大きい。綿業の発達は、商業取引をも拡大させたが、これによる雇用力の増大は結果的に消費需要の拡大をもたらして商業を発展させた。また、伊予商人の活躍は、藩政時代の「けんど船」行商や椀船行商に見ることができる。今治市郊外の桜井に起こったこの行商は、おもに漆器などを中国・九州方面へ販売したが、これは後に割賦販売業へと発展した。同市には月賦百貨店はないが、このような伊予商人を生んだ風土は商業を発展させた要因の一つとなっていて、今治市は「伊予の大阪」ともよばれている。     

 繊維の町今治
        
 今治市の商業の特色は、卸売業にも小売業にも見ることができる。卸売業の最大の特色は、「繊維のまち今治」とよばれるとおり、繊維産業に関連した卸売業が集積していることである。繊維品卸売業の年間販売額は約三〇〇億円であるが、これは県全体の八八%にあたり、同市の卸売販売額の一七・三%を占める。また、大手九商社からなる「糸友会」が結成されていて、これらの商社がタオル企業におもに原料糸を卸している。繊維品卸売業のシェアが高いのはこれによったもので、基幹産業の一つであるタオル産業の製品の卸しのためではない。
 タオルは、統計上は衣服・身の回り品にふくまれるが、今治市のこの卸売販売額は約一〇〇億円で松山市についで二位である。全国一のタオル産地にしてはこの販売額はかなり低いが、実は販売額の中味は縫製品がほとんどであってタオルは少ない。タオルは消費地問屋や大口需要家と取引され、地元の産地問屋との取引は少ない。タオルの大生産地であるのに、産地問屋の形成が未熟なところに今治市卸売業の課題がある。      

 大型店過密都市

 今治市の小売業の特色は、商店密度が高いことと、中四国地方でも有数の大型店過密都市となっていることである。同市の一k㎡当たりの商店数は三九・六店、人口一人当たりの売場面積は一・〇五㎡で松山市を上回る過密状態である。今治市における大型店の集中立地は昭和四〇年代後半に始まった。地元資本の大型店が、関西の百貨店と業務提携して、今治高島屋と今治大丸が開店し、さらに大型スーパーのフジ、今治ショッパーズプラザ、今治ショッピングデパートなどの進出をみた(写真6―19)。この結果、大型店五店の売場面積は三万六〇〇〇㎡を超え、第一種大型店の売場面積一㎡当たりの人口は三・四人で松山市の四・三人より過密となり、県内はもちろん中四国地方でも有数の大型店過密都市となった。また、売場面積五〇〇㎡以上の第二種大型店を加えた場合にも、今治市は二・六人で松山市の二・九人より過密である。
 今治市が大型店の集中立地をみたのは、同市が本四連絡橋今尾ルートの架橋地点となることや、綿業や造船業の発達によって市民所得が他の都市に比較して高いことなどによる。