データベース『えひめの記憶』

えひめの記憶 キーワード検索

愛媛県史 地誌Ⅰ(総論)(昭和58年3月31日発行)

三 東予・今治地域

 水軍ルート

 愛媛県と広島県が企画した水軍のロマンと史跡を訪ねる「水軍観光コース」がある。瀬戸内海では、かつて海賊衆がそれぞれの島々に拠って水軍を編成し、独自の行動で活躍した。なかでも来島における久留島氏の来島城跡、宮窪に近い小島、能島における能島城跡、因島の村上氏の青影城跡などがよく知られている。水軍とつながりのある地域として、宮島・広島・竹原・向島・福山・因島・生口島・大崎上島・大三島・伯方島・岩城島・生名島・弓削島・魚島・大島・来島・中島・日振島などがある。
 なかでも大三島には日本総鎮守大山祇神社があり、日本民族の総氏神として一般の信仰が厚い。日本最古の原始林社叢のクスノキ群(国指定天然記念物)におおわれた境内は六〇ha、社殿は三四棟あり、本殿・拝殿は南北朝時代の建立で、重要文化財に指定されている。全国の武将から奉納された甲冑類は日本一と称せられている。旧暦五月五日と九月九日に神社境内の斉場で行われる「一人相撲」は、神を慰め、稲の豊作を祈るものとして、力士が目に見えない神の祭霊と相撲をとることで知られている。なお、五四年には本州四国連絡架橋の今治-尾道ルートの最初の架橋として東洋一のアーチ橋の大三島橋が完成し、新しい観光資源となった。このほか上浦町には日本の書道のメッカとなる村上三島記念館が五七年に完成した。

 島四国

 四国本土各札所の地理・地形・距離などをとり入れて、大島に島四国がある。これは島内四か寺八〇有余のお堂をめぐるもので、全行程四四km、二泊三日の巡拝コースとなっており、信仰と行楽にふさわしい(図8-8)。文化四年 (一八〇七)に医師毛利玄得・庄屋池田重太・修験者金剛院玄空などが自力で開創したものである。旧暦三月二〇日と二一日のお大師縁日の前後には、全島の民家がお接待・善根宿を行う習慣が残っている。これも、島民一万三〇〇〇人のほとんどが真言宗徒ということもあって、お大師様への強い信仰心のあらわれである。現在では全国でこの島にだけ残っている風習であるといわれる。故池田勇人元首相が奇病にかかったとき、回復を祈願してこの島四国を巡礼したことは有名である。

 来島海峡と今治城

 来島海峡は四国本土と大島の間にあって流速一五から一八・五㎞に達し、鳴門海峡と並べられるほど、その景観はみごとである・水軍の根拠地であった来島は波止浜湾の入口にあり、城砦跡や磯に無数の柱穴が残っている。この付近は沖釣りで知られ、タイ・アコウ・ホゴ・ハマチ・メバル・ギザミ・タチウオ・イカなど豊富な漁獲が楽しめる。
 今治城跡は藤堂高虎の築城になるもので、海水を導入した堀が昔の名残りをとどめている。旧本丸跡と濠の石垣だけが残っていたが、五五年に今治市制六〇周年を記念して天守閣を復元した(写真8-7)。城跡は県指定の史跡で吹揚公園として市民に親しまれている。春は桜の名所となり、天守閣からは全市を一望におさめることができる。遠くには四阪島や魚島・大島を望み、来島海峡の壮大な景観をへだてて芸予諸島も遠望することができ城内に今治市総鎮守の吹揚神社もある。周辺には瀬戸内海国立公園に属する近見山(二四三・七m)、白砂青松の海浜が続く唐子浜、桜井海岸の丘陵にある東予国民休暇村などがある。西方の清流玉川の溪谷には鈍川温泉郷がある。ここはなめらかなアルカリ性単純泉で、国鉄周遊指定地となっている。

図8-8 えひめ大島島四国

図8-8 えひめ大島島四国