データベース『えひめの記憶』

えひめの記憶 キーワード検索

愛媛県史 地誌Ⅱ(東予東部)(昭和63年2月29日発行)

まえがき

―愛媛の地誌の系譜―

 明治末期の郷土誌案内地誌ブーム

 明治四三年に愛媛県は町村に郷土誌の編集を命じ、目次を指示している。第一編自然誌は位置・面積・地勢・池滝・地質・気候・生物・変災の八章、第二編人文誌は沿革・大字区域・戸口・官衙・経済財政・生業・教育・軍事・神社・宗教・民俗・衛生・交通・各種団体・名所旧跡・古墳・人物小伝の一七章よりなる。町村郷土誌は二~三年の間に大部分が作成されており、大半が残っている。周桑郡では千足山村誌(明治四三年)などが残っている。

 大正・昭和戦前の県地誌

 大正二年(一九一三)に羽田又永著の『愛媛県郷土地図』B6判横組一六頁土肥与平発行、発売所大和屋書林(松山市湊町三)、定価八銭が出版された。大正三年には大和屋書店発行の『愛媛県案内』B6判二〇〇頁が出ており、当時の竹細エ・木蝋・和紙などの製造戸数・産額統計や広告などに貴重な地誌的資料がある。大正五年(一九一六)世界公論社発行の『愛媛県勢誌』A5判四六〇頁は安藤音三郎編である。内容は産業交通など統計が多く、図表や写真の参考になるものがある。
 『愛媛県誌稿』上下二巻は、愛媛県が明治四二年(一九〇九)に着手し、大正六年(一九一七)発行である。編さんは陶山斌二郎・羽田又永・景浦直孝の三氏で、貴重な統計資料も記載されている。上巻は第一部地理 第一編概要 第一章位置 二章地勢 三章海岸島嶼 四章地質 五章鉱泉 六章動植物 七章気象 八章戸口 九章交通。第二編市部 第一章松山市 第一節地文 第二節人文 二温泉郡 三越智郡 四周桑郡 五新居郡 六宇摩郡 七上浮穴郡 八伊予郡 九喜多郡 一〇西宇和郡 一一東宇和郡 一二北宇和郡 一三南宇和郡。第二部沿革(上)第一編王朝時代 第二編武家時代 第三編藩政時代 第一章伊予八藩の沿革 二伊予各藩の財政 三各藩の文芸。下巻第二部沿革(下) 第四編県治時代 第三部神社及宗教 第四部教育 第五部産業 一農産 二畜産 三林産 四水産 五工産 六鉱産 附録 一県治年表 二国宝及特別保護建造物 三著名人物伝よりなる。上巻九三四頁 下巻一二二九頁の浩瀚な書物であるが、誌稿のため仮綴で、地図や写真などカットは皆無である。しかし紙漉業の原価計算なども入れてあり、内容は立派な地誌である。
 昭和戦前・戦時中は愛媛県の地誌に関する書物は比較的少ない。昭和七年頃から郷土教育や郷土調査は盛んとなり、昭和一一年に愛媛県男子師範学校の野沢浩(教授)が『郷土地理論集』を出版している。

 戦後の県地誌

 全県的なものに、田中啓爾監修村上節太郎著、昭和二八年日本書院発行の双書『愛媛県新誌』B6判二〇〇頁がある。『愛媛県史概説』上下二巻は、昭和三四・三五年に県が発行している。上巻五九〇頁、下巻六二〇頁のA5判の手頃な書物で、短期間に編集した。県史のうち地誌的な項目は、第一章地域社会の概観 (一)四国の雄県愛媛 (二)愛媛の自然環境と資源 (三)産業と交通 (四)都市と人口増加 第一二章工業地帯の形成 第一三章交通運諭通信の発達 第二四章戦後の産業交通と総合開発 外編第四章風水害 第五章移民などである。
 『愛媛県産業地誌』は昭和四〇年にA5判五七八頁で次の四名が分担執筆している。「愛媛の漁村と水産業」武智利博、「愛媛の林業と山村」相馬正胤、「愛媛の農村と農業畜産業」村上節太郎、「愛媛の都市と工業」石水照雄。村上節太郎が編集し、愛媛県企画部企画調整課発行である。
 『愛媛県町村合併誌上巻』は別名『愛媛県町村沿革史』とも称し、昭和三九年発行のA5判四一八頁で、編集者は三宅千代二である。地理と地図は村上節太郎が、通史の古代中世近世は伊藤義一が、明治以後は三宅千代二が分担した。また町村の動きについては東予を三宅、中予を伊藤、南予を村上が分担執筆している。
 昭和五一年に今治工業高校斉藤正直教諭が『愛媛県地理歴史序説』B5判三四三頁の史料集を個人で出版した。
 愛媛県の高等学校では、教育研究会社会部会地理部門から『愛媛の地域調査報告集』B5判六八三頁が、一九八〇年に石丸博部門長により出版された。これは野沢浩初代会長時代の一九五八年青島の共同地理調査以来の二〇余年にわたる集大成である。県内十余か所の実地調査の報告書を印刷したもので、当時の資料が今では貴重である。
 近年は地名研究のブームで、周知の如く、平凡社から『愛媛県の地名』B5判七六五頁が、一九八〇年に発行された。角川書店は昭和五六年に『角川日本地名大事典38愛媛県』A5判一一六六頁を出している。
 『日本地誌18巻四国編』は昭和四四年青野寿郎・尾留川正平編集で二宮書店から発行された。全国的地誌は山崎直方・佐藤伝蔵監修の『大日本地誌』第七巻の博文館発行以来六一年目である。B5判五五三頁のうち愛媛県の部は一二三~二九八頁で、内容は愛媛県総説(担当村上)(1)地理的性格(2)歴史的背景(3)自然―地形気候(4)人文―農牧林業・水産業・鉱工業・交通通信・商業貿易・観光・地域開発・人口・集落・政治・文化。愛媛県内地域誌(一)中予(横山)地域の性格、松山平野の開発と変容、農林水産業の開発、観光地の開発、主な都市。東予(石水)地域の性格、東予地域の近代工業、地場産業とその展開、農水産業の展開、東予の地域開発、主な都市。南予(相馬)地域の性格、段畑の形成と現況、果樹と酪農の発展、宇和海漁業の推移、観光地の開発、主な都市より成る。本書では大洲盆地を松山地区(中予)に入れている。本書はカットが多く図表の作成者と資料を明記し、写真は撮影者と撮影年月日を記している。戦後の科学的地誌は、単なる記述でなく、地域の性格を究明することにある。それには他の地域と比較しなければならない。歴史が時代的対比をするに対して、地理は地域的対比をする。歴史の過渡期が地理では漸移地帯である。項目も内容を具体的に適確に表し、分布現象や地域差の要因も、根拠をもって解明することである。
 昭和五七年に『新愛媛風土記(全三巻)』創土社発行の豪華本定価三万九千円が出版された。三巻は愛媛県の歴史と風土、愛媛県の自然と生活、愛媛民謡の旅(カセットテープ四巻)よりなる。自然と生活はB5判一九一頁で、オールカラー印刷で美しく素晴らしい。
 昭和六〇年二一月に『地形図でめぐる愛媛の地理探訪』愛媛県高等学校教育研究会社会部会地理部門(代表篠原重則)発行B5判横組一〇四頁、定価一、〇〇〇円は、最近の二万五千分一地形図と五万分一地形図を原色で印刷し、その図上に地理的事象を黄色で記入し、片面見開きで解説文を付している。解説文はゴチック文字を使い写真や断面図を入れ、県内四五名の地理担当教師の分担執筆である。本書は地理巡検資料として、また一般市民の愛媛の案内書として、喜ばれており、かくれたベストセラーである。

 江戸時代の東予東部の地誌

 江戸時代、今の周桑以東に関するものに、次の文献がある。
 (1)『西条誌』は藩の命令で天保一三年(一八四二)、日野暖太郎和煦(醸泉)の編著で二〇巻よりなる。宇摩・新居・周敷三郡七十余か村に亘る郷土誌である。内容項目は村名沿革、村境、田畑、家数、人数、鉄砲持、船数、加子役、用水、山林、番所、運上、旧領主、古跡、名勝、名物産物、神社、仏寺、庄屋、旧家、人物、孝子節婦などを記す。一三〇の挿絵がある。原本は愛大附属図書館にあり、復刻版が昭和九年に西条史談会の高橋彦之丞の編集で五巻にまとめ縮版が出た。戦後同五七年に新居浜郷土史談会の矢野益治によりA5判四一〇頁の活字本として出版され容易に入手できる。矢野氏のは注釈をつけ、索引もあり挿絵も鮮明である。
 (2)『小松邑誌』は小松藩が万延元年(一八六〇)、藩士近藤範序らに命じ編集した地誌で全一四巻よりなる。写本が小松町立温芳図書館と伊予史談会にある。小松藩に属する新居郡四か村、周布郡一二か村の村々の記録。上編は藩内の風土、故事、歴史、地理に関する事項。下編は伊予の国初より天正一〇年(一五八二)までの歴史、領内の城主、館主、古戦場、人事補任、神祇、名勝などが収録されている。
 (3)『愛媛面影』は今治藩医の次男に生まれた半井梧奄の著書で、晩年国学者歌人として有名。出版は明治二年(一八六九)であるが、序文は慶応二年(一八六六)に書いている。五巻より成り第一巻が周桑以東の、ちょうど東予東部に当たる。四郡より成り宇摩郡は山田・山口・津根・御井・余戸の五郷に分かれ、幕末当時の五一か村名と石高を列挙している。トピックとして、①西行松 ②橘島 ③川江 ④川江城址 ⑤村山神社 ⑥新田明神社 ⑦三島神社 ⑧井河神社 ⑨三角寺 ⑩仙竜寺 ⑪新宮渡 ⑫春宮大明神 ⑬天満宮 ⑭宇摩関 ⑮入野 ⑯銅山 ⑰綿について資料をあげて解説している。
 新居郡は新居・丹上・島山・立花・加茂・神戸の六郷に分かれ、幕末の五二か村名と石高を列挙している。トピックとして、(1)黒島神社 (2)八幡宮 (3)新居浜 (4)御代島 (5)生子山城址 (6)西条 (7)風伯神社 (8)伊曽乃神社 (9)一宮大明神 (10)加茂川 (11)逆様川 (12)瓶穴 (13)石の判 (14)不動滝 (15)大保木 (16)高尾山城址 (17)吉祥寺 (18)保国寺 (19)前神寺 (20)温泉谷 (21)高峠城址 (22)風穴 (23)金子城址 (24)金子瓜 (25)白(かねへんにくず(め))について資料をあげ解説している。
 周敷郡は田野・池田・井出・吉田・石井・神戸・余戸の七郷よりなり、三七か村について村名と石高を列挙している。トピックとして、①伊予高嶺 ②塔石 ③横峰寺 ④高滝 ⑤小松 ⑥一宮 ⑦長福寺 ⑧香園寺 ⑨福岡八幡宮 ⑩周敷神社 ⑪花園の渕 ⑫木葉石 ⑬中山越 ⑭久妙寺 ⑮勅使八幡宮 ⑯鷹について資料をあげ解説している。
 桑村郡は『和名抄』より引用し、篭田・御井・津宮の三郷より成るとしている。幕末の村は二七か村で村名と石高を列挙している。トピックとして、①佐々久神社 ②布都神社 ③黒滝神社 ④興隆寺 ⑤由流岐橋 ⑥世田城址 ⑦吉田山医王院 ⑧常石山城址 ⑨瑞岩寺 ⑩象森城址 ⑪観念寺 ⑫実報寺 ⑬臼井水につき、資料を示し解説している。
 以上巻一に東予東部の四郡があり、次の如き見事な挿絵がある。①見開きで西行松 ②三角寺の奥の院の仙竜寺 ③一頁の銅山鉱穴図 ④見開きで逆様川 ⑤一頁の石の判 ⑥見開きで前神寺 ⑦一頁で石鎚の常住社 ⑧見開きで伊予局嶺 ⑨一頁で天柱すなわち塔石のスケッチを描いている。
 『愛媛面影』の初版は明治初年に刊行され、和綴の本は五巻よりなり、明治四三年(一九一〇)に再版が今治の阿部利三郎により発行された。昭和四年に第三版が阿部書林から発行された。昭和四一年に愛媛出版協会(代表三宅千代二)から影印本、が洋装で出版され、巻末に三宅の解説があり、和田茂樹の編集により件名・項目索引がある。これらも今は絶版となったので、既述の如く昭和五五年に、伊予史談会双書第一集として、越智通敏により普及版活字本(B6判二三二頁)が発行された。

 明治・大正期の東予東部の地誌

 明治四三年(一九一〇)に愛媛県より項目が示され、各町村が郷土誌を編集している。正副二通作り、役場と学校に保存している村もあるが、散逸している村が多い。
 (1)『新居郡案内』栗本諒二編大正二年(一九一三)松山向陽社発行B6判一一〇頁と広告
 (2)『宇摩郡案内』栗本諒二編発行大正三年松山向陽社印刷B6判一四五頁と広告 これは第一五回愛媛県農事大会が宇摩郡三島町で開催された時の郡を紹介する記念出版物。広告の中に当時の紙商人一覧表などがあり、地誌資料として役立つ。
 (3)『西条案内』白石小平編発行松山向陽社印刷B6五一頁、大正一〇年国鉄が西条まで開通した時の祝賀協賛会で出したもので、当時の産業交通人材が分かる。
 (4)『愛媛県新居郡誌』A5判六九七頁、大正一二年三月新居郡役所発行、大正四年の御即位御大典を記念して着手、八年を経て出版したもの。内容は一地理 二沿革 三生業 四教育 五神社宗教 六民俗人物 七史蹟名勝よりなる。愛媛県の他の郡に見られない郡誌である。
 (5)『愛媛県東予煙害史』一色耕平編A5判四九〇頁、大正一四年発行。有名な明治三八年以来の東予四郡に及ぶ四阪島製錬の煙害問題をまとめた本。発行所は周桑郡壬生川町の周桑郡煙害調査会である。
 (6)『四国アルプス』北川淳一郎著大正一四年A5判

 昭和戦前の東予東部の地誌

 (1)『桜樹村郷土誌』十亀宮好編B6判八四頁が、大洲の浅岡活版所で印刷されたのが昭和二年八月である。巻頭に大正一〇年の桜三里復旧記念碑の碑文が載っている。定価三円。
 (2)『別子銅山』B6判四六頁が石黒定美の名で住友から発行されている。当時を知る貴重な資料である。
 (3)『住友別子鉱山労働運動の頴末』住友別子鉱山㈱労働課発行、A5判本文六五二頁附録一六五頁、非売品で大阪で印刷している。
 (4)『経済風土記四国の巻』大阪毎日新聞経済部編B6判五三二頁昭和五年刀江書院発行。三四四頁に「昭和二年七月一日に鳶尾勘解治常務取締役が、別子銅山はあと二〇年で鉱石はなくなる。それで銅がなくなっても住友は伊予と縁を切りたくないと突然発表し、新居浜築港計画に着手した」という記事が載っている。
 (5)『東予史要』高橋彦之丞著昭和六年B6判一五〇頁、西条公民学校々友会発行。二〇章と年表より成り、図版が三七枚あり、要約した周桑以来の東予史である。
 (6)『伊予西条藩史・小松藩史』秋山英一編著昭和六年B6判二〇八頁、松山の伊予史籍刊行会発行。巻頭に口絵写真が一五頁ある。筆を洗ふ前に(巻末)著者は「母方の方は小松藩の御用紙屋であった」と誌している。
 (7)『別子銅山』昭和八年A5判二〇頁、住友別子鉱山㈱発行の小冊子がある。当時の鮮明な多くの写真があり、昭和九年に住友機械や住友化学新居浜製造所の設立を、あとからスタンプで追記している。
 (8)『東予人物誌』新居郡の巻A5判一七〇頁、昭和一一年秋山英一著西条町燧洋出版社発行は、一三二人を列挙しているが、天野喜四郎・広瀬宰平の如き産業人もあり、地誌執筆の資料として役立つ。
 (9)『伊曽乃神社志』昭和一三年山本信哉・大倉粂馬編A5判六〇三頁。さきに昭和七年に松岡静雄・大倉粂馬著『伊予上代史考伊曽乃神社』とともに、昔の神野郡の古代地誌の研究に不可欠の文献である。折込に與州新居氏や和気氏の系図がある。
 (10)『別子開坑二百五十年史話』昭和一六年B6判五四二頁平塚正俊編住友本社発行。多くの写真や見事な地図があり、別子銅山研究の必読書といえる。
 (11)『石鎚連峰と面河渓』秋山英一編著改訂四版B6判一七八頁、昭和一〇年四月。
 石鎚山系の学術書としては、昭和三五年に愛媛新聞社が『石鎚山系の自然と人文』、同五四年に日本自然保護協会が調査報告書を出している。

 昭和戦後の東予東部の市町村誌

 (1)『泉川町史』B6判二七六頁昭和三〇年七月発行。泉川町は昭和一四年町制を施行、昭和二九年に町制一五周年を迎え泉川町史の刊行を企図し、合田正良の指導で資料を蒐集中、二八年九月一日町村合併促進法が公布されたので、刊行したとある。東予東部で先駆的役割をなしている。
 (2)『庄内村誌』B5判一一一〇頁昭和二六年八月着手同三一年六月発行、今治市青野騰写堂印刷。委員長芥川準一郎。このような村誌は例が少ない。序文を久松知事が書き、今治の玉田栄二郎、県立図書館長三宅千代二の指導を得ている。八〇〇頁の予定が、一一一〇頁になり資金不足で困っているとき、庄内出身で有馬在住の西条中学・早稲田大学出身の成功者山田勇吉の寄附金と秋川為蔵の遺志による芳志を得てこの大著が完成したとある。
 (3)『田野村誌』A5判七〇三頁昭和三二年一月原商会印刷。索引年表もあり、アート紙を使用して写真鮮明。本村からは篠原助市・渡辺宗太郎・佐伯勇などの人材が出ている。
 (4)『新居浜市史』A5判九一九頁昭和三七年発行。
 (5)『西条市誌』A5判一一〇〇頁昭和四一年関印刷。編者は久門範政で、古文書など引用し、学術的である。
 (6)『西条市誌編纂余録』久門範政著昭和四八年A5判二四二頁。着手から発行まで一〇年を要した(七四頁)。
 (7)『妻鳥町誌』上巻A5判三一二頁昭和五〇年。
 (8)『周布村誌』A5判五八九頁昭和五三年。本書に延喜式の周敷駅の位置を示す地図があり参考になる。また周布村には松山領と西条領と小松領が錯綜しているのを地図に示し、口絵に載せてあり、貴重な資料である。
 (9)『新居浜市史』改訂版昭和五五年三月主筆合田正良A5判一二六七頁、附録が四四頁で年表がある。巻末にアート紙で二五頁のふるさとアルバムがついている。
 (10)『別子山村史』主筆合田正良A5判一二八四頁昭和五六年一月発行。別子山村に昭和六二年三月現在一五四世帯三五六人の愛媛県一の小村であるが、資料の豊富な村史である。
 (11)『川之江市誌』B5判一一三〇頁昭和五九年一一月発行。
 (12)『伊予三島市史』上巻A5判一三〇八頁合田正良主筆昭和五九年。中巻九七四頁六一年。下巻九八三頁昭和六一年発行。
 (13)『土居町誌』A5判八六七頁昭和五九年発行。
 (14)『東予市誌』A5判一六八三頁昭和六二年一〇月発行。
 まだ発行していないが近いうちに発行を計画しているところもあり、丹原町誌と新宮村誌は編集中である。

 昭和戦後の東予東部の地誌ブーム

 東予の周桑以東は戦後、別子銅山は閉鎖され、多喜浜塩田も廃止され、宇摩郡の製紙は和紙は衰えたが大王製紙の如き日本の単一工場としてトップに躍進し、周桑平野の農作物も変化し、石鎚登山道も新旧交替し、銅山川分水も成功したが人口は都市に集中し、山村は過疎となるなど変容が著しい。これらを取り扱った著書論文は多いが、ここに主な著書を紹介する。まず昭和二〇年代から見る。
 (1)『東予義人伝』秋山英一著A5判一五二頁銀納義民顕彰会昭和二七年発行。
 (2)『鷲尾勘解治翁』B6判二八〇頁新居浜市発行。昭和二九年八月。
 (3)『川之江のおもかげ』B6判一〇七頁、坂安雄編川之江町文化協会・川之江町史談会発行。
 (4)『香川県愛媛県塩業組合(会社)沿革史資料』A5判八一九頁。香川県塩業組合連合会発行昭和三一年三月。
 (5)『村の記録』土居町関川地域公民館昭和三一年一〇月発行、新書判二五一頁。本書は安達生恒をリーダーとして村上・相馬・土居・岩谷の共同調査物。
 (5)『上代史の研究伊予路のふみ賀良』A5判五八六頁。大倉粂馬翁遺稿。昭和三一年一二月同刊会発行。
 (6)『石鎚山系の自然と人文』愛媛新聞社A5判三二二頁。編集代表石原保、印刷所原商会、昭和三五年一一月。
 (7)『川之江市誌』第一輯古墳時代、川之江市教育委員会昭和三五年三月発行B5判七六頁と図版アート紙三三。
 (8)『いよみしま』市勢要覧昭和三五年版B5判六八頁。水引の写真の説明に、アメリカで好評を得ているとある。
 (9)『にいはま史跡と名称』合田正良著A5変型三二四頁。昭和三六年愛媛地方史研究会発行。
 (10)『三島川之江銅山川地域の総合調査概報第一報』高校社会科人文地理部門(代表野沢浩)発行昭和三七年。
 (11)『国領川流域における水利の歴史地理学研究』昭和三七年近藤晴清著B5二七八頁。
 (12)『紙と伊予』森実善四郎著B6一四六頁伊予三島ロータリークラブ昭和三九年一一月発行。
 昭和四〇年代になると次のような本が出ている。
 (13)『川之江天領史』近藤直作著A5判四五五頁昭和四〇年菊水舎(神戸市)発行。著者は川之江出身、医学博士。
 (14)『多喜浜塩田史』天野元敬編著A5判六八八頁、新居浜市文化協会発行。
 (15)『銅山川疏水史』合田正良編B5判五六四頁愛媛地方史研究会(新居浜市八雲町)発行昭和四一年。
 (16)『村落産業の史的構造』岡光夫著A5判五五九頁。昭和四二年新生社発行の中に、第二章入浜におげる塩業経営―多喜浜塩田―七五~二九四頁。第三章地主酒造経営―新居郡松神子村小野家―二九五~三七二頁がある。
 (17)『石鎚山麓民俗資料調査報告書』愛媛県教育委員会B5判三六頁昭和四四年発行。
 (18)『旧別子銅山案内』伊藤玉男編B5判八〇頁新居浜山岳協会銅山峰ヒュッテ発行昭和四四年。
 (19)『伊予乃高嶺―熟田津石湯行宮の発見―』真鍋充親著A5判五二〇頁昭和四四年立春短歌会(東京杉並)発行。
 (20)『川之江郷土物語』森実善四郎著A5判六三二頁、昭和四四年一万川之江商工会議所発行。
 (21)『続川之江郷土物語』森実善四郎著A5判三二九頁、昭和四九年二一月川之江商工会議所発行。
 (22)『住友金属鉱山二十年史』A5判本文三八九頁、資料年表三五頁、住友金属鉱山㈱昭和四五年発行。
 (23)『新居浜と住友』戒田淳著B6判二七一頁、昭和四七年三月愛媛地方史研究会発行。
 (24)『別子閉山』戒田淳著B6判一四一頁、昭和四七年一二月愛媛地方史研究会発行。
 (25)『愛媛のまつり』近藤晴清著昭和四七年A5判三六七頁、新居浜市観光協会発行。
 (26)『新居浜産業経済史』星島一夫・須賀俊夫・横飛信昭・小林漢二・西田博執筆、A5判横組五五七頁、昭和四八年三月新居浜市発行。
 (27)『旧街道』愛媛新聞社発行 昭和四八年四月B6判二五三頁、愛媛文化双書9。桜三里街道や川之江の太政官道が記載されている。
 (28)『別子物語』朝日新聞社松山支局B6判二一頁、愛媛文化双書13。
 (29)『うるわしの郷土ふなき』船木小学校創立百周年記念誌A5判二三八頁、昭和五〇年四月発行。
 (30)『黒瀬郷上史』秋山英一著A5判一八二頁、加茂川の黒瀬ダムのため水没する黒瀬部落の歴史と実態の記録。
 (31)『日本灌漑水利慣行の史的研究』喜多村俊夫(農学博士)著岩波書店昭和五一年発行、周桑郡の水利慣行記載。
 (32)『伊予三島市の歴史と伝説』合田一慶・合田正良著A5判二一○頁、伊予三島市教育委員会昭和五一年発行。
 (33)『鴻上弥三郎と船木の風土記』A5判一九四頁、昭和五一年一二月新居浜郷土史談会(会長真鍋充親)発行。
 (34)『禎瑞新開干拓二〇〇年史話』秋山英一編著A5判六七頁、昭和五二年発行。
 (35)『生きている民俗探訪愛媛』黒川健一著B6判一九〇頁、昭和五二年第一法規出版発行。本書に石田の手漉和紙、伊予三島の水引などを取りあげている。
 (36)『古代日本の交通路Ⅲ(山陰道・南海道)』藤岡謙二郎編A5判一九〇頁、昭和五三年大明堂発行。
 (37)『石鎚の水ここに展く―道前道後用水史』A5判六一八頁、昭和五三年一〇月愛媛県発行。
 (38)『犬山・石鎚と両国修験道』宮家準編A5判五六七頁、昭和五四年名著出版発行、石鎚山については武田明・秋山英一・宮家準・森正史が執筆している。
 (39)『石鎚国定公園 石鎚山面河地区自然環境保全調査報告書』日本自然保護協会発行58号昭和五四年一二月。執筆は愛媛大学・広島大学・高知大学教官、人文歴史は村上節太郎執筆。
 (40)『別子山村立別子小学校百年のあゆみ』B5版九九頁昭和五四年。
 (41)『伊予川之江村の研究―庶民の明治維新―』進藤直作著A5判三三四頁。昭和五五年発行。著者は医学博士、柿沼教授の超一流に比し、地方大学教授の非力を指摘している。
 (42)『地名の由来新居浜』A5判一〇八頁、昭和五五年三月新居浜市教育委員会編集兼発行。
 (43)『宇摩歴史探訪』合田正良著B6判一一六頁、発行者宗像神社々務所、印刷所第一法規、昭和五五年八月発行。
 (44)『産地文化振興計画―伊予三島川之江地域』B5判横組九二頁、昭和五七年三月愛媛県社会経済研究財団発行。
 (45)『黒瀬峠』伊藤一著A5判四八五頁、昭和五七年。
 (46)『石鎚百景小泉政孝作品集』B5変形一四九頁昭和五七年発行。
 (47)『半世物語』広瀬宰平著A5判二三一頁、昭和五七年発行。本書は父子三代にわたり住友家に貢献した広瀬宰平の明治二八年の出版物を再版したもの。巻末の年表は幕未から大正三年にわたるもので参考になる事項が多い。
 (48)『注釈西条誌』矢野益治著A5判四一〇頁、昭和五七年新居浜郷土史談会発行。
 (49)『山家の思い出』(石鎚村)伊東鶴一著A5判六八頁、昭和五九年。
 (50)『伊予三島市嶺南』合田正良著A5判六〇四頁、昭和五九年一月伊予三島市富郷農業協同組合発行。
 (51)『石鎚山と修験道』西海賢二著B6判二一八頁、昭和五九年名著出版発行。
 (52)『伊予西条藩御触書集』千葉誉好著B6判一九〇頁、昭和六〇年新居浜郷土史談会発行。
 (53)『西条の歴史探訪』明比学著A5判横組三〇七頁、昭和六〇年四月発行。
 (54)『奥の院仙竜寺と遍路日記』喜代吉栄徳著A5判九八頁、昭和六一年一一月海王舎発行。
 (55)『生活のなかの行道―石鎚信仰の深層』西海賢二著A5判二〇四頁、昭和六二年六月福武書店発行。
 (56)『新宮村風土記』信藤英敏著A5判一六七頁、昭和五三年自費出版、川之江市金川九五九。
 (57)『川之江城の研究』信藤英敏著、A5判二〇〇頁、昭和五七年自費出版。
 (58)『郷土史談』一四八号が昭和六二年一一月に新居浜郷土史談会(新居浜市立図書館内)より発行。
 (59)『小松史談』一一二号が昭和六二年一一月に小松史談会(小松町南川高島神社内)より発行。
 (60)『宇摩史談』四一号が昭和六二年一〇月に宇摩史談会(伊予三島市中曽根鎌倉二朗内)より発行。