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愛媛県史 地誌Ⅱ(東予東部)(昭和63年2月29日発行)

四 新しい工業の進出

 電気機械工業

 東予新産業都市指定後、本地域に立地した中心的業種は、前掲表3―13のごとく電気機械(以下電機と呼ぶ)を中心に非鉄、機械などであるが、その内、非鉄、機械は経済情勢の変化で大きく後退し、現在その中心をなすのは電機である。代表的企業は表3―14のごとく初期では三九年に西条市福武の国道一一号沿線に進出し、四〇年に操業を開始した寿電機㈱である。同社は四四年に寿電工(香川県坂出市)、寿録音機(温泉郡川内町)と合併して松下寿電子工業㈱となったナショナル系列の輸出部門をになう主力企業である(写真3―13)。現在同社は、本県全体の電機の出荷額(六〇年―五八四〇億円)及び西条市の出荷額(同―三○○○億円)の九〇%以上を占めると推定される。特に西条市の基幹産業に育ってきた。このため五九年度、全体の出荷額が停滞する中で西条市の急増がめだち、今治市、伊予三島市を抜いて県下第三位になった。六〇年度には法人税が大きく伸びて地方交付税を受けない「不交付団体」となった。この最大の原因が松下寿電子関係の急伸であり、さらに三菱電機㈱の操業開始がこれに拍車をかける形になったものである。
 同社の西条市など四国への工場展開は高度成長期以後の電機全般によくみられるごとく、労働力確保から地方分散という企業採算面からと、企業の社会性(地域開発への参加)という経営理念、それに地元の誘致策が合致して立地したもので、同社の後年の県内での立地展開(四三年の川内町、四八年の大洲市、五八年の一本松町の各工場)のモデルである。同社西条事業部は、現在従業員一八〇〇名で輸出用のVTR(八〇%)を主力に、カラーテレビ(二〇%)などを生産しており、労働集約的なその性格から雇用面での地域的影響が特に大きく、西条工場周辺に多くの下請協力工場群を形成している。前掲表3―14はその内の西条市内の一次下請けがわかる。これ以外に周桑平野から新居浜方面までその地域的展開の範囲は広く、業種的にも包装・輸送部門までその範囲は広い。これら関連企業は親企業の操業に合わせて四〇年前後に立地した。地元資本もあるが、当初は大阪や香川県からの進出が多かったが、いずれも二〇年間に地域に定着し、地域の兼業労働力を吸収する小さな核を形成するようになっている。
 電機で注目されるもう一つの新しい核が、五九年に操業開始した三菱電機西条工場である。同工場は、西条市ひうちの臨海造成二号地内に立地した四国では初の半導体の素材からの一貫生産工場である(表3―14及び前項図3―10参照)。生産は第一期工事では六四KビットダイナミックRAMを月産五〇〇万個、六〇年完成の第二期工事では、更に高性能の二五六KビットダイナミックRAMを五〇〇万個生産する同社の半導体主力工場になった。従来の半導体工場は塩害防止のため、通常海岸から二〇㎞以上内陸へ立地が常識と考えられたが、これを技術で力バーしたわが国最初の臨海立地の半導体工場でもある(写真3―14)。徹底した無人化で内部の清浄度も抜群といわれる。生産は三交替制・二四時間操業でもあるため雇用面の効果は大きく、従業員六五〇名中、地元から三八〇名が採用されている。又、関連企業も若干立地している。加工部門スタッフ中心の四国計測㈱やガス窒素供給などの四国液酸㈱など約二〇〇名が、所内外注または隣接立地して臨海二号地の核になりつつある。洗じょう、空調など日量六〇〇〇トンの工業用水は黒瀬ダムから県の工業用水道で導水し、純水装置で主に洗じょう用に使っている。製品輸送は松山空港を使っており、連絡道路としての四国縦貫自動車道の整備が課題である。

 中小鉄工業

 住友系大企業を中心とする四国最大の工業地域を形成する新居浜市、西条市とその周辺では、化学、非鉄金属、機械など素材型産業に関連、依存する多数の中小鉄工業が発展してきた。
 この中小鉄工業は、工業統計上は一般機械器具製造、鉄鋼(主に銑鉄鋳物)、金属製品(主に製かん板金)の三業種を含み、従業員三〇〇名未満の地場中小企業で、ほとんど自社完成品をもたない下請性の強い性格をもっている。五九年の工業統計でみると、西条・新居浜とその周辺(東予市・丹原町)に事業所数二一〇、従業員五八〇〇名、出荷額六五〇億円の中小鉄工業がみられる。
 これらは歴史的背景から住友各社との関係が深いが、特に西条市を中心に脱住友の傾向が強まっている。西条市の鉄工業は四五年の二八社から五五年には五七と倍増し、出荷額でも同期間に約三・八倍となっている。五六年以後はやや減少傾向にあるが、新居浜に比べて規模は小さいが、その伸びは大きく上回っている。この増加要因は四六年に操業開始した西条鉄工団地(協)と五七年に操業開始した愛媛臨海重工業団地(協)の立地が大きい(図3―13参照)。
 西条鉄工団地は、表3―15のごとく四九年をピークにその後の生産は漸減したが、五四年以降住友以外からの受注に努力して、五六年にはかなりの水準に回復したが五八年には輸出不振に伴う産業機械の不振で再び低下した。この団地は図3―13のごとく、西条港新地の農林水産省干拓地に立地したもので、県内の中小鉄工業としては初の団地化の事例である。四四年に組合員一四企業(従業員合計五五〇名)で協同組合を設立し、四六年末に全社が操業を開始した。一四社の内一〇社は新居浜より移転したもの、四社が西条市内の企業で、業種的には製かん一一社、鋳造、鍛造、機械加工各一社となっている。団地は共同施設に力を入れ、共同事務所、職業訓練所、共同倉庫等を建て、資材の共同購入、クレーンやプレスの共用などの協業で能率向上を図っている。同団地は表3―15のごとく住友重機械㈱との関係が深いが、新規市場の開拓に努力しており、同社の比率は低下傾向にある。
 次に愛媛臨海重工業団地(協)は五五年に団地協同組合を設立し、国の公害防止事業団の融資制度を利用して竣工、操業を開始したものである。一一社中四社が新居浜などから移転立地したもので、業種的には鉄工・機械関係八社、輸送、塗装、造船各一社となっている。これを規模別にみたのが表3―16である。同団地は図3―13のように、西条港に面した専用岸壁を有し、産業道路にも近く大型製品の生産、輸送条件にも恵まれている。軽薄短小化の構造の変化の中で苦しい体質改善が求められており、県内はもとより、中国方面や、関西、関東方面まで市場の開拓に努めている。

 その他の工業

 西条市の工業は臨海二号地造成前は電機など内陸型工業が中心で、他にも市内氷見の四国積水工業㈱なども東予新産業都市指定後に新規立地した。同社は積水化学㈱の四国地区の工場として三九年に設立された子会社で、原料供給地としての新居浜に近いことが決め手となって立地した。新産業都市誘致第一号の企業である。各種のプラスチックパイプや日用品などの射出成型品、温水器などの組立品を年産二五億円程度生産している。同じ年に小松町に大阪から進出したシコー㈱(旧社名大阪紙工)も類似したケースで、四国一円への大型紙袋供給を中心とする重包装材メーカーである。更に四四年には西条市唐樋に完成し、操業を開始したプリマハム㈱西条工場がある。同工場は食肉商品の西日本拠点工場として、年産八〇〇〇トン、約二〇〇億円を生産しており、同市の食料品製造業の中心的存在となっている。加工用原料(牛・豚・マトン)の七〇%はアメリカ、オーストラリア、台湾、デンマークなど海外に依存しているが、豚肉を中心に四国一円から集荷しており、従業員三三五名は管理職以外は地元採用で、地域密着型の立地をしている。

図3-13 西条市の二つの鉄工団地

図3-13 西条市の二つの鉄工団地


表3-15 西条鉄工団地(協)の生産の推移

表3-15 西条鉄工団地(協)の生産の推移


表3-16 愛媛臨海重工業団地の構成

表3-16 愛媛臨海重工業団地の構成