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愛媛県史 地誌Ⅱ(東予東部)(昭和63年2月29日発行)

五 四国のみちと観音堂

 四国のみち西部

 西条市南部の山麓に沿ってほぼ東西に「四国のみち」とよぶ四国自然歩道が走っている。これは、環境庁の計画に基づいて昭和五六年から整備が進められている長距離自然歩道の一部で、遍路道や旧街道などを結んで設定されている。西条市に設けられた四国のみちには、「歴史の散歩みちコース」(七・八㎞)と、「水の都の緑のみちコース」(七・三㎞)の二つのコースがある(図3―40)。このコースは加茂川の伊曽の橋で連結しており、西条市が設けた「ふる里サイクリングコース」(飯岡の王至森寺~氷見の城の谷池、令長一三・四㎞)とほぼ一致している。
 「歴史の散歩みち」コースは、西隣の小松町との境から、加茂川の伊曽の橋に至るもので、途中には四国霊場第六三番札所吉祥寺・阿弥陀寺・石鎚神社・第六四番札所前神寺・伊曽乃神社・保国寺などの神社仏閣がある。
 氷見の吉祥寺は真言宗東寺派の寺で、弘法大師の作と伝えられる毘沙門天を本尊とする。伝承によると、元は坂元村(現西条市坂元)にあったが、天正一三年(一五八五)の兵火で焼失し、のち現在地に再建されたという。昭和四二年に六福神を祀る福聚院が建てられ、本尊の毘沙門天と合わせて七福神を祀る寺として知られるようになった。また、米持大権現ともいわれ、農民の信仰があつい。同寺の近くにある芝の井のお加持水は、弘法大師が杖で掘ったという湧き水である。
 阿弥陀寺は楢木にある小堂で、同寺ののだふじは昭和四九年に西条市指定天然記念物となった。また、さかきの老木もある。石鎚神社と前神寺は石鎚信仰の寺社で、七月のお山市には全国各地から大勢の信者が訪れる。また、氷見の石岡神社と中野の伊曽乃神社は、西条祭りの中心となる神社である。
 伊曽乃神社の南に隣接する保国寺は、元は天台宗の寺であったが、永仁二年(一二九四)仏通禅師により臨済宗に改宗した。「仏通禅師坐像」は国指定重要文化財である。また同寺の池泉観賞式庭園は、永享年間(一四二九~四一)の作と推定される四国最古の石庭で、国指定名勝になっている。
 「歴史の散歩みちコース」の沿線には、この他にも天正一三年の四国征伐の戦いで討死した金子備後守・高橋美濃守・松本三河守等の首を埋めたという千人塚(野々市)や、同年の戦いで戦死した丹民部守を祀った民部塚(西泉)などがある。民部塚は「民部さん」とよばれ、吃音の神様、足の神様として信仰されている。また、中野の久門邸は、豊臣秀吉の四国征伐で亡ぼされた高峠城(高外木城)の城主の居館があった所で、現存するかすがい積みの石垣は土居構跡として県指定史跡になっている。
 こうした神社仏閣のほか、洲之内には湯之谷温泉がコース沿いにある。この温泉は、道後温泉や鈍川温泉とともに古くから伊予の三温泉として知られた。泉温約一七度Cの冷鉱泉で、明治後期に源泉の近くに五衛門風呂を造って営業を始めたという。近くには石鎚神社や前神寺があって参拝客の利用も多く、また湯治場としても知られている。このほか、楢木にある「いがり温泉」も独特の泉質で人気がある。
 終点の伊曽の橋は、それまであった木製の一銭橋に代わって昭和五八年に架げられたもので、欄干にメロディー盤が取り付けられているところから、メロディー橋ともよばれる。

 四国のみち東部

 伊曽の橋を起点とする「水の都の緑のみちコース」は、武丈公園・王至森寺・秋都庵を経て国道一一号に至るもので、沿線には西条神社・楢本神社・金剛院などがある。
 武丈公園は桜の名所として知られ、その河川敷は対岸のトリム公園とともに、いもたき会場になっている。西条市のいもたきは、武丈公園側(西条武丈いもたき本家主催)が八月三一日~九月三〇日、トリム公園側(西条いもたき実行委員会主催)が八月二三日~九月三〇日に開かれている。昭和六〇年にいもたきに訪れた客は約三万人(西条市商丁観光課調べ)で、伝統的な行事として定着し人気を集めている。
 武丈公園に隣接して伊曽乃神社の御旅所がある。西条祭りの行われる一〇月一六日未明には、提灯をつげた楽車が集まり、御旅所の広場は見物客で埋めつくされる。御旅所の一角に鎮座する西条神社(旧県社)は、西条藩主松平頼純が旧前神寺所在地の西田に創祀しか東照宮に起源する。明治の廃藩に際し、歴代藩主を合祀して現在地に移り、明治一六年(一八八三)西条神社と改称した。拝殿にある「東照宮」「西条神社」の扁額は、それぞれ勝海舟・山岡鉄舟の筆になる。
 西条神社に隣接する楢本神社は旧村社で、境内に神風特別攻撃隊敷島隊員の慰霊碑がある。同隊の隊長であった関行男大尉(のち中佐)は西条中学(現西条高等学校)の出身で、隊員の一人であった大黒繁男二飛曹は、新居浜市の出身である。また、楢本神社には大町出身の医師真鍋嘉一郎の生家を移した真鍋記念館が置かれている。真鍋は元東京帝国大学教授で、夏目漱石の主治医もつとめた。
 福武の金剛院は、保元年間(一一五六~五九)の創建と伝えられる古義真言宗仁和寺派の古寺で、本尊は不動明王である。境内にある七重石塔は、石造美術として昭和二九年に愛媛県の有形文化財に指定された。また、野口の王至森寺は大日如来を本尊とする真言宗の名刹で、山門には小松藩三代藩主一柳頼徳の扁額がある。山門横にあるきんもくせいは、全国でも最大級の巨木として昭和二年国指定天然記念物になった。

 観音堂と民芸館

 西条市の観光地は国道一一号以北には少なく、ふじの名所の観音堂や、民芸館・「子供の国」などが点在する程度である。また、乙女川の川狩りは秋の風物詩として親しまれている。
 上喜多川にある観音堂は、臨済宗東福寺派の禎祥寺にあり、「喜多川のお観音さん」として知られる。観音堂のふじの巨木は樹齢三九〇年余といわれ、毎年四月末から五月上旬にかけての花の季節には、大勢の花見客が訪れる(写真3―38)。昭和六〇年の花見客は約二万人(西条市商工観光課調べ)で、門前には屋台の出店が並ぶ。
 堀の内の旧西条陣屋跡にある愛媛民芸館は、全国一〇か所の民芸館の一つとして昭和四六年に創設された。同民芸館は財団法人で、愛媛民芸協会が運営にあたっている。この民芸館は倉敷絹織(現クラレ)㈱社長であった大原孫二郎の援助で建てられたもので、民衆的工芸品の展示や販売を行っている。愛好家などに根強い人気があり、年間に四〇〇〇人余の入館者がある(表3―35)。
 民芸館の近くに、昭和六二年度に完成した「西条市子供の国」がある。主な施設としては、工作用具などが自由に使える創作館、西条祭りのだんじりを展示した展示館及びプラネタリウムで、このうち創作館は五九年八月に開館した。六〇年八月までの入館者は約五万五五〇〇人余であったが、六一年一一月に展示館・プラネタリウム館がオープンし、六ニ年五月からプラネタリウムが始まると、利用者が急増して同年六月には一五万人に達した。
 禎瑞の乙女川は、安永七年(一七七八)西条藩が燧灘を干拓した際につくられた遊水池(面積二五ha)で、藩政時代から秋に川狩りが行われ、地区農民にも開放されていた。現在の川狩りは禎瑞土地改良区と禎瑞乙女川漁協が主催し、毎年一〇月一○日ころに行われる。昭和六〇年には約一五○○人が川狩りに参加した(西条市商工観光課調べ)。また、渦井川河口では潮干狩りも盛んである。

表3-35 愛媛民芸館の月別利用者数

表3-35 愛媛民芸館の月別利用者数