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愛媛県史 地誌Ⅱ(東予東部)(昭和63年2月29日発行)

七 宇摩平野の観光行事

 紙まつり

 川之江市の代表的な観光行事となっている紙まつりは、昭和五三年に川之江青年会議所が企画した「川之江ペーパーカーニバル」が最初である。これは、地域の発展と人間生活の調和をめざし、新しい郷土のまつりとして始めたもので、第三回から名称を紙まつりに改めた。
 紙まつりは、毎年七月の最終土・日曜日の両日、川之江市川之江町の市民体育館及びその横のお祭り広場で催される。紙まつりは、川之江市・同市議会・青年会議所・紙パルプ工業会などの各種団体が参加した実行委員会によって運営され、市民の熱心な支援をうけて年を追って盛んになってきた。六二年の紙まつりには約一〇万人の人出があり、川之江市最大の観光行事として親しまれている。
 紙まつりの行事の中には、紙すき唄・ペーパーファッションショー・紙踊り・てんびんパレードなどがあり、手すき和紙の実演も行われる(写真5-26)。また、会場周辺には武者絵やアニメを描いた天びんが飾りつけられ、紙踊りや天びんパレードで紙まつりはクライマックスを迎える。
 川之江市の夏の観光行事としては、他に七月一五・一六日に行われる夏まつりがある。これは川之江観光協会の主催で、川之江港の岸壁で行われる花火大会で知られる。この祭りは、元は川之江町中須にある神明神社の祭礼で、「お伊勢やさん」とよばれ、旧暦六月一五日に行われていた。六二年の花火大会には二万人の人出があり、紙まつりに次ぐにぎわいをみせている。

 桜まつりと仏殿城
 
 川之江市の城山公園では、毎年四月の第一日曜日に桜まつりが催される。城山公園は市街地北方の城山(鷲尾山)にあり、標高六二mの山頂からは市街地や燧灘の眺望が開けている。鷲尾山は南北朝時代の延元二年(一三三七)、伊予の豪族河野氏の部将土肥義昌がここに城を築いた要害の地である。川之江城は、その後慶長一六年(一六一一)に加藤嘉明が廃城するまで、二七四年間続いた。川之江城は、築城の際鷲尾山頂上付近で仏堂を発見した義昌が、この仏堂を城中に移して武運長久を祈ったところから仏殿城ともよばれる。
 川之江城趾は山頂一帯が城山公園として整備され、麓には野球場・テニスコート・プールなどの施設をもつ総合公園となっている。面積は、城山が八ha、麓の運動施設が四haで、春は桜と椿、秋はもみじの名所として知られる。三の丸跡には戦没者慰霊のための平和像、本丸跡には小動物園や展望台などがおかれた。
 川之江城趾は、本丸付近の石垣がわずかに当時の名残をとどめるにすぎなかったが、昭和五六年度を初年度とする一〇か年の長期総合計画の一環として、川之江城の再建が計画された。復元工事は市制三〇周年の五九年に着工し、六一年七月に完成した。復元された天守閣は鉄筋コンクリート造りの三層四階で、総事業費は周辺整備も含め約三億円であった(写真5-27)。この間、六〇年九月には二の丸跡の石垣が発見され、仏殿城の全容解明への大きな手がかりとして注目された。
 城山公園の桜まつりの人出は、五九年には五〇〇〇人、六〇~六一年も六〇〇〇人ほどであったが、仏殿城完成後初の桜まつりが行われた六二年には、一万人の花見客でにぎわった。川之江市では、復元した仏殿城を観光の目玉として発展させようと期待している。
 川之江市の公園には、このほか上分町のこんぴら山を都市公園として整備した向山公園があり、トリムコーススなどが設置されている。向山公園は桜やさつきの名所として知られ、また香川県境の余木崎は海水浴場としてにぎわいをみせている。

 みなと祭り

 伊予三島市の最大の観光行事は、毎年七月に行われるみなと祭りである。この祭りは、伊予三島港が国際貿易港として開港したのを記念し、また二〇〇年の伝統をもつ紙加工業の発展をめざして始められた。昭和六二年の第一九回みなと祭りは、伊予三島市をはじめ、商工会議所・観光協会・青年会議所・商店街連合会などで組織したみなと祭り実行委員会が主催し、七月二三日から三日間にわたって開かれた(表5-38)。
 この祭りで催される三島踊り(篠原雅雄作詩・和田香苗作曲)は、市制二〇周年記念として始められた。また、四国ど真ん中音頭(喜多条忠作詩・美樹克彦作曲)は同三〇周年記念に作られたもので、三島踊りでは各企業や婦人会、愛護班などの踊り連が商店街にくり出してにぎわう。
 伊予三島市名物の盤座太鼓は、市制二五周年を記念して創設された新しい郷土芸能で、甲府市の無形文化財天野宣氏の指導をうけて作られた。太鼓のリズムには平家の落人伝説などが取り入れられており、桜まつりでも演奏される。
 なお、土居町でも昭和六〇年に夏まつりを始め、六二年には名物のやまじ風をシンボライズした風神の山車が登場して、郷土色豊かな夏まつりとなっている。土居町では、この夏まつりを「やまじ祭り」として定着させ、地域の観光行事として発展させる計画である。

 宇摩平野の秋祭り
 
 宇摩平野では、これらの夏まつりのほか、各地の神社の祭礼として行われる伝統的な秋まつりの行事がある。宇摩平野の秋まつりは太鼓台に代表され、最近は子供太鼓の数も増加している。
 伊予三島市では、三島神社の秋祭りが一〇月二一日~二三日に行われる。当地の太鼓台は「三島の夜太鼓」として有名で、絢爛豪華な祭りが催される。最近は三〇台余の子供太鼓も盛んである。
 三島神社は国道一一号に沿う旧県社で、社伝によると養老四年(七二〇)宇摩の大領越智玉澄が、大山祇神社(越智郡大三島町)の神霊を勧請して一社を造営したのに始まるという。現在の社殿は明治二三年(一八九〇)に再建された権現造りの建物で、延徳二年(一四九〇)造営といわれる旧本殿や、文政四年(一八二一)建築の神門などがある。
 また同市寒川町の石戸八幡神社の祭礼では、二体の船みこしが運行する。昭和五六年に寒川町江ノ元地区で新築した「八幡丸」は、長さ七m、幅二m、高さ三mで、重さは二・二トンに及ぶ。同神社祭礼のハイライトは二体の船みこしの運行で、その際に歌われる八幡丸船唄は、室町時代以前のものといわれ、市指定無形文化財である。
 川之江市の秋祭りは一〇月一四日~一五日に行われ、大人と子供を合わせて約五〇台の太鼓台と十数台のみこしがくりだす。川之江の太鼓台は、川之江流とよぶ独特の打ち方があり、また掛け声も伊勢音頭海老屋甚句の「ハリワイナ コリワイナ」が原型といわれる。
 川之江市の太鼓台の歴史は文化三年(一八〇六)に始まるとされ、太鼓台の様式も新居浜市の太鼓台とは多少異なる。また、川之江町の八幡神社の祭礼では、浜地区から関船が運行される。





表5-38 第19回みなと祭り行事日程表(伊予三島市)

表5-38 第19回みなと祭り行事日程表(伊予三島市)