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愛媛県史 地誌Ⅱ(東予東部)(昭和63年2月29日発行)

三 塩塚高原の開発と農業

 塩塚高原の開発

 塩塚高原は宇摩郡新宮村と徳島県三好郡山城村との境にある塩塚峰(一〇四三m)を中心に広がる高原である。冬季の積雪は一mにも達するため、「樹木生ぜず、只、草茅を生ず」(『宇摩郡地誌』)と記されているように、わずかに麓の住民がカヤ場として利用してきたにすぎない。しかし、住宅様式の変化によってカヤ場としての価値もほとんど消失してしまい、その後は忘れかけられた存在となっていた。
 昭和三九年に塩塚高原の広大な緩斜面と夏にも冷涼な気候を生かして乳牛の子牛を育成するための牧場を開こうとする動きがおこり、同年愛媛酪農業協同組合(四〇年に県酪連に吸収合併)によって塩塚高原の開発が始まった。子牛が導入されたのは四一年からであるが、最盛時には一二〇頭の乳牛が約七〇haの塩塚牧場で草をはむ風景も見られた。同牧場における育成事業は四六・七年まで続いたが、病虫害の多発によって中止されてしまった。
 素晴らしい自然の残る塩塚高原を、観光・レクレーションの場として活用することは、新宮村の活性化にもっながることである。このため同村では、関係省庁に対して「自然休養村」の指定を働きかけた。「自然休養村」や「自然活用村」・「緑の村」等は都市住民の心の要望を満たすとともに、観光農林漁業を振興し農林漁業に従事する人々の就労機会を増大させること等を目的とするものであった。県内では塩塚高原自然休養村(新宮村)のほか久万高原自然休養村(久万町)、御槇自然休養村(津島町)、南大三島自然休養村(大三島町)、上浦自然活用村(上浦町)などがある。
 塩塚高原自然休養村は五一年に指定され、以後五六年度まで国庫補助事業等により、総額四億五八二三万円を投じて各種施設・設備の整備事業が行われてきた(表6―5)。この結果、自然休養村施設としてキャンプ場、観光栗園、高冷地野菜の集出荷施設などのほか少年自然の家を基地として学習する子どもたちのための学童農園が設けられ(写真6―6)、そこまでのアクセス道路の改良・舗装も施工された。さらに、高原の麓にあたる新宮村新瀬川には少年自然の家に隣接して自然休養村管理センターが建設され、その周辺には体育施設やキャンプ場、釣堀等も整備された。管理センターには会議、宿泊施設も整っており、五九年の同施設利用人員は日帰り二〇九四人、宿泊五一二人にのぼっている。自然休養村開設以来数年経た今日、村内外の人々にその意義が次第に理解されるようになってきた。しかし、今後一層諸施設の効果的活用法を検討することは、新宮村にとって重要な課題となっている。なお、塩塚高原では六〇年から新宮村と徳島県山城町との共催で三〇haにも及ぶカヤ場の「山焼き」が復活し、また、六二年八月からは村おこしの一環として牧羊を始めるなど、同村における観光の拠点として新しい試みもなされつつある。

 高冷地野菜の栽培

 自然休養村整備事業の一環として高冷地野菜生産組合が設立され、高原特有の夏でも冷涼な気候を利用して冬野菜の夏季栽培が行われている。同組合は任意組合として五三年から発足し、現在由藤良市・加藤栄治・藤田了士・石川和弘・石川定光の五名で組合を構成している。塩塚峰にほど近い平垣地に四・五haの農地を開き、五五年から本格的な栽培、出荷を行っている。当地で野菜栽培が可能な期間は五月上旬~一〇月下旬までであり、その期間をフルに活用して野菜を連続的に栽培している(写真6―7)。塩塚高原では烈風の吹きつけることがしばしばあるため、地上から上の部分は損傷が激しく商品としての価値は低くなる欠点がある。このため高冷地野菜生産組合ではもっぱら大根の栽培を行い、「塩塚高原だいこん」として主に伊予三島・新居浜市に出荷しており、つけものの一部は地元で販売している。生産量は五八年には九〇トン(約四〇〇万円)に達したが、他の年は二〇~四〇トン程度である。厳しい自然条件下にあるとは言え、今後、多くの工夫や改良を行うことによって生産を安定的に増加させることは、新宮村の農業振興にとって重要な意義をもつものと言えよう。





表6-5 新宮村塩塚高原自然休養村整備の概要

表6-5 新宮村塩塚高原自然休養村整備の概要