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愛媛県史 地誌Ⅱ(東予東部)(昭和63年2月29日発行)

二 赤石山系と法皇スカイライン

 赤石山系

 新居浜市から宇摩郡土居町にかけて、市街地の南方にほぼ東西にのびる山地を赤石山系といい、石鎚山脈の支脈の一つである。笹ヶ峰東方のちち山で、この赤石山系と分岐したもう一つの支脈は高知県境の山脈をなし、これと赤石山系との間を銅山川加東流している。
 赤石山系はちち山の別れからハネヅル山に至る、東西約一五㎞、南北約一〇㎞の山系で、主峰の東赤石(標高一七〇七m)を中心に、一四〇〇m~一七〇〇mの山々が連なっている(図6―14)。これらのピークを結ぶ尾根の北側は、中央構造線の一部をなす石鎚断層崖にあたる。そのため北側の山腹は急斜面で、断層崖の麓に広がる細長い平野には、中・小の扇状地が発達している。また、赤石山系から東にのびる尾根は、ニツ岳北東の赤星山を経て翠波峰に続くやや低い山脈となっている。これを法皇山脈とよび、その北側を嶺北地方、南側を嶺南地方という。
 赤石山系の主峰東赤石は、宇摩郡土居町と同別子山村の境にあり、山頂付近は橄攬岩の岩場をなしている。赤石の名は、橄攬岩に含まれる鉄分が酸化して赤色を呈するところからついたものといわれる。東赤石の橄攬岩は一部に蛇紋岩を含み、またクロム透輝石やクロムざくろ石なども産する。
 東赤石の北側八合口付近で操業していた赤石鉱山は、クロム鉄鉱とオリビンサンドを産出していた。オリビンサンドは、橄攬岩が耐火物原料として優れた性質をもつので、それを採掘して加工したものである。昭和三三年には明治鉱業㈱から独立した赤石オリビン㈱が操業していたが、四八年以降採掘を中止している。
 赤石山系は登山やハイキングに適したコースが多く、銅山峰や八巻山には山小屋も設置されている。銅山峰ヒュッテ(伊藤玉男経営)は、銅山峰北斜面の標高一一〇〇mの位置にあり、収容人員約一〇〇人で年中営業している。銅山峰へは、一般に新居浜市の鹿森ダム湖畔から登る。また赤石山荘(伊藤朝春経営)は八巻山南斜面の石室(標高一五五〇m)にあり、収容人員は約一〇〇人である(写真6―23)。赤石山荘の主な営業期間は七・八月で、このほか一二月~三月の冬季を除く土・日曜日等にも営業している。東赤石への登山路は、土居町五郎津から登るものと、別子山村筏津から登るものがあり、また銅山越からは西赤石を経て縦走路が通じている。
 赤石山系の山は橄攬岩のほか、緑色片岩・黒色片岩・角閃岩・蛇紋岩などからなり、緑色片岩の間には銅鉱床をはさんでいる所がある。元禄四年(一六九一)に開坑した別子銅山はその代表で、昭和四八年に閉山するまで、日本の三大銅山として知られた。西赤石から銅山越に至る赤石山系西部には、最初の坑口である歓喜坑をはじめ、別子銅山の遺跡が数多く分布し、それらを訪れる登山客も多い。
 また、赤石山系は高山植物・亜高山植物が豊富で、特につがざくらやあかものの群落は有名である。海抜高度が低い割に高山植物が多いのは、赤石山系が強い南風にさらされて高山地帯特有の乾燥した砂礫地と同様の地形ができているためとみられる。これらの高山・亜高山植物の分布は、赤石山系を形成している母岩の相違によって地域差がみられる。例えば、つがざくらやあかものは角閃岩・結晶片岩地帯に分布し、橄攬岩地帯には、こうすゆきそう・ゆきわりそうなどがみられる。また、土居町の物産品として知られる赤石五葉(ヒメコマツ)も、橄攬岩地帯特有の植物である。赤石山系の登山客の中には、こうした高山植物の花の季節に訪れる人も多い。

 翠波高原と法皇スカイライン

 伊予三島市や川之江市の市街地の背後に、ほぼ東西にのびる山脈を法皇山脈という。この山脈は、土居町と伊予三島市の境界にある赤星山(標高一四五三m)から東へのび、豊受山(一二四七m)、鋸山(一〇一七m)・翠波峰(八九二m)・平石山(八二六m)としだいに高度を下げ、堀切峠・呉石高原に続く山なみである。
 翠波峰は法皇山脈のほぼ中央に位置し、水波峰とも書く。翠波峰一帯は麓の金砂湖・富郷渓谷と共に、昭和三六年金砂湖県立自然公園に指定された景勝地で、瀬戸内海や金砂湖・四国山地の眺望が開けている。翠波峰付近の山頂は、森林と草原のながらかな起伏が続く平坦地で、翠波高原とよばれる。翠波峰の山頂に祀られている水波大権現は、江戸時代から水の神として信仰されてきた。また、千間平の湿原には県指定天然記念物のえひめあやめの自生地があり、そのあたりはあやめ池とよばれている。
 翠波峰の南斜面に、かつては大段山牧場が開かれていたが、その跡地の緩斜面に約一haのコスモス畑が作られた。昭和六一年夏にこのコスモス畑がテレビや新聞で報導され、翠波高原の代表的観光地として大勢の見物客が訪れるようになった(写真6―24)。六一年に翠波高原を訪れた観光客は一万七〇〇〇人で、前年に比べ約三〇%増加している。このように、翠波高原は伊予三島市の最も新しい観光地として注目を集めている。
 翠波高原の観光開発は、昭和五八年七月に完成した法皇スカイラインによって代表される(図6―15)。この道路は翠波高原の山頂付近を走る全長七・九㎞の観光道路で、高圧送電線建設のために作られた作業道を改修整備したものである。法皇スカイラインからは麓の金砂湖や瀬戸内海が一望に眺められ、またコスモス畑に隣接して大段山北斜面九〇〇〇平方mに「サクラの園」が作られた。
 法皇スカイラインに至る道路は、同市寒川町にある新長谷寺から登る観音谷林道と、法皇トンネル南口下から登る大段山牧道があり、他に市内上柏町の馬瀬林道も開通した。このように、伊予三島市では法皇スカイライン・翠波高原や、金砂湖を含む嶺南地方の観光開発に力を注いでおり、将来は翠波高原のキャンプ場建設も計画されている。また法皇山脈は、ハンググライダーの飛行条件に恵まれ、飛行基地としても注目を集めている。




図6-14 赤石山系と銅山川上流(門田原図)

図6-14 赤石山系と銅山川上流(門田原図)


図6-15 法皇スカイライン

図6-15 法皇スカイライン