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愛媛県史 地誌Ⅱ(東予西部)(昭和61年12月31日発行)

四 来島海峡と沿岸地域

 近見山

 市街地の北西二㎞にあり、標高二四三・七m。今治地方を代表する名山で、瀬戸内海国立公園に含まれる。準平原中の残丘であるため、燧灘、今治市街、来島海峡、芸予の島々、斎灘、高縄連山と四方に展望がひらけている。
 観光開発は明治時代から計画され、大正一〇年には楠岡謙吉らによる拓山会の結成、開発計画があった。
 第二次大戦後は今治地方観光協会によって開発が進められ、登山道やドライブウェイを完成した。今治市民には最も親しまれている山で、登山口は波止浜側に二か所、近見・日吉側から四か所がある。三一年に開発事業に着工、四〇年度までに八五八四万円とその他附帯工事に一〇一四万円を投入、車道一六一三m(幅四・四~五・五m)、駐車場二(一一三三平方m)、連絡道四八四m(幅二m)、展望台(八〇平方m)、保護柵一一〇m、トイレ、ガードレール二七〇m、門柱一基を完成した。多年にわたる近見中学校生徒の清掃奉仕は山の美化に大きく役立った。
 三六年には国鉄の周遊地に指定された。


 来島海峡と渦潮

 来島海峡は、燧灘と安芸灘をつなぐ瀬戸内海の要衝で、有人五無人六島によって四つの水道に分かれているが、いずれも狭く屈曲し、暗礁も多く、さらに潮流も速く航行船舶にとっては内海第一の難所となっている。潮流の最も速いときは時速一五㎞、落差二mにも達して各所に大渦がまき、島の緑や紅白の燈台に映え、往来する大小数多くの船舶と重なってすばらしい景観である(写真2―59)。


 来島城跡

 来島は瀬戸内海第一の海の難所、来島海峡の要の位置にある。周囲わずか一㎞の小島であるが、急潮流に守られる天然の要塞で、全島が城跡であり貴重な史跡である。
 波止浜港に面した島の南岸には人家が密集しているが、北岸一帯は絶壁で、その下が岩礁になっており、おびただしい数の築城遺構である柱穴が残っている。その形は大小さまざまであるが、なかには一辺一mに近い方形の穴もある。また島の上の館跡と推定される所には、堅固に築かれた石垣が四段にわたって残り、付近には矢竹が密生している。南岸の八千矛神社は、来島築城と共にその守護神として建立されたものである。

          
 小島と芸予砲台跡
          
 来島の北東、来島瀬戸を隔てて約五〇〇mの所にある面積〇・五平方㎞、標高一〇〇mの島で、日露戦争当時の芸予要塞の跡がある。海水浴場に適し、キャンプ場がある。
 芸予要塞小島砲台は内海防御の目的で、明治三二年(一八九九)から七年間をかけて築かれたものである。一二門の砲台が、南部・北部・中部の三か所に建設され、赤煉瓦の兵舎、火薬庫、探照灯、発電所も設けられた。しかし、大正一一年(一九二二)には廃止が決まり、同一五年の陸海軍による爆破演習の後、昭和二年町に払い下げられ、砲台跡は公園化された。
 島内の観光資源であり貴重な史跡である各砲台跡に通じる遊歩道(約一八八〇m)は、昭和五二年度に全線舗装が完了し、更にこの遊歩道の両側へは昭和五三年度から三か年で約二〇〇〇本のつばき植栽が行われ、つばきの並木道整備を図っている。五四年度には観光案内施設整備事業で案内板・表示板・道標、ベンチ等の設置を行い、遊歩客の便利さと利用者の増大が期待されている。
 小島の西端は渦潮がみごとである。


 馬島・中渡島・武志島

 武志島、中渡島には南北朝以降の能島水軍・来島水軍等の本拠、あるいは出城としての歴史がある。馬島は、むかしは今治藩の牧場があり、牧島とよばれていた。
 小島から中渡島にかけての本船航路は馬島によって二分され、馬島と小島の聞は幅約八七〇mで西水道とよばれ、馬島と東隣の中渡島との間は幅約四五〇mで中水道とよばれている。中水道は来島海峡の中でも、最も潮流の早い所で、春秋の大潮時には一〇ノット以上となり、直径一〇m以上の巨大な渦(八幡渦)がいくつも発生する。航行する船は中水道では潮流に乗り、西水道では潮流に逆らって進むという規定になっており、その方向を示すのは、明治三三年(一九〇〇)に日本で初めて作られた中渡島の潮流信号所(当初は燈台)である。
      

 糸山公園
      
 波止浜の対岸、来島海峡の中央部に突出した岬で頂上部は九八m。西水道に向かって突き出しているので、この急潮にさからって進む船の姿も眼下に眺めることができる。今治の市街地や芸予の島々、波止浜湾や来島を望む景勝の地で、瀬戸内海国立公園に指定されている。また、来島第三大橋の架橋予定地ともなっている。
 昭和初期には野口雨情や中山晋平も訪れて歌を残している。句碑等も多く高浜虚子・雨情・柳原極堂のものなどが目を楽しませる。
 市民も早くから散策を楽しんでいたが、昭和三〇年頃から観光開発が急速に進められ、ドライブウェーが開通し(無料駐車場二か所あり)、南側の山頂には二階建の円形展望台や遊歩道も完成しており、春の桜、秋の紅葉のころは家族連れの客が多い。   


 波止浜公園
       
 波止浜のすぐ裏山にある海抜約四〇mの丘陵が公園として整備されている。ここは来島海峡一帯、糸山とともに瀬戸内海国立公園に含まれている。対岸の糸山との間に広がる波止浜湾は造船業地帯で、湾岸には大小様々な船やクレーンが並び、巨大な水門の奥には広々とした貯木場があり、はつらつとした波止浜の産業景観を眺めることができる。また、湾口の来島・小島など来島海峡の島々や激流を眺め、観潮にまた来島水軍や芸予の要塞をしのぶのに最適の地である。春は桜が見事であり、ドライブウェーも開通している。昭和一三年国指定名勝地となった。
 古くは寛政七年(一七九五)に小林一茶が来遊して花雀亭に泊まり、巣月庵に遊んでいる。公園を訪れた著名人には南画院の一行、澄宮殿下、河東碧梧桐・吉井勇・高浜虚子らがあり、園内には虚子・今井つる女らの句碑がある。