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愛媛県史 地誌Ⅱ(東予西部)(昭和61年12月31日発行)

三 宮浦の門前町

 門前町の形成

 大三島町役場の所在地である宮浦の市街地は、大山祇神社の前にひろがる典型的な門前町である。大山祇神社は延喜式神名帳に記載されている古社であり、伊予国の一の宮、日本総鎮守といわれている。その起源については諸説があるが、社伝によると大山積神を祖神とする伊予国造乎知命が、この神を祭り、その子孫の越智玉純が養老三年(七一九)現在の地に社殿を建立したという。神社は越智地方に勢力を振るった越智氏の同族結合の中心であり、その一族三島大祝は大山祇神社の祭祀をつかさどった。鎌倉時代以降は、越智氏の流れをくむといわれる中世伊予国最大の豪族河野氏の氏神として崇敬され、社殿、祭具などが寄進され、また武運長久を祈る武将たちからおびただしい武具甲冑の奉納がなされた。戦国争乱のうちに河野氏が滅亡し、幕藩体制が確立すると、大山祇神社は松山藩領となり、その庇護のもとに神社の経営はなされる。
 大山祇神社の大祭は、古来二月・四月・一一月の三回であり、四月の大祭日には三島市が開催されていた。その市が開催された起源は不明であるが、松山藩では三島市の繁栄策を講じることによって、祭事に多くの賽客を集め、神社の賽物の増加をはかると共に、祭市からあがる入市税・運上金・場床賃の増収をもくろんだ。
 祭市の振興策として画期的な建議をなしたのは松山城下の町人薬屋五兵衛である。彼は祭市の振興策として、祭礼市の日数の延長や市中に富札を発行することなどと共に、門前町の建設を藩主に建議した。門前町の建設工事は安永五年(一七七六)奉行目付および市場元方薬屋五兵衛の立ち会いのうえに着工され、安永七年に完成した。従来市の期間中は、本川筋の川床に商家が小屋掛をしていたが、ここに本川筋を付け替えて、その川跡に常設の在町が形成されたのである。商家の間口は三間半または七間に区分され、当初は三六軒の町屋が形成されたと推察される。この新市街地は新地町と呼ばれ、その呼称は今日に継承されている。門前町では市日の間に歌舞伎芝居が催され、富くじが発行され、賭け碁・賭け将棋が開かれ、遊女も公許され、藩内外から多くの参詣者が集まり、大いに賑った。


 門前町の現況

 明治四四年(一九一一)編集の『宮浦村郷土誌』によると、宮浦村の戸数は四〇一戸、うち農業二三五、工業三八、商業七二、漁業三〇、その他二六となっている。このうち商工業に従事する者の多くは、門前町である宮浦の新地町に居住していた。明治維新以降も宮浦の門前町は大山祇神社への参詣客を相手とする旅館、土産物店が栄え、また島内随一の商業集落として、島内からの買い物客でも賑った。また明治末年には今治警察署宮浦分署・大三島郵便局・今治区裁判所宮浦出張所などがあり、越智諸島の行政の中心地でもあった。
 昭和二五年頃の宮浦の街村は約二〇〇軒のうち商店約六〇軒、うち土産物店が六軒、飲食店が九軒、旅館が五軒であると誌されている。昭和六〇年現在でみると、神社から港に至る街村の部分の民家は約二六〇軒、うち商店や事業所などが半数の約一三〇軒ある。家屋数は街村の南側にバイパスが形成されたり、北側の裏通りに住宅街が形成され、また港近くに旧河口を埋め立てて美串通りが形成されて、近年増加している。また商家・事業所なども、宮浦が新生の大三島町の基幹集落となったことから増加している。
 門前町を構成する三大要素は旅館と飲食店と土産物店であるといわれているが、旅館は民宿三軒を含めて八軒、飲食店は二〇軒、土産物店は厳密には区分しがたいが、菓子店六軒を数えることができる。旅館や飲食店・土産物店は神社近くと港近くに多く、中間の地区にはあまり見られない(図5-37)。市街地が南のバイパスぞい、港近くの埋め立て地へと拡大されたので、その方面に新たに食堂や旅館が形成され、旧来の新地の街村は活気に乏しく、一般住宅や空家も多くなっている。また街村の中にあった官公庁なども新たな用地を求めて、街村の周辺地域にと進出したことも、旧来の街村地区の活気をそぐ一要因となった(図5-38)。
 宮浦の街村の住民の出身地をみると、現在の大三島町の各集落から転入したものの比率が高く、全体の三分の二を占める。これら他地区からの転入者は、旧来の街村地区の住民が転出した空家に転入したり、新しい市街地に住宅や商店を新築する者が多い。旧来の宮浦の街村の住民は昭和初期以来、大阪や東京、今治や尾道などへ転出を続けているが、特に昭和四〇年代後半になって、みかんブームが去って以降の転出が多い。これらの者は進取の気風に富むものが、より大きな収益を求めて転出していったといえる。

図5-37 大三島町宮浦の門前町の店舗構成(昭和60年)

図5-37 大三島町宮浦の門前町の店舗構成(昭和60年)


図5-38 大三島町宮浦の市街地の発展

図5-38 大三島町宮浦の市街地の発展