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愛媛県史 地誌Ⅱ(東予西部)(昭和61年12月31日発行)

五 伯方島北浦の石工

 カチのはじまり

 かつて伯方島の北浦地区には「カチ」と呼ばれる石工が多数いた。この背景には北浦地区の地理的・歴史的条件が深く関係している。北浦地区は伯方町の東北部に位置し、平地はY字形をしている。この平地は現在は水田となっているが、古くは海であった。江戸時代の中~後期にかけて干拓などにより新田開発が盛んに行われ、塩田の開発も行われるようになった。この結果、明治四年(一八七一)には本田畑三四町一反、新田畑三三町六反となり塩田も五浜を数えていた。しかし、人口の増加も著しく、慶安元年(一六四八)には一九一人であった人口が、文化三年(一八〇六)には九一六人となり、明治四年には一五六九人となった。このため、人々は副業や出稼ぎに頼ることが多くなっていったが、島外への出稼ぎは石山稼業がほとんどを占めていた。
 北浦の石山稼業は慶長年間(一五九六~一六一五)に始まった藤堂高虎による今治築城にまでさかのぼるとされている。当時、城普請の心得のある大工や石工が多数集められた。北浦村の人々は水軍時代の経験を生かして、小舟を駆使して築石を運んだり石積みを行ったが、これらのことに大変熟練しており築城に大いに貢献した。石材は国分山城の石垣を利用するほか、関前の石材も切り出してこれを小舟にのせて運んだと伝えられている。この結果、北浦村の石工は有名となり、北浦のカチとか北浦の石船とか言われるようになった。


 カチの移り変わりと現状

 江戸時代から北浦の男性はそのほとんどが石工か浜子になっていたが、中でも石工の割合が非  常に高かった。カチの語源は定かではないが、石工のうち一人前に仕事が出来るようになった者をカチと言い、カチとして出稼ぎにでることを「カチ行き」と言っていた。カチ行きの場所は、当初は瀬戸内海の北木島(岡山県)、小豆島(香川県)、倉橋島(広島県)、大津島(山口県)等の石山であったが、鉄道が開通するのに伴って次第にその行動範囲は広がっていった。カチたちは石割り道具(写真5-32)をかついで東北から九州にいたる各地の石山はもとより、朝鮮半島にまでその足跡を残している。現在でも三陸海岸に面する岩手県下閉伊郡山田町には赤瀬姓を名乗る家が三軒あるが、いずれも祖父が石屋で伊予の北浦の出身であると言っており、カチの旺盛な行動力を物語っている。
 カチは巨大な石材の切り出しも行うが、大部分の仕事はケンチ石(検地石のことか)の切り出しを行うとであった。このため、大規模な港湾工事、護岸工事、林道工事、トンネル工事等が行われる所は、北浦のカチの活躍する場となった。カチ行きが最も盛んであったのは明治から大正にかけての時期であった。彼らが手がけた代表的な工事は戦前では大阪築港、多度津築港、箱根登山鉄道、山陽鉄道等のほか朝鮮では砲台築造工事にも従事した。この他、日本銀行の建築や靖国神社の大鳥居等も彼らの手による所が大きかった。最盛期には北浦から五〇〇~六〇〇人のカチが出稼ぎに行っていた。出稼ぎに行った場合、故郷に帰るのは旧正月及び旧盆から秋祭りまでの期間の二回であった。昭和初期のカチの賃金はケンチ石一個につき七銭で日役は約二円が相場となっていた。当時の一般の大工の日役が七〇~八〇銭であったから、カチの収入は高額であり、このことがカチ行きの厳しい仕事にも耐えさせたと経験者は述懐している。また、終戦直後の賃金は日役が約五円であり、一か月間に平均二〇日間働いて百円というのが毎月の収入相場であった。食事代や宿泊代は雇い主が支払うことになっていたから、得た賃金のすべてが収入となっていた。まとまったお金は現金書留で妻子の待つ北浦に届けられていた。カチ行きは相当の体力を必要としたことから、六〇歳代の前半をもって終え、その後は田畑を購入して農業を行うことが一般的であった。
 カチは職責により頭領、二番頭領、職人、カシキあがり、カシキと分かれており、各地の石山へは七~八人が一グループを形成して出かけていたが、多い場合には二〇人以上のグループになることもあった。北浦のカチの場合、最初に仕事を習う場所は大島の石山であり、仕事を一人前に行うことができるようになった段階でカチ行きの資格を得ていた。戦後もしばらくはカチの需要は高く、黒四ダム、東海道新幹線等の工事にも従事したが、護岸工事等に用いられる材料がケンチ石からコンクリート製品に変化するのに伴い急速に減少し、五八年頃を最後にカチ行きの姿は消えた。一時期五〇〇名以上を数えたカチ経験者も徐々に少なくなり、現存するカチ経験者はわずか六三名となっている(表5-71)。現在では三〇歳代の人々にはカチ行きを経験している者はいなく、石工となっている者も大島の石山に通勤する者が約一〇名いるのみである。

表5-71 伯方町北浦地区の現存するカチ経験者

表5-71 伯方町北浦地区の現存するカチ経験者