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愛媛県史 地誌Ⅱ(南予)(昭和60年3月31日発行)

一 稲作と蔬菜栽培

 野村町の農業の特色

 野村盆地は東宇和郡東部に位置し、肱川の上流宇和川流域に開けた海抜約一四〇~二〇〇mの盆地である。宇和川は盆地の中央を北流し、流域には砂磯層の河岸段丘が発達している。盆地の規模は東西約一・五㎞、南北約三㎞の長方形で、宇和盆地や大洲盆地に比べると小規模である。この盆地を含む野村町は東西四二㎞、南北一六㎞の細長い中山性山間地帯で、東端には高知県境に接する大野ヶ原がある。昭和一九年以降乳牛が導入され、酪農と養蚕、葉たばこを基幹作目とする農業地帯として発展し、「ミルクとシルクの町」とよばれるようになった。四五年に肉牛、四九年には養豚を取り入れ、水田転作によるきゅうりを柱とした野菜栽培にも力を入れている。また果樹ではくり栽培が盛んで、林産物としてしいたけの生産も多い。
 現在の野村町の農業の中心は畜産で、五七年の農業粗生産額でみると乳用牛が三六・四%、肉用牛一一・六%、豚九・九%で、畜産全体では五八・〇%に達する。これに対し耕種部門は三六・○%しかなく、そのうち米が一三・八%、工芸作物一一・一%、果実四・八%、野菜四・六%である。また養蚕は六・〇%で隣接の城川町と共に養蚕の盛んな地域である。図4―12をみると野村町の農業生産額は冷夏の五五年を除きわずかずつ増加しており、乳牛の比重が大きいことがわかる。
 野村町では二〇〇一戸の農家が野村町農業協同組合の正組合員で、これは全農家の九五・一%にあたる。野村町農協の生産活動は酪農課・畜産課及び生産課にょって行なわれ、各農家は各課に設置された部会に所属する。酪農経営者協議会は一一支部で二四三戸の農家が所属し、酪農多頭部会(八〇戸)、乳牛改良検定同志会(六〇戸)などの下部組織をもつ。畜産課は養豚部会と肉用牛生産者協議会からなり、生産課には野菜生産者協議会(六一〇戸)、葉たばこ部会(一三六戸)、栗生産同志会(一三五〇戸)、ゆず部会(四五戸)、ぶどう部会(一八戸)、生しいたけ部会(三六〇戸)などがある。

 野村町の稲作

 野村町の耕地面積二三一〇ヘクタールのうち、田は八一七ヘクタールで耕地全体の三五・四%を占め、残りの畑のうち普通畑は六四三ヘクタール、樹園地は六七八ヘクタール、牧草地一六九ヘクタールである。特に牧草地は県全体の七〇・四%に達し、畜産を主体とする野村町の農業の構造がよくあらわれている(五七年)。酪農・養蚕・葉たばこを基幹作物としている野村町では稲作の地位は従属的であるが、酪農専業の一七戸を除きほとんどの農家の営農類型に米が含まれている(表4―12)。専業農家の主な類型は、米+養蚕、米+酪農、米+葉たばこ、米+酪農+養蚕、米+養蚕+栗で、大部分の専業農家は、このうちどれかに属している。
 第一種兼業農家の主な類型はほぼ専業農家に類似しているが、経営規模が専業農家より小さい。また第二種兼業農家の類型は、米単作、米+栗、米+しいたけ+栗の組合せが大勢を占めている。このうち米の単作農家は四二二戸で、地区別では野村一八九戸、渓筋七四戸、中筋一一〇戸、横林二五戸、貝吹二四戸で、惣川・大野ヶ原にはみられない。このように、野村町の稲作は主幹作目ではないがほとんどの農家が関係している。しかし農家一戸当たりの田の面積は三八・八アールで、稲作の盛んな宇和町(六八・四アール)に比べるとかなり低く県平均(三三・一アール)に近い。また水田八一七ヘクタールのうち一毛田が五五四ヘクタールを占め、湿田率は六七・八%ときわめて高い。このうち整備可能水田面積は約二七〇ヘクタールで、整備が完了しているものは五二ヘクタールにすぎず、整備率は六・二%と低い状況である。また一区画当たり平均面積がニアールと狭少で、中山性山間地帯では棚田が多い。一〇アール当たり収量は二三年ころから三一年までは二七〇㎏と低かったが、三二年ころから増加傾向をたどり、五四年には四三〇㎏に達している。
 水稲作付面積は四五年までは八四〇~八七〇ヘクタールの間で推移したが、米の生産調整政策により四六年以降減少を続け、第二期水田利用再編対策初年度の五六年には六〇〇ヘクタールとなり、最盛時に比べ二七〇ヘクタールも減少した。しかし五七年には作付面積が六二三ヘクタール(前年比三〇ヘクタール増)に回復している。五七年度の水稲作況指数は九六で三年連続の不作となった。野村町においても反当収量は平均四〇七㎏で平年を大きく下まわり、政府買上げ数量が割当てに対し約六〇〇〇袋未出荷となる状態を生じた。五七年度産米出荷実績は限度数量五万二七九袋に対し四万四三二二袋で、その充足率は八八%であった。そのため農協倉庫の政府米もほとんど出つくし、全国的に米のひっ迫状態が生じた。五七年度は水田利用再編対策第二期の二年目で、野村町の減反割当面積二〇六・二ヘクタールに対し、実施面積二二四・九ヘクタールで割当対比は一〇九・〇%であった。
 五八年度は水田利用再編第二期対策の最後の年にあたるが米の情勢は大きく変わってきた。三年連続の不作に伴い野村町でも一一・四ヘクタールの減反緩和策がとられた。割当減反面積は一九七ヘクタールで、作付拡大が図られた形にはなったが、耕作作目が定着化しているので増産を実現するには反当収量の増大が課題となった。五九年度は水田利用再編第三期対策の初年度で、野村町の転作水田配分面積は一九二・七ヘクタールである。
 五八年産米の地域別出荷量を野村町農協の本・支所別にみると、本所二万四九三九袋(もち米を含む)、渓筋九三九六袋、中筋九二八六袋、横林八九三袋、東六二〇一袋、惣川九八八袋、合計五万一七〇三袋であった。この年の割当限度数量は五万二四二二袋であったから目標を達成することができず、四年連続の不作となった。国の水田再編対策は六五年を目標に七三万~八〇万ヘクタールの転作を計画し、そのときの野村町の割当予想は二五〇ヘクタールであるが、米の生産情況が予想を下まわっているため六〇年の生産計画(五五年作成)の修正が必要である(表4―13)。
 野村町で栽培されている水稲品種は地域により多少の違いがあるが、作付面積の第一位はミネニシキ(四一・四%)、第二位は日本晴(二〇・六%)で、以下ヤマビコ(四・八%)、秋津穂(四・五%)、農林二二号(三・二%)、黄金錦(二・五%)などである(五五年)。五四年度産米ではうるち米二六品種、もち米一〇品種が作付され、品種が不統一で食味が悪いとされる品種が多い。そこで、食味のよい品種を中心に品種の統一をはかり、特にミネニシキから日本晴・農林二二号への転換普及をはかっている。なお農林二二号については倒伏が問題となるので、イモチ病に強く食味のよい早生種の導入が検討されている。
 農業用機械の普及は野村町でも著しく、農業内部の労働力不足のもとで、省力化・近代化の名のもとに急激に機械化が進んだ。動力耕耘機・農用トラクターは農家一戸当たり一・四台の割で普及し、近年は中型ないし大型乗用トラクターへと推移している。動力防除機、バインダーなどの普及も一段と進み、個人所有、共有を含めるとほとんどの農家が所有している。これらの農用機械は個別所有が中心で、その利用効率はきわめて悪い。そのため多額の経費を投入することによって機械化貧乏を招くなど、経営的にも問題を生じている。
 こうした農用機械の導入が農業経営を圧迫するのを解消し、平均耕作面積一・一ヘクタールという狭い耕地で効率よく運用するために、野村町農協が事業主体となって機械化銀行が設立された。これにより、水稲・酪農・養蚕などの起耕、刈り取り、播種などは機械化銀行への委託作業とすることができるようになった。また野村地区に共同育苗施設を設置し、水稲・葉たばこ・野菜の共同育苗を行なっている。施設の規模は一三〇〇㎡で、二月上旬~二月下旬に葉たばこ、二月下旬~四月上旬にきゅうり、四月中旬~六月下旬に水稲の育苗を行ない、施設の有効利用を進めている。

 稲作の振興

 野村町では、兼業化や農業従事者の高齢化、稲作の意欲減退に伴う基本技術の後退などの問題に対処して、次のような水稲振興策を定めた。

 ○田植は六月に入ってから行ない、薬剤防除によりイネミズゾウムシの被害を小さくする。
 ○自家育苗を進め、品種及び田植時期が自由に選択できるようにする。
 ○土地基盤整備を実施し土地の有効利用をはかると共に、土づくりや機械の有効利用を進める。

 このうち土地基盤整備は、高生産性農業確立の最重点事項とされ、水田の汎用化が求められている現状から、田畑輪換を可能とする湿田対策などが図られている。その中には六八か所、二五二・六ヘクタールに及ぶ水田区画整理事業や、五五路線、約二六㎞に及ぶ用排水路の新設・改良などがある。また五八年度から五か年計画で実施している県営圃場整備事業では、野村地区の岩村・宮成・寺尾・久保谷・坂本・下野・木落・山王などの九団地で計七八・五ヘクタールの圃場整備が行なわれる。この他の主な土地基盤整備事業には、野村・貝吹地区の農林地一体整備開発パイロット事業(農地造成一一六・○六ヘクタール、区画整理四一・○二ヘクタール)や五九年度に始められた渓筋地区の県営圃場整備事業などがある。圃場整備が完了した地区を中心に農用地の効率的利用を図るため地域農業集団が育成され、これにより中核農家の規模拡大と作目の集団化が進められている。
 このような中核農家及び集団生産組織を育成するためには、農用地の流動化を積極的に推進する必要がある。土地利用銀行はこうした便宜をはかるために設けられたもので、農用地の斡旋、農用地高度利用促進事業の推進と相談、中核農家への土地利用の集積などを行なう。野村町の農地流動化目標面積は二五〇ヘクタールで、五八年までの流動化面積は一六一・七ヘクタール、流動化率は八・二%である (表4―14)。
 このほか、有機質による土作り運動を推進するため堆肥銀行が設置され、畜産農家と耕種農家との協力体制を確立して堆肥と藁などの交換、斡旋を行なっている。

 野菜栽培

 野村町で換金作物として野菜栽培が始められたのは四〇年代末ころからで、野村町農協ではきゅうり・いんげん・かぼちゃ・ほうれんそうなどを主に京阪神市場へ出荷している。このうち中心となる作目はきゅうりで、五七年の栽培面積は三二ヘクタール、生産量は一一四〇トンで、栽培面積は県内第一位、生産高は丹原町・東予市に次いで第三位である(表4―15)。野村町のきゅうり栽培は五一年に国の野菜指定産地に指定された夏秋きゅうりを中心として主産地を形成し、品質がよいため京阪神市場での評価はきわめて高い。栽培品種はきゅうりの中でも味の王様といわれる近成山東で、特に昼夜の温度較差が大きいという気象条件により「す入り」が少ないのが特色で、均一な秀品として評価されている。また低温輸送に取り組んでいることから、日持ちがよいので好評である。
 五七年における野村町農協の本・支所別出荷実績をみると、出荷合計九六五トンのうち本所が五〇三トン(一億四三二万円)で五二・一%を占め、次いで東が一四一トン(一四・六%)、渓筋が一三七トン(一四・二%)で、以下惣川九二トン、中筋五四トン、横林三八トンであった。生産農家は五二年三月に野菜生産協議会にきゅうり部会を設置し、五四年には三五〇名が参加した。きゅうり栽培の課題としては、連作になると嫌地現象が発生してくるので徹底した土づくりが必要なことで、土壌改良資材や堆肥・厩肥の投入などを行なわなければならない。その他の野菜も含めた五七年の作況は、夏場の天候不順と二度の台風による被害・連作障害などにより生産・品質ともに低下した。収量は五六年を下まわったが販売金額ではわずかながら向上し、その作目別前年比はきゅうり一一一%、ほうれんそう一三六%、いんげん一一六%、かぼちゃ一五〇%であった。きゅうり・いんげん・かぼちゃの地区別生産実績は表4―16のとおりで、最近は高齢者対策野菜としてこまつなの試験出荷が始められた。
 野菜は転作作目として全国的に作付面積が年々拡大しており、生産過剰による産地間競争が激化している。野村町では野菜出荷協議会を中心に野菜生産三か年計画を樹立し、消費動向の変化に対応しながら年間連続出荷の輪作体系を強化し、市場の有利性を確保しようとしている。












図4-12 野村町の主要農畜産物生産額の推移

図4-12 野村町の主要農畜産物生産額の推移


表4-12 野村町の主な営農類型

表4-12 野村町の主な営農類型


表4-13 野村町の地区別水稲生産計画

表4-13 野村町の地区別水稲生産計画


表4-14 野村町の農地流動化実績

表4-14 野村町の農地流動化実績


表4-15 愛媛県の主な市町村別のきゅうり生産高と栽培面積

表4-15 愛媛県の主な市町村別のきゅうり生産高と栽培面積


表4-16 野村町における地区別野菜生産

表4-16 野村町における地区別野菜生産