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愛媛県史 地誌Ⅱ(南予)(昭和60年3月31日発行)

三 滑床渓谷と成川渓谷


 自然景観

 宇和島市街地の南東に峨々としてそびえる鬼ヶ城山(一一五一m)は南予の名山の一つである。その鬼ヶ城に源を発して東流する目黒川のうがつ渓谷が滑床渓谷であり、北に流れ下る奈良川の支流のうがつ渓谷が成川渓谷である。海岸からわずか七~八㎞にすぎない両渓谷は、険わしい山地を流れ下り、深山幽谷の趣をみせ、南予随一の山岳観光地である。
 鬼ヶ城山一帯の地質は花崗岩とホルンフェルスよりなる。これは中生代四万十層群の中に新生代第三紀に花崗岩が貫入し、その熱変成によってホルンフェルスが形成されたものである。滑床渓谷はほぼ全域花崗岩からなり、成川渓谷も大部分が花崗岩で、一部下流域がホルンフェルスになっている。花崗岩は節理にそう侵食作用や板状の削剥作用を特色とするので、一枚岩の巨岩や平滑な岩肌を形成しやすい。滑床には河床全体が平滑な岩肌となっているナメリ床や、一枚岩の岩肌を布状に水の落下するナメリ滝が多く見られる。滑床の地名はこのナメリ床に由来するものである。
 滑床探勝の起点はバスの終点万年橋である。ここから渓谷ぞいの遊歩道を溯ると随所に景勝地が展開する。まず渓谷左岸に鳥居岩がある。これは二つに割れたホルンフェルスの巨岩の上に、ほかの扁平な岩がかぶさった鳥居型の岩である。その上手には出合滑がある。本流と霧ヶ滝支流の出合を中心とした長大なナメリ床で、一枚の花崗岩の河床を白波をたてて落下する渓流は本流随一の壮観である。出合滑の北側にある霧が滝は、高さ三五mの懸崖にかかる滝で、落下する水が途中の岩に突き当たって霧しぶきとなる。万年橋を溯ること一㎞の右岸から落下する滝が渓谷一の景勝地雪輪の滝である。この滝は花崗岩の一枚岩が約三五度に傾斜し、そこを渓流が雪輪を描いて布状に落下する。露出する岩盤の幅は二〇m、長さは八〇mにも及び、渓流一のナメリ滝である。雪輪の滝の上流には、三ノ滑・ニノ滑・一ノ滑とナメリ床が断続する。
 渓谷に沿う地帯と、渓谷の南側の斜面は一面の天然林で、低地には、しい・かしなどの暖帯性植物が、中腹から上には、もみ・つが・みずめなどの温帯性植物が繁茂する。一方、渓谷の北側の斜面は、すぎ・ひのきの人工林が美林をみせる。渓谷一帯には、いのしし・鹿・猿などの大型哺乳動物が多数棲息する。そのなかで野猿は昭和三五年餌づけされ、観光客の前に出没する。
 滑床の人文景観としては、万年橋の碑と氷室が著名である。前者は天保一一年(一八四〇)宇和島から梅ヶ成峠を越えて目黒に通ずる旧滑床林道が開通し、目黒・滑床方面の物資の輸送が便利になった由来を記したもので、碑文は橋のたもとの巨大な自然石に刻まれている。後者は千畳敷の一角にあり、大正初期まで冬季に生産した天然氷を夏季まで貯蔵していた施設である。
 成川渓谷の自然景観も滑床渓谷とほぼ同様であり、花崗岩のナメリ床を渓流が落下する。この渓谷ぞいの山地は大部分が、すぎ・ひのきの人工林となっているが、渓谷の下流左岸の山腹に天然林が残され、山桜の多いところから「一目千本桜」といわれ、春の桜の開花期は圧観である。

 観光開発と観光客の動向

 自然景観に富む滑床渓谷から成川渓谷にかけての地域は、昭和三五年滑床県立自然公園に指定され、同三九年には足摺宇和海国定公園の一部に指定され、そこが同四七年には足摺宇和海国立公園に昇格する。また同所は同四六年には高知営林局によって滑床自然休養林に指定され、同四九年以降は鳥獣保護区の特別地区にもなっている。
 滑床の観光開発は昭和三二年松野町営のユースホステル万年荘が建設されたことに始まる。同三五年には雪輪の滝に展望台が設置され、同三九年には万年橋~雪輪の滝間の渓谷探勝遊歩道も建設された。この間に昭和三六年には国鉄周遊地に指定され、同四八年には運輸省から青少年旅行村に指定され、その施設として翌四九年にはレストハウス藤ヶ生荘が建設された。昭和四一年には駐車場も完成、自家用車での滑床探勝が便利になる。観光客誘致のために、第一回の滑床まつりが開催されたのは昭和五〇年七月であった。当初水着撮影会を主としていたこの催は、年を追って盛んになり、同五八年八月には水着撮影会に加えて、音楽会や滑床ギネス(丸太切り競争・ますのつかみどり・大声大会など)も催されるようになった。
 一方、成川渓谷の観光開発は昭和三五年温泉旅館の湯元荘が開業したことに始まる。直線状の成川渓谷は断層線に沿って形成されたもので、昔から断層線に沿う冷泉が湧出していた。泉質はラドンを含む単純泉であるが、湯元荘はこの冷泉を利用している。温泉旅館より八〇〇m上手の河原が千畳敷であり、その一角にキャンプ場が開設されたのは昭和三九年であった。
 滑床を訪れる観光客は昭和三〇年代の後半から増加しだし、同四八年ピークに達し、年間二〇万人程度の入込観光客数を数えた。しかしその後は漸減傾向にあり、昭和五七年には宿泊客四四五〇人、日帰り客一一万六〇〇〇人と最盛期の六〇%程度に落ち込んでいる。観光客の訪れる季節は、涼を求めての夏季に最も多く、七・八月の入込客数は全体の七〇%にも達する。次に多いのは春の新緑と秋の紅葉の季節である。成川渓谷のキャンプ場は七月一日から九月三〇日まで開設され、昭和五八年現在では五二〇〇人の利用者が訪れている(表5―58)。





表5-58 滑床観光客の月別入込数

表5-58 滑床観光客の月別入込数