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愛媛県史 地誌Ⅱ(南予)(昭和60年3月31日発行)

二 農地開発事業と圃場整備事業


 松野町の農地開発事業の進捗

 第二次大戦直後の開拓事業は食糧増産のかけ声のもとに、海外からの引揚者や農家の次、三男に未墾地を与え、それを入植者が一鍬づつ開墾する方式であった。このような開拓事業は食糧事情が緩和されるにつれて、次第に行きづまりをみせ、変わって政府が機械開墾した農地を入植者に払い下げるというパイロット方式の開拓事業が考案されることになった。昭和三六年開拓パイロット事業が創設されて以来、全国各地で国営・県営・団体営などの農地開発事業が実施された。愛媛県でも大洲喜多地区で国営総合農地開発事業が実施されたのをはじめ、昭和三七年以来六か所の農地開発事業と一六か所の団体営農地開発事業が実施されてきた。
 松野町の農地開発事業は地区面積一九二ヘクタール、団体数二〇、事業費一八・三億円で、県下最大の農地開発事業として、昭和五〇年着工された。松野町が農地開発事業を受け入れた背景は、当時過疎に悩む同町が、この大型プロジェクトを導入することによって農業振興をはかり、過疎からの脱却をはかろうとしたことにある。松野町の農地開発事業の特色は、愛媛県農業開発公社が開発対象地を先行買収し、そこを県営事業によって機械開墾し、開墾地を農家に払下げたことにある。工事費は国庫負担六五%、県費一七・五%、受益農家の負担一七・五%であった。農家は年利率六・五%、一〇年据置き、一五年償還の農地取得金を借りて、農地を取得した。
 事業は当初昭和五五年に完成の予定であったが、三年間ずれ込み、事業費一九・七億円で同五八年に竣工した。団地のなかには諸種の事情から工事をとり止めた地区もあり、竣工した面積は一六団地、一一一ヘクタールであった。栽培作物も当初は茶と花木を選定していたが、経済情勢の変化から花木の売れ行き不振などにあい、大きく転換し、五八年現在の作物をみると、桃の三〇ヘクタールが最大の作物となっている(表6―1)。

 五郎丸団地の農地開発事業

 五郎丸は松野町役場から一・五㎞の距離にある松野町最大の団地である。この集落は広見川の河岸段丘上にあり、昭和五〇年現在二一戸の農家が氾濫原や段丘面上での水田耕作のかたわら、出稼や宇和島への通勤兼業をしていた。農地開発の対象となったのは、集落背後の天然林のおおう丘陵地であり、昭和五〇年と五一年の間に一九・五ヘクタールの農地が開墾され、地区内の農家一六戸と地区外の農家八戸、計二四戸に農地が払下げられた。農地開発事業の間に五戸の農家が脱農したが、農地の配分を受けた一六戸の農家は、昭和五〇年現在の経営規模八九アールであったものが、同五九年には一五七アールに拡大した。開墾地における栽培作物として、県と町当局が奨励した作物は茶と花木であったが、農家は売れ行き不振の花木と栽培管理に多くの労力を要する茶の栽培をきらい、桃の栽培をした農家が多い。農家が桃を導入したのは、栽培管理に労力と費用が少なくてすむこと、植付後三年目には収穫が上るということが主な理由であった。当初、桃の導入には不安もあったが、鬼北農協の共同出荷体制も軌道にのり、現在県下最大の桃産地となり、主として宇和島市と松山市に桃を出荷している。
 農地開発事業は農家の経営規模拡大をうながしたが、増加した農地を加えても、農業専業の生活はなりたたないので、地区内の兼業農家は少しも減少していない。現在農家の悩みの種は、一〇アール当たり五〇~六〇万円(うち二五万円は工事費)の土地購入資金の償還である。農地取得の最大の目的は資産としての農地の取得であったが農地取得の償還金を得るために、一方では、農家の兼業化が強化されている面もみられる。

 圃場整備事業の進捗

 鬼北盆地の三間町・広見町・松野町は、愛媛県下の中でも圃場整備事業の特に盛んな地区である。圃場整備事業には、県営や団体営の圃場整備事業、農業構造改善事業に伴う圃場整備事業、農村総合整備モデル事業による土地基盤整備事業など、各種のものがあるが、このなかで鬼北盆地は特に県営圃場整備事業を中心に、県下で最も意欲的に圃場整備事業に取り組んでいる地区である。
 鬼北盆地で圃場整備事業に最初に着手したのは三間町であり、大正二年(一九一三)是能地区三〇ヘクタールで耕地整理事業がなされたのを皮切りに、大正三年から四年に成家地区で二五ヘクタール、さらに昭和二八年から三〇年に迫目・宮野下地区で三三ヘクタールの耕地整理がなされた。しかし他の地区では、不整形な小規模な農地がひろがり農作業や灌漑水の配水に不便をきたす水田が多かった。
 第二次大戦後の大規模な圃場整備事業としては、まず農業構造改善事業による圃場整備が、昭和四〇年から四二年の間に三間町の元宗で三三ヘクタール、同四一年から四三年の間に広見町西仲で一八ヘクタール、昭和四八年から五一年の間に同じく広見町の好藤で四八ヘクタール、それぞれ実施された。しかし何といっても画期的な事業は県営の圃場整備事業である。この事業は三間町で昭和四九年から六〇年の間に四二五ヘクタール、広見町で同五〇年から六二年の間に四四〇ヘクタール、松野町で同五五年から六〇年の間に二三四ヘクタールを整備すべく工事が進捗中である。各町村の対象面積は三間町で水田面積の六三%、広見町で五一%、松野町で五六%にあたるが、既存の圃場整備を実施した地区を併せると、三間町では全水田面積の八〇%、広見町では六〇%にも達し、鬼北盆地の町村が、全地域をあげていかに熱心に圃場整備事業にとり組んでいるかよくわかる。
 整備された圃場の広さは、原則として長さ一〇〇m、幅三〇mの三〇アールの区画である。広見町で最初に圃場整備の完成した新田地区についてみると、従前二八〇筆二〇・四ヘクタールの耕地が八〇筆一七・四ヘクタールに整備された。これら整備された耕地では、トラクターやコンバインの使用が容易になり、各集落ともにこれら大型機械の導入がはかられているが、これら農機具は農業改善事業などで導入された地区が多く、集落ごとに機械化組合などを結成して、機械の共同利用をはかっている。
 県営圃場整備事業の経費の負担は、国が四五%、県が二七・五%、地元が二七・五%となっている。広見町では地元負担のうち二・五%を町費でまかない、残り二〇%が受益者負担となっている。昭和五〇年に着手された新田の場合では、一〇アール当たりの受益者負担金は四〇万円にもなっている。農家は年利率六・八%、五年据置き、二〇年償還の近代化資金の融資を受けて、工事費の支払にあてている。このような巨額の費用を負担しても、圃場整備にとり組んでいるのは、専業農家にとっては機械化農業を推進していくためであり、後継者のいない第二種兼業農家などでは、農地を専業農家に貸すためであるという。小区画の不整形な耕地では農地の借り手はなく、農用地増進事業などを活用した農地の貸借を容易にするためにも、圃場整備の必要性が高いという。事実、鬼北盆地は県内では宇和盆地と共に農用地増進事業を活用した土地の貸借の最も盛んな地区であり、圃場整備事業の推進が農地の流動化をうながす一要因となっている。

 三間町元宗の圃場整備事業

 元宗は三間町役場から一㎞東方の三間盆地の一角にある集落である。この集落は第一次農業構造改善事業によって、昭和四〇年から四二年にかけて三三ヘクタールの水田を基盤整備し、機械化農業を推進した鬼北盆地のモデル集落であった。圃場整備する以前の水田は一筆平均五アールの不整形な耕地が、集落の立地する大森山の山麓から集落領域の南端を流れる三間川の間に展開していた。この水田は三つの溜池と三間川の井堰によって灌漑されていたが、潅漑水路が不備なところから、田ごしの水で灌漑する水田も多く、灌漑には不便が多かった。また農道も不備なところから、農作業に際しては他人の水田を通って耕作に行かざるを得ない水田も多かった(図6―1)。                       
 圃場整備事業はこの不整形な水田を一筆三〇アールの長方形の水田に整備し、その間に農道と灌漑水路を縦横に走らせ、灌漑と農作業の便利をはかった。構造改善事業によって導入された大型機械は、トラクター三台(二〇馬力)、コンバイン六台(二条刈り)、防除機一台であったが、この機械を運用するためにつくられた組織が元宗大型機械利用組合である。農機具は一二人のオペレータによって運転され、集落内の水田の耕起・防除・収穫に駆使された。耕起作業は牛で一日一〇アール程度であったものが、トラクターによって一日六〇アール程度になり、収穫作業は鎌で一日七~八アールであったものが、コンバインで四〇~六〇アールにもなったので、農作業の能率は飛躍的に向上した。
 機械化農業の進展は農業労働力の余剰を生み、その余剰労力は稲作以外の作物栽培や畜産業に向けられたり、通勤兼業に向けられるようになった。昭和五七年現在、元宗の農家数三七戸のうち、専業農家は九戸で、二八戸が兼業農家となっている。専業農家の営農類型をみると、米・たばこ・たまねぎを栽培するもの五戸、米・たばこ・養豚を営むもの二戸、米・たまねぎ・酪農を営むもの二戸となっている。一方、兼業農家は宇和島市などへの通勤兼業が多く、営農は米作のみである。現在、機械利用組合の所有する機械は、トラクター四台(二五馬力二台・三〇馬力一台・三五馬力一台)、コンバイン四台(二条刈り一台・四条刈り三台)、動力スプレー一台、ブロードキャスター(肥料散布機)一台となっている。これらの農機具は、大部分の農家が各自で駆使しているが、なかには高齢者で機械の運転できない農家もある。これらの農家のためには、専業農家が機械耕作を受託している。
 元宗は圃場整備事業の結果、機械化農業が進展し、農家は専業農家と兼業農家に二極分化した。その両者は、共同所有の機械をうまく活用して、一方は米作を基盤とした複合経営によって農業所得を伸ばし、一方は農業労働の省力化をすすめるなかで、兼業に主力を注ぎ、農外所得を伸ばしている。元宗は、鬼北盆地のなかでも圃場整備を通じて、農業の機械化・協業化が最も理想的に進展している集落ということができる。














表6-1 松野町の県営農地開発地の主な栽培作物

表6-1 松野町の県営農地開発地の主な栽培作物


図6-1 三間町元宗の圃場整備前と圃場整備後の耕地

図6-1 三間町元宗の圃場整備前と圃場整備後の耕地