データベース『えひめの記憶』
愛媛県史 地誌Ⅱ(中予)(昭和59年3月31日発行)
八 地価の地域性
地価とは
地価とは理論的には次のように説明されている。それぞれの土地利用形態における土地の効用価値に対応した差額地代が、地価に還元されるはずであり、地代としての年収を利子率で資本還元したものが地価である。土地は効用に応じて、その土地を持っているだけで地代収入が得られる。すなわち、土地は地代という価値を生む元手、いわゆる資本と考えられるから、その地代を利子とした貯金を持っていることと同じ理屈になり、地代を利子率で割って資本還元した価格を地価とする理論が生まれる。
現実の地価は二つの性格を持っている。一つは、時価、すなわち土地の市価と呼ばれる「売買価格の地価」であり、一つは、土地に対する課税基準としての「つくられた地価」である。この「つくられた地価」には、路線地価、公示地価などがある。これらの地価は、土地の利用状況、形状地質、交通条件などの多くの地価形成要因を指標とする効用価値を反映して決められるのである。
路線地価
路線地価は、相続税や贈与税の課税のために使う土地の評価額の基準となるものであり、毎年全国一一の国税局と沖縄国税事務所が決めることになっている。各国税局は、土地評価審議会に諮問して、まず都道府県庁所在地の主要道路に面した土地のうち、最も地価の高い地点の評価額(最高路線価)を決める。これを基準に各国税局は、全国で一一万か所の標準地点の路線価を決めていく。
他に公表されている地価には、建設省による公示価格や各都道府県による基準地価格がある。公示価格は、主として市街化区域に標準地を選定しており、市街化区域をもたない小都市、町村、山林まで含めて基準地を設けているのが基準地価格である。
路線地価は、売買価格の約五割、公示価格の約七割といわれているが、ブロックの通りごとに価格が発表されている。
松山市は、昭和五五年の国勢調査で人口四〇万一七〇三人、面積二八九km2の四国では唯一の四〇万人以上の都市である。五七年度分都道府県庁所在都市の最高路線価の一欄では、埼玉県の浦和市の八七万円に次ぎ八五万円で、全国第一七位の地価を示している。これは、高松市の八四万円、高知市の八一万円、徳島市の七六万円を上回り、四国の諸都市の中で最高の値である。
高松国税局昭和五六年分路線価設定地域図により作成した松山市市街地の路線価格図2-18によると、最高の五〇万円以上の路線価は、城山南側にL字型を成して延びている。ここは銀天街(七六万円)、大街道(七五万円)という松山市の中心商店街である。その中心商店街の入口付近の松山市駅前と一番町通りの交差点付近も五〇万円以上の最高の路線価がみられる。五〇万から二〇万円の路線価は、城山の南および南東側の地区、そして国鉄松山駅前、道後地区の通りにみられる。この路線価帯は東西に長く延びている。二〇万から一〇万円の路線価は、城山以南地区一帯の道路や郊外へとつながる幹線道路および道後地区一帯にみられる。道後地区が分離して高地価帯をなしているのは、道後温泉という観光資源を有することに加えて、高級住宅地区を形成し、教育環境、居住環境にすぐれていることによる。一〇万から四・五万円の路線価は、城山西側の延びに対して東側への延びが長いのが特徴的である。西側では、国鉄予讃本線が南北に走っていることや、地形的に低地のため市街化の進展がはばまれているためである。また、城山北側でも一部市街地化が教育関係施設や病院、山地などのためにはばまれており、これ以下の低地価帯となっている。
公示価格
昭和五七年一月一日現在の土地公示価格の県平均は、一㎡当たり一〇万一九八円で、前年の八万四三〇〇円に比ベ一万五八九八円上がり、初めて一〇万円の大台に乗った。本県での標準地設定対象区域は、都市計画区域一四八二km2のうち、市街化区域および市街化調整区域に区分された松山・今治・東予の各広域都市計画区域約六八六km2と、宇和島・八幡浜・大洲・川之江・伊予三島の各都市計画区域約二九三km2の、合計九七九km2である。対象市町村数は一二市九町一村の計二二である。標準地の設定数は、市街化区域一四〇地点、市街化調整区域二六地点、その他の都市計画区域一五地点の計一八一地点である。そのうち市街化区域の用途地域別では、住宅地域九三地点、商業地域三三地点、準工業地域一一地点、工業地域三地点である。
一km2当たりの公示価格と変動率を用途地域別にみると、商業地域が二九万五三三四円(変動率四・九%)と最も高く、続いて準工業地域六万九八三六円(同六・五%)、住宅地域五万二三四九円(同八・二%)、工業地域三万六四六七円(同四・六%)、宅地見込み地三万五七五〇円(同一〇・一%)、調整区域内の宅地二万六〇三一円(同六・六%)となっている。県平均は一〇万一九八円(同七・二%)で、全国平均の変動率七・四%をわずかに下回ってはいるものの、相変わらずの高地価時代といえる(表2-6)。
松山市の住宅地域の平均価格は八万一五〇八円で、宇和島市の八万四三五〇円についで高い。また、変動率をみると、川内町が一三・六%でトップで、重信町・松前町がともに九・七%、伊予市八・〇%、砥部町七・九%と続き、松山市周辺市町での変動率は高い。これは松山市のベッドタウンとして住宅団地の開発が著しいこと、国道バイパス建設や県道改修などの影響である(表2-7)。住宅地の最高価格は、持田町四丁目で二三万円であった。これにつぐのが道後緑台の一四万円で、他の地点はいずれも一〇万円以下であった。
商業地域では、宇和島市の六〇万六〇〇〇円についで高く四八万一五〇〇円であった。商業地域の最高価格は湊町四丁目五番七の一六三万円で、二位の大街道一丁目四番四の一三〇万円を大きくひきはなしている。昭和四三年には大街道が最高地価で五〇万円台(坪当たり)、湊町が四〇万円であったのにくらべ、完全に両者の地位は逆転していることがうかがえる。