データベース『えひめの記憶』
愛媛県史 地誌Ⅱ(中予)(昭和59年3月31日発行)
一 観光資源と観光客の動向
観光資源
神代から湧き続ける温泉と、お城のある町〝松山〟は、昭和二六年四月に国際観光温泉文化都市の指定を受けた。日本交通公社が行なった「観光レクリエーション交通調査」(昭和五三年)によると、愛媛県の観光資源一九四件のうち約四分の一に当たる四八件が、松山市とその周辺を合わせた観光地域である松山地方道後温泉郷地区にあって、松山市内にはそのうちの二八件が存在する(松山城は、Aランクと評価された県内五つの資源のうちの一つである。道後温泉は、全国的に著名な観光資源であるが、温泉が評価の対象になっていないので除外されている。このうち、自然資源は八件で他の二〇件は人文資源であり、A・Bランクの五件はいずれも人文資源であって、県内の他の地区とは性格を異にしている。また、日本観光協会の「全国観光情報ファイル」(昭和五二年)を見ても、松山市の観光資源として七五を取り上げているが、内訳は自然資源一八件、人文資源五七件で、そのうちA・Bランク八件はすべて人文資源であり、松山市は、長い歴史の中で創造された歴史的文化的資源に恵まれた地区であるといえよう。(表2-51)。
観光施設
松山市は愛媛県内で最も観光施設が集中している。観光旅館数を日観連旅館で比較してみると、昭和五四年現在七九軒の成立をみており、これは愛媛県全体一三九軒の五六・八%、四国全体四二〇軒の一八・八%にあたり、四国最大の集積をほこっている。なお、松山市の観光旅館の大半は道後温泉に立地しており、道後温泉の四国観光における地位の高さを物語っている。
松山市には、愛媛県内でも最も多くの観光施設が集中しており、博物館、美術館、動物園、レジャーランド、ヘルスセンターなどの施設も充実しており、さらに新しい文化施設建設が進められている。しかし、都市的観光地であるため、野外観光施設、特にサイクリングコース、オリエンテーリングコース、フィールドアーチェリー場など現代的なスポーツ施設は恵まれているとはいえないが、これらについても徐々に整備されつつある。
観光政策
「ブルー・イン・アイランド・ジャパン-青い国-四国」を統一テーマとした四国地方四県のうち、日本最古といわれる道後温泉がある愛媛県は、「いで湯と文学の里」として古くから積極的な観光政策の展開をはかってきた。「観光資源の保護育成事業」「観光基盤整備事業」「地場産業振興事業」「観光宣伝及び美化の推進」「文化的レクリェーション施設の整備」等である。これに合わせて、松山市にも、昭和四一年に松山城のリフトが設置され、四三年には松山空港ターミナルビルが完成した。
昭和二五年の産業復興松山大博覧会に続く三一年産業文化大博覧会の開催、昭和二六年「正岡子規五〇年祭」の開催、二八年道後「椿の湯」完成、三一年道後温泉の内湯開設、三七年「石手寺宝物館」、四〇年「愛媛郷土館」の建設、四一年以来の松山おどりの開催、四三年松山城に「俳句ポスト」の設置、四三年の松山城小天守閣復元に続く各城門等の復元、四八年民芸伊予カスリ会館建設など、着々と観光開発に結びつく政策が展開されていった。
現在、愛媛県では、「観光コースの設定」「文化資源の保存と整備事業」「公営宿泊所・施設の整備」「大型プロジェクトへの取り組み」等の観光政策を進めている。その中にあっても、松山市及び道後温泉は、「えひめの旅五つのプラン」のいずれのコースにおいてもその拠点として位置づけられている。また、県内主要観光ルートにおいても、一四のコースのうちに「道後温泉郷から面河渓と札所をたずねて」、「道後温泉と札所めぐり」、「海と温泉と札所めぐり」、「国道一一号線から石鎚山を望む札所をたずねて」、「松山コース」、「史跡めぐりコース」等が設定されている(表2-52)。
愛媛県の文化財公開施設二七件のうち七件(愛媛県立博物館、愛媛県立美術館、愛媛県立芸術館、古照遺跡資料館、民芸伊予かすり会館、豊島家住宅、渡部家住宅)が松山市にみられる。愛媛県の無形文化財と民俗資料としても、県下二七件中四件(興居島の船踊、伊予源之丞、社寺建築-鷹ノ子町窪田文治郎-、坊っちゃん列車)が指定されている。また、公営・契約宿泊施設としては、神泉園ユースホステル、中央青年の家、松山老人福祉センターがある。さらに大型プロジェクト計画が、愛媛県の中核である道後温泉との連携の上に、南予レクリェーション都市開発事業、「四国のみち」整備事業、四国西南観光ルートの開発として進められている。
このような状況の中で、松山市観光協会は、昭和五四年度において、「観光客誘致宣伝事業」、「観光案内事業の推進」、「松山城のガイド事業」、「観光記念メダルの販売」、「観光印刷物による宣伝」、「伊予万才の提供」などを実施して観光客の誘致活動を積極的に推進してきた。さらに、おまつり行事(松山まつり、松山お城まつり、道後温泉まつりなど)への協賛、松山空港観光案内図板の設置、来松観光宣伝隊との交流、マスコミ等による宣伝事業などに参加したほか、ミス松山選出大会の継続化、伊予の国松山「水軍太鼓」の育成、松山の味研究及び啓蒙普及事業、松山城郭案内板の設置、観光案内図板の国鉄松山駅前設置等の事業が企画・実施されている。
観光客の動向
昭和五六年に松山市を訪ねた観光客は四六六万人余りであり、愛媛県観光客総数一七九〇万人の約二六%にあたる。ピークであった四八年の六二七万人弱に比べて二五%減となっているが、増減傾向も県全体とよく似た推移を示しており、オイルショックによる急減のあと、昭和五五年の五五総体による一時的入り込み増を除いて、五〇年以来漸減傾向にある。松山への入り込み客のうち六〇%が県外客であって、これは県内のほかの地区に比べて高い比率を示す。広範な範囲からの入り込みがみられるが、発地別には関東が多く約四分の一、次いで中国・九州・近畿の順である。利用交通機関別では、伊予鉄バス、自家用車によるものが圧倒的に多く、船舶、列車、航空機の順である。航空機による関東近畿方面からの入り込みと船舶利用による九州・中国からの入り込みが多い。また、季節的には、五・八・一〇月のピークがめだっており、冬場における入り込みが少ないようである(表2-53)。
昭和五六年における年間消費額は約四八四億七六〇〇万円であって、一日平均約一億三二八一万円、一人一日平均一万四〇〇円である。そのうち県外客のみについてみると、年間消費額約三九一億五三七二万円、一日平均一億七二七万円、一人一日平均一万四〇〇〇円(県内客はそれぞれ九三億二二三一万円、二五五四万円、五〇〇〇円)である。なお、一人一日平均消費額一万四〇〇〇円の内訳は宿泊七〇〇〇円、おみやげ三五〇〇円、雑費三五〇〇円(県内は、おみやげ二〇〇〇円、雑費三〇〇〇円)と見込まれている。