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愛媛県史 地誌Ⅱ(中予)(昭和59年3月31日発行)

一  松山(道後)平野の稲作と麦作(2)

 稲の品種

 明治時代に「伊予の三改良米」として米穀市場で好評を博した品種は、相徳・栄吾米・三宝米で、このうち前二者は松山平野の篤農家が選出したものである。相徳は明治四〇年代には神力と合わせて県内の栽培面積の七〇%に達し、また栄吾米は一時松山平野一帯に普及した。一方、愛媛県農業試験場では大正四年(一九一五)から他県に先がけて人工交配による品種改良の道を開き、伊予旭・松山三井などはその代表的品種である。現在県内で栽培されている水稲の主要品種は、早生種のミネニシキ・日本晴と晩生種の松山三井で、いずれも愛媛県の奨励品種に採用されている。昭和五七年の奨励品種は、うるち米では早生種四、中生種・晩生種各二、もち米では早生種・中生種各一種が採用されているが、各地の諸条件によって栽培される主要品種が異なっている(表3-6)。一般に東予は晩生種、南予は早生種が多く、中予は早生種が多いが、田植えの時期は南予に比べ相対的に遅い。
 松山平野の地域別主要栽培品種をみると、全域でミネニシキの比率が特に高く、次いで日本晴が多い(表3-7)。これらはいずれも早生種で一〇月中・下旬に収穫できる。晩生種の松山三井は収穫期が一一月になり、労働がみかんと競合する一方、早生種を志向する兼業農家の増加などで普及が遅れている。


 生産調整と水田利用の再編

 米の需給不均衡を背景に四五年から実施された米の生産調整の目標数量は、五〇年までは収穫量で、五一年からは作付面積で示され、五五年には松山平野全体で一二七三ha、参加農家数一万三二六八戸に達した(表3-8)。目標達成率は、四五年は約一三〇%であったが、四六から四八年はいずれも八〇%台にとどまった。後期に至って米の需給関係が一段と悪化し、生産調整数量は年々増大しており、目標達成率も一〇〇%を超えている。転作作目の推移をみると、初年度は休耕が転換面積の過半を占めていたが、四九年からは休耕に対する奨励措置が打ち切られたため姿を消した。松山平野で転作作物の面積が最も多いのは野菜で地域別にみてもいずれも上位である(表3-9)。その主な品目はさといも・すいか・なす・いちご等である。次いで大豆を中心とする豆類が多く、特に大豆は五三年からみかんに代わって特定奨励作物となり、一挙に前年の九倍に栽培が増えた。県全体では野菜・大豆に続いて飼料作物・果樹・麦の順で栽培が多いが、松山平野では三位以下は地域によって異なる。
 以上みてきたように、松山平野は県内で最も進んだ伝統的な稲作地域であったが、大きな変動期を迎えている。稲の収益性は政府買入価格(生産者米価)及び収量の変動に大きく左右されるため、最も安定的であった米作栽培にもかげりがみられるようになった。


 麦作の概況

 県内の麦の主産地は松山平野と、東予市・今治市を中心とする東予の諸平野で、昭和五六年の収穫量をみると、松山平野の二市四町が五六四六トンで県全体の四一・二%を占め、次いで周桑・西条平野の二市二町が四〇七三トンで二九・七%を占めている。これについで、今治平野の一市二町村(今治市・玉川町・朝倉村)が一八六六トンで一三・六%、土居町を中心とする宇摩平野が八九二トンで六・五%を占める。東予地域が県全体の五二・五%、中予地域が四三・三%で、南予地域はわずかに四・三%を占めるにすぎない。また、麦類の栽培を品種別にみると、小麦は五四五トンで麦類全体の四%、家畜の飼料用としての二条大麦は二八五〇トンで二一%にあたり、裸麦が一万三〇〇トンで七五%を占める。


 松山平野の麦作

 松山平野の麦作は、品種別では裸麦が中心で県全体の収穫量の四八%を占めるが、二条大麦は二三%、小麦は九%弱にすぎない(表3-10)。これら麦類の需要は消費構造の変化等に伴って著しく減退しており、松山平野における麦類の作付面積も三〇年代から四〇年代にかけて激減した(図3-4)。裸麦を中心とした麦類は水田地帯における冬作基幹作物で、水稲に次ぐ重要な位置を占めていたが、今は最高時の約七%にまで減少した。しかし、松山平野の麦類の作付面積一七四二ha(昭和五六年)は、愛媛県全体の約四一%を占めて県内における麦作の中心であり、五三年の一四七五haからわずかながら増加する傾向を示している。こうした麦作回復の要因の一つは政府の麦作振興策で、四九年以降麦作振興奨励金の交付、五二年政府買入価格引き上げ、五三年水田利用再編対策による転作奨励金の多い特定作物指定などが農家の生産意欲を高めている。また、愛媛県農業試験場が開発した全面全層播栽培は、稲作に用いる機械がそっくり転用できる利点があり、東・中予の乾田に広く普及した。これは機械刈りを前提としているため、倒伏の少ない強稈品種であること、密播によるうどんこ病・赤かび病に強い品種が要求され、松山平野では裸麦ではヒノデハダカ・シラタマハダカ、大麦ではダイセンゴールドが奨励されている。全面全層播栽培によって麦作の労働生産性は著しく高まり、一日当たり労働報酬が一万円を越えることも可能となった。
 松山市の作目別農業粗生産額をみると、麦は昭和三七年には米・みかん・鶏卵・肉牛に次いで第五位で七・一%を占めていたが、五六年には二・三%を占めるにすぎない。四四年に刊行された「松山市のあすの農業」では将来の麦の比率を、五〇年が五・一%、五五年が四・九%、六〇年は四・七%と予測していたが、これを上まわるペースで比率が低下してきており、麦作がかつての盛況を回復することはむつかしい現状である。

表3-6 県内における稲の地域別栽培品種(昭和55年)

表3-6 県内における稲の地域別栽培品種(昭和55年)


表3-7 松山平野における稲の作付上位品種(昭和55年)

表3-7 松山平野における稲の作付上位品種(昭和55年)


表3-8 松山平野における転作の実績

表3-8 松山平野における転作の実績


表3-9 松山平野における転作面積上位作物(昭和56年)

表3-9 松山平野における転作面積上位作物(昭和56年)


表3-10 愛媛県における麦の品種別栽培上位地域(昭和56年)

表3-10 愛媛県における麦の品種別栽培上位地域(昭和56年)


図3-4 松山平野における麦類の作付面積と収穫量の推移

図3-4 松山平野における麦類の作付面積と収穫量の推移