データベース『えひめの記憶』
愛媛県史 地誌Ⅱ(中予)(昭和59年3月31日発行)
五 美川スキー場
スキー場の開設
美川村の南西部に位置する大川嶺山塊には、山頂付近に平坦面が広くひろがっている。美川スキー場は、美川嶺を中心とした標高一一〇〇mから一四〇〇mの山腹斜面を利用して開設されたスキー場である。
面積一〇〇haに及ぶスキー場は、昭和三五年愛媛山岳会・国鉄バス・県スキー連盟・大谷部落の協力によって開発された。三六年にはスキー場の拠点として国鉄山の家が建設され、続いて、食堂の美川荘・公衆便所・貸スキー事務所・診療所・松山商大と愛媛大学の山小屋・関印刷会社の職員保養所などが建設され、スキーヤーの受け入れ態勢がととのってくる。昭和四〇年には長さ六一三mのスキーリフトが建設され、スキー場としての体裁がととのう。道路は昭和三五年までは大谷の集落まで林道が通じるのみであったが、同四三年にはスキー場まで自動車道が開通した。駐車場は第一駐車場が昭和四〇年に、第二駐車場が四三年に、次いで四六年に第三駐車場が開設され、現在一〇〇〇台の乗用車の収容能力がある。道路の開通と駐車場の完備は逐年スキーヤーの増加を招き、昭和五五年には長さ三〇〇mの第二リフト、次いで五七年には長さ三一二mの第三リフトの建設をうながした。
利用者と施設
美川スキー場は南国四国のなかにありながら、比較的積雪には恵まれているが、その利用者数は積雪期間に大きく左右される。近年の営業日数と利用者数もその年の積雪量に大きく左右されていることがわかる(表7-39)。平年には二万五〇〇〇人程度訪れるスキーヤーの発地は、高知県六五%、愛媛県三五%程度であり、県内では松山市方面からのスキーヤーが多い。
スキー場内には、なら・しで・かえで・ぶななどの天然林の保存された「美川嶺いこいの森」が開設されている。この「いこいの森」の中には、一五棟のバンガローがあり、テントの設営できるキャンプ場が二か所ある。キャンプ場は、美川嶺に夏の観光客を誘致するために、昭和五〇年から五二年の間に村が設営したものである(図7-23)。
スキー場は村営であり、リフト・駐車場など主な施設は村が建設したものである。用地は村有林と官行造林地、それに地元の大谷部落有林であり、官行造林地・大谷部落有林は村の借地となっている。スキー場に隣接するところには私有林もあり、その地点に民営の宿泊施設なども建っている。食堂や宿泊施設のなかには、地元の集落大谷の経営する美川荘(食堂)や、同集落有志の経営する大谷山荘(宿泊施設)などがある。大谷の集落内には、民宿が二軒あり、冬季スキーヤーのために営業している。大谷の住民は冬季スキー場で臨時雇に雇用される者も多く、食堂・宿泊施設の経営などと共に、スキー場の開設によって地元住民が経済的にうるおっているといえる。