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愛媛県史 地誌Ⅱ(中予)(昭和59年3月31日発行)

八 久万のふるさと村


 自然休養村整備事業

 久万町の下畑野川地区には、ふるさと村が開設されている。このふるさと村、久万高原地区自然休養村整備事業の一環として、久万町によって建設されたものである。
 久万町が、農林省から久万高原自然休養村に指定されたのは、昭和四七年である。事業は翌四八年から実施された。四八年には古岩屋にきのこ園が、五〇年には久万に農林特産物加工場が、五一年には下畑野川に花卉花木園が、五一年から五五年にかけては下畑野川にふるさと村が、五三年には久万に自然休養村センターが、それぞれ建設された(表7-40)。
 きのこ園は五戸の農家の生産拡大のための施設であり、しいたけ・しめじ・なめこを生産販売している。農林特産物加工場は、林家三戸が作業員を雇用し、磨丸太材を利用した机を造ったり、木製花瓶や盆などを生産販売する施設である。花卉花木園はふるさと村に隣接して造成されており、五戸の農家がてっぽうゆり・フリージャーなどを生産販売している。自然休養村センターは久万町の観光に対する総合案内所としての機能を果たしている。ふるさと村は、これら諸施設の建設整備と一体となって建設されたものであり、農林業の基盤整備を進めながら、自然環境を活かした観光地の造成をはかろうとする、自然休養村の整備事業の一環をなすものである。


 ふるさと村の施設

 昭和五一年から五五年にかけて建設整備されたふるさと村には、山村歴史館・民家・昆虫園・つり堀・炭焼き窯・農林業体験実習館・村の茶の間・野外休憩所などがある。山村歴史館は久万町内の旧家に残っていた様々な資料や道具類二六〇〇点を展示し、久万地方の古い生活様式がしのべるようになっている。民家は久万町内の各地から移築されてきたものが五棟ある。江戸中期に建設されたと推定される上畑野川の入母屋造りの民家、明治一二年(一八七八)に建設されたと推定される、田の字型の間取りをもつ下直瀬の民家、明治三八年(一九〇五)に建設された上畑野川の隠居屋、合掌造りの倉、明治三一年(一八九八)に建設された二名の永久組の辻堂などがあり、久万地方の古い建築様式を伝える建物を一堂に集め、ふるさと村の雰囲気をかもし出している。
 つり堀・きのこ園・りんご園などは野外活動の場でもある。つり堀は常時開設されており、きのこ園は春と秋しいたけやしめじの生える時期に開園される。りんご園は、七月下旬から一〇月中旬にかけて観光りんご園として開園され、南国四国に北国の風情をかもし出す。炭焼き窯は年間数回炭焼きの実演を行ない、ここで焼いた炭は、村の茶の間と野外休憩所の炭焼き料理に利用される。農林業体験実習館は木工・わら細工など、山村の生活体験を実習できる合宿施設である。

          
 ふるさと村の利用
          
 ふるさと村の入村者数は、昭和五六年には八万三七六人を数える。入村の多い時期は八月から一一月の四か月間であり、この四か月間に全体の六三%の人が訪れている。八月は、夏休みを利用しての涼を求めて訪れる家族連れが多く、九月から一一月は、りんご狩やきのこ狩を兼ねて訪れる者も多い(表7-41)。
 入村者の発地をみると、六〇%は松山市を中心とした中予地方であり、ほか高知県が二五%、東予・南予が併せて一〇%、高知県以外の県外が五%程度と推定されている。松山市街からは、自家用車で一時間程度で訪れることができるので、週末を利用した家族連れの行楽地としてにぎわっているといえる。入村者が多いのは、松山市に近接していること、国道三三号線に近く交通の便が良いこと、近くに岩屋寺・大宝寺・古岩屋などの観光地が隣接していること、また松山方面から石鎚・面河溪への往路にあたることなど、立地条件に恵まれていることによる。

表7-40 久万町の自然休養村整備事業

表7-40 久万町の自然休養村整備事業


表7-41 久万町の観光客入込数(昭和56年)

表7-41 久万町の観光客入込数(昭和56年)