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愛媛県史 社会経済1 農林水産(昭和61年1月31日発行)

四 戦時農業督励部・農業督励部と活動


 戦時農業督励部

 明治後期の農業改革~主として稲作の改善~に大きい役割を果たしたのは、県に設置された戦時農業督励部である。日露の開戦(明治三七年二月一〇日)から三か月を経た同五月に、県は次の諭告と共に戦時農業督励規程を定めて戦時農業の指導体制を確立した。

        戦時農業督励に関する論達
 今や戦局は大に進み、しばしば其捷報を伝ふと雖も前途は尚遼遠なり 此際国民たるもの上下心を一にし職を励み業を努め奉公の誠を致して以て現下軍国の急要に応ずるのみならず 進みて戦後の経営及発展に対し自ら期する所なくんばある可らず 殊に農業者に至りては民衆の多き生産の大なる邦家の期待する所のもの亦最多大なり 然るに時局の影響は農業の発達を阻碍するもの尠しとせず 仍て茲に農事督励規程を設け上下協力 斯業の改善発達を期し以て当業者をして奉公の誠を致し邦家の期待を空ふする莫からしめんとす 当業者たるもの深く此意を体し協力戮力此時局に対する国民たるの責務を尽さゞる可らず因て特に之を諭告す
     明治三七年五月一四日  愛媛県知事 菅井誠実

 この告諭と同時に戦時農業督励規程(県告示第一四三号)が公布され、県、郡、町村に督励部が設置され、各部に次の役員、督励委員が置かれた。

 本部   本部長一名 副長三名 評議員若干名 幹事一名 部員若干名
 郡部   幹事長一名 幹事一名 部員若干名
 町村部 幹事長一名 幹事一名 督励委員若干名 部員若干名

 督励員は県庁ほか所属の官吏から知事が任命し、町村部の委員には町村吏員、農会員が知事により嘱託された。督励員が実行普及する事項は次の五項であった。

 (一) 稲麦種の塩水選
 (二) 害虫の駆除予防
 (三) 麦黒穂病の防除
 (四) 緑肥作の普及
 (五) 堆肥改良の普及

 県の督励規程に準じて各郡町村においても同規程が設けられたが、右必行事項の中で最重要項目とされたのは害虫の駆除予防で、町村の中には「害虫駆除予防厳施督励規程」を特設し、防除の徹底をはかるため強力な督励を実施した町村もあった。害虫の防除については、督励部の指導に呼応し、水田地帯の全小学校で教員監督の下に児童を動員して援助活動が行われた。明治三七年の稲作期間中に、温泉郡では管内の七一校中、水田なき村、害虫の発生なき村の一三校を除き五八校の児童により前表2-42の駆除成績をあげている。
 日露戦争による県下の応徴農家は、六、七三七戸、六、八六二人に達したが、労力不足のため必行事項の励行が困難な二、四〇八戸の農家に対しては、県の兵事会より労賃を補助し、隣保・親族の援助を求めて作業の完遂を図った。

 農業督励部

 日露戦争の終結(明治三八年九月五日講話条約調印)と同時に、県は戦時農業督励規程を廃し、改めて農業督励規程(資料編社会経済上三一頁)を定め、戦後の農業を督励する新しい農業督励部を設置した。
 農業督励部規程は、督励事項を規定した第五条のほかは、前身の戦時農業督励規程の条文と全く同一で、督励部の組織・構成・運営は戦時農業督励部をそのまま継承したものであった。新発足の農業督励部の督励事項には戦時農業督励部の五項目の上に (一)稲作正条植 (二)排水及耕地整理の普及 (三)産業組合の普及 (四)蚕業の改良及普及 の四項目が追加された。
 明治三〇年を起点として始まった稲作の明治後期における飛躍的発展の要因は、塩水選・害虫防除・その一環としての短冊苗代・正条植の普及・緑肥作物・堆肥の改良増産による地力の増進などにあるが、こうした技術革新の推進母体となったのは、戦時農業督励部であり、戦後にその機能を継承した農業督励部であった。



表2-42 温泉郡小学校児童稲害虫駆除成績

表2-42 温泉郡小学校児童稲害虫駆除成績


表2-43 農家予後備役応徴員留守宅労力補助

表2-43 農家予後備役応徴員留守宅労力補助