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愛媛県史 社会経済1 農林水産(昭和61年1月31日発行)

二 自家用米供出運動


 生産農家の自家用米供出運動

 食糧事情が一段と悪化した昭和一六年の三月七日に、県農会の主催で郡市農会長会議が開かれ、米作農家が自家用米を節約して政府の管理米に移し、国民の食糧不安の軽減に役立たせるため次の要綱により、自家用米節約供出運動を実施することが決定した。

        自家用米節約供出運動要綱(愛媛県農会)
   国際情勢 頓に緊迫して一触即発の危機を招来せんとするが如き国情の急なるものがある秋 食糧の一部を国外に依存
  するは実に憂慮に堪えず 我等は本来の使命たる農業増産に畢生の力を傾注するは勿論なれ共 此の際 更に混食代用
  食の高度化により極度に自家用米を節約して之を管理米に移し、自己の食を割きて皇国の用に充つるの拳に出で以て国民
  の不安の剪除に努むるこそ真に農者国本の本領を発揮する所以なりと信ず
   依って県下の各級農会は戮力一体となり左記により農家自家用米節約供出運動に邁進せんとす

         記
  一、自家用米節約供出目標は専業農家(米麦主体)最低一俵とし実情により出来得る限り多量とすること
  二、本運動は農家の精神運動とし其の自発的なるを原則とし適当に勧誘すること
  三、実行方法は左記によること
   (イ)郡市農会は急速に会議其の他の方法を以て町村農会又は実行小組合に徹底せしむること
   (ロ)実行小組合常会に於てよく趣旨を徹底せしめ管理米として供出数量の取纒めをなし速かに市町村農会に報告せ
     しむること
   (八)町村農会は速かに其の取纒数量を郡農会に報告し郡市農会は穀物検査支所並に町村農会及産業組合と打合せ管
     理米として手続上の斡旋をなすこと
   (二)郡市農会は取纒成績を毎月 県農会に報告すること
   (ホ)県農会に於ては趣旨宣伝印刷物を各実行小組合に配布すると共に郡市農会に於ける協議会又は大会等に参加し
     大いに趣旨宣伝に努むること
  四、各府県農会に飛檄し全国的一大運動たらしむべく努力すること


 運動の展開と推移

 この運動は本県が全国に率先して決起した企画であるが、予期以上の成果をおさめ、後日、農林省、帝国農会の支援をえて全国的運動に発展した。
 戦争の長期化とともに米穀事情は悪化の一途をたどり、供出割当量の増加と並行して消費の規制も強化された。

昭和一五年
     三月 国鉄 駅弁に週二回米ナシデーを設く
     四月 新居浜市 混合米の強制販売開始
         米の集出荷を円滑化するため県が米の出回促進に乗り出す
     五月 県節米奉公日設定(毎月一日)
         松山市・八幡浜市で米の自治的切符制開始
         町村長会で米の買上げと公平な分配制の実施を協議
         県 一人一日二合一勺を基準として県民の節米を促し町村別に需給計画の樹立を指導
     六月 県庁 一日を代用食デーとす
         県下の町村の一割で米の自治的切符制実施
     七月 今治市 米の通帳制実施
     八月 昼食ぬきの節米運動起こる
昭和一六年
     二月 節米量を二割に強化
     六月 大洲地方の旅館、節米報国のため昼食は米ぬきとなる
     八月 県農会 農家に保有米の食い延ばしを呼びかける
昭和一七年
   一一月 玄米食運動始まり県内各地で試食会開催
   一二月 八日の大詣奉戴日を期し一粒の米勿体ない節約運動始まる
昭和一八年
     四月 米代用に馬鈴薯の配給始まる(一〇〇匁につき米五勺控除)
     七月 松山市 甘藷の混食飯実践
   一一月 国鉄松山駅に藷弁当登場 全国に波及
昭和二〇年
     三月 米作農家 一人一か月玄米一合の非常用米献納運動起こる
     七月 外食券実施