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愛媛県史 社会経済1 農林水産(昭和61年1月31日発行)

一 農会の生産・出荷指導


 農会の果樹指導

 農村指導機関として最も早く成立(明治二九年)した農会は一般農事の振興と共に、果樹栽培の奨励指導につとめた。なかでも郡農会には、園芸専門の技術者が配置され、市町村農会ごとに開かれる各種の講習、講話会には、技術員を講師として派遣し、果樹栽培の指導啓蒙を図った。大正時代本県果樹の栽培指導に活躍した技術者には左記の人々がいた。

 (注) ( )内は着任年次を示す
愛媛県農事試験場  宮之原健輔(大正四年)
温泉郡農会     中島二三雄(大正二年)
越智郡農会     兼子常一郎(大正三年)
宇和柑橘同業組合  村松春太郎(大正四年)
西宇和郡農会    上甲 香 (大正四年)
伊予郡農会     菅野寿章 (大正六年)
越智果物同業組合  菅 包明 (大正七年)


出荷組合設立奨励

 農産物の出荷販売については、大正七年に、大阪・神戸の二大市場に「関西府県農会連合販売斡旋所」の設置をみることになって、青果物の販売斡旋を農会活動の一部門として位置付け、市場との連絡・問屋の指定・運賃の協定・取り引きの改善などを推進した。愛媛県農会においては、出荷組合の結成を促し、大正一二年には出荷組合の補助規程をつくり、出荷組合の設立に対して、各市町村農会を通じて補助がなされた。これらの出荷組合が、農会や果物同業組合と連絡を取りながら、市場への出荷業務を遂行した。県下で果物同業組合の設立をみていない地域は、その多くが農会の指導斡旋によって出荷販売が実施されたが、独自の出荷活動を行うものもあった。こうして生産者による出荷販売活動は、大正時代に初めて一般的なものとなったのである。