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愛媛県史 社会経済1 農林水産(昭和61年1月31日発行)

二 出荷配給に関連する統制


 価格・流通統制

 果実の流通に対する統制は、昭和一五年「青果物配給統制規則」が公布され、出荷先・出荷数量・出荷期間などが規制されることになった。それと関連して「価格等統制令」による販売価格の指定が行われ、主要な果実について、小売最高価格が指定された。さらに昭和一六年には、価格について、卸売業者最高販売価格と小売業者最高販売価格が設定されるとともに、「青果物配給統制規則」が改正強化された。(表4-15)

(1) 青果物出荷面での統制は、郡を単位とする出荷組合連合会を組織せしめ、之を指定出荷者とする。帝国農会は農林大臣の命を受け、配給統制計画を立て、その承認を受けて都道府県農会に出荷指示を行う。都道府県農会はそれを受けて、具体的計画を樹立、知事の承認を得て、指定出荷者に出荷の指示を行う。指定出荷者は、指示に基づく実務を遂行する。
(2) 青果物配給面での統制は、統制される青果物の配給計画に基づいて農林大臣は、指定消費地(六大都市其他主要消費地)を指定し、その地域毎に荷受機関を指定する。産地の指定出荷者から荷受けした青果物の配給は、配給計画に基づき指定荷受機関から、登録された小売商を通じ消費者に配給される。地方中小都市の配給は、知事が消費地および荷受機関を指定し、前記同様の方法で配給された。このほかに業務用として該当者に計画配給がされた。

 果樹団体の変容

 青果物配給統制規則の実施による指定出荷者として、郡単位の出荷組合連合会が組織されることになって、昭和一七年には、大正初期から自主的な果樹組織として、多彩な活動を続けて来た県下の果物同業組合は解散となった。昭和一八年には、「農業団体法」の公布によって、農業団体のすべてが「農業会」に統合された。前記青果物指定出荷者である青果物出荷組合連合会も、県農業会郡支部(青果課)に統合された。この農業会が戦後解散するまで、青果物の出荷を担当した。

 果実統制の波紋

 果実の統制によってその生産流通に及ぼした影響を要約すると次のようになる。

(1) 価格統制による品質差の消滅は、単に収量を目標にした生産活動となり、その限りでの栽培管理や病虫害防除となり、品質面の崩壊が進むことになった。
(2) 果樹は不急作物と認定され、肥料・農薬の配給抑制や、労力不足で、本来集約性を必要とする果樹は荒廃を速めることになった。
(3) 優良品の闇流出を招き、生産量の減少度以上に配給統制数量が低下することになった。
(4) 果実集出荷の実権は、各町村の共同選果組合(同業組合の下部組織)が持っており、指定出荷者は形式的な出荷統制を実施することになった。



表5-15 戦時下果実統制価格の一例

表5-15 戦時下果実統制価格の一例