データベース『えひめの記憶』

えひめの記憶 キーワード検索

愛媛県史 社会経済1 農林水産(昭和61年1月31日発行)

二 果実の出荷販売


 果実出荷の動向

 戦前の自由な生産時代(昭和一〇年ころ)から戦時の荒廃を経て、ほぼ復興に近づいた昭和二七年にいたる果実の出荷状況をみると、柑橘類と柿の伸長が著しく、ナシ・ビワ・モモ・クリなどの停滞ないしちょう落が目立っており、果実間における盛衰の動向が明らかに現れている。特に柑橘類の占める比重が高く柑橘王国へと向かっている。(表5-6)
 またそれと関連して、流通面における仕向先(市場)の変化が起こり、温州ミカン・夏ミカンを中心とした出荷率の上昇が続いている。(表5-7)
 これらの変化には内部的な生産構成の変動要因だけではなく、外部的な新興産地(九州)の台頭による流通地図の変動も少なからぬ影響をもたらしている。

 温州ミカンの輸出

 昭和一五年を最後に戦争のため途絶していた温州ミカンの北米輸出のうち、カナダ向けの輸出が昭和二二年から再開され、本県は昭和二三年から青果連を窓口に輸出が遂行されることになった。しかし、輸出の当初は、犠牲的な出血輸出が続く状態であった。昭和二七年「輸出取引法」が公布され、翌二八年「日本農産物輸出組合」が創設されて「北米柑橘部会」のもとで輸出協定による出荷機構の整備により、昭和二九年から安定的な輸出が実現した。なお早生温州が初めて試験輸出されたのは昭和二七年であった。
 温州ミカンのアメリカ輸出は、昭和二二年輸出再開の直前に、かいよう病の侵入防止を理由に日本ミカンの輸入が禁止された。そこで、かいよう病の無病地帯の設定を前提に、日園連を中心に農林省・通産省に対し、輸出再開促進の要望が続けられた。その結果昭和四三年アメリカ北部五州およびハワイへの輸出再開が実現し現在に至っている。(資料編社会経済上二五四頁)


表5-6 戦前戦後の果実出荷のすう勢 (昭和一〇年を一〇〇とする)

表5-6 戦前戦後の果実出荷のすう勢 (昭和一〇年を一〇〇とする)


表5-7 戦前 (昭和九・一〇年平均) の果実出荷状況 (ア)

表5-7 戦前 (昭和九・一〇年平均) の果実出荷状況 (ア)


表5-7 戦後、(昭和二五、二六、二七年平均) の果実出荷状況 (イ)

表5-7 戦後、(昭和二五、二六、二七年平均) の果実出荷状況 (イ)