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愛媛県史 社会経済1 農林水産(昭和61年1月31日発行)

二 その他の市場対応


 消費地貯蔵施設の新設

 四三年以後、ミカンの価格暴落と夏ミカンの需要不振を背景に、品質向上対策の一環として、一部の産地で、市場に近接した地点に消費地貯蔵施設を設け、鮮度の高い果実を敏速に市場対応しながら販売しようとする動きがみられるようになる。愛媛県では、宇和青果農協が四四年に東京都昭島市に低温流通センターを、西宇和青果農協が四五年に神奈川県海老名市に低温流通センターを新設し、出荷前進拠点としての活動を開始した。さらに西宇和青果農協は、四九、五〇年に富士山麓の静岡県富士宮市に四億八、〇〇〇万円を投じ大規模な貯蔵施設(三、五二七t)を新設、常温貯蔵による成果をあげている。

 産直活動の展開

 これまでの卸売市場主体の出荷に加えて、量販店や生協などに直接販売する、いわゆる産直ないし市場外流通が、一部の産地で実施されるようになった。市場での卸売価格が生産者の意思と無関係に決定されるのに比べ、産直のばあい生産者の意思がある程度価格に反映されること、出荷経費の節減が可能なこと、厳選出荷による二級品の販売先が確保されることなどが、産直のメリットと考えられた。例えば、四八年からしばらく行われた中島青果農協と大阪の「いづみや」との産直は、収穫したままの無選果、ノーワックスのミカンを、一八㎏コンテナでそのままトラック輸送するという方法がとられており、産直による経費節減額が価格の決定に反映されていることなど、注目される事例であった。また西宇和青果農協のように、事業部(トラックターミナル)で二級果を製品化し、それを「イトーヨーカ堂」などに直販している事例もある。

 共選の分散化

 ミカン産地における共販組織は、これまで一貫して量的、質的大型化を志向してきたが、ミカン過剰化と価格低迷を背景に、多様な対応に迫られることになった。その一つは、二元集出荷体制など品質主体の市場対応に併せて、共選の分割、細分化の動きがみられるようになったことである。第六章第三節二の選果場統合近代化の実態のところでみたように、四〇年代前半まで、青果農協はおおむねマーク統合に力を注いだ。たとえば宇和青果農協では、第一共選(三八年新設)、第二共選(四一年新設)、第三共選(四二年新設)の完成を背景に、四三年マーク一本化を実現するが、その後、表7-7に示したように、四五年に第四共選(津島町)、五一年に第五共選(明浜町)、五八年に第六共選(吉田町喜佐方)が新設され、それにともない共選マーク(小印)が復活することによって、実質的に共選の分散化の方向をたどることとなった。これは、品質の均一化と出荷先市場の選択への一つの対応とみられる。これと同じ傾向が、他の大型青果農協でも若干みられた。


表7-7 宇和青果農協の共選場の概要

表7-7 宇和青果農協の共選場の概要