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愛媛県史 社会経済1 農林水産(昭和61年1月31日発行)

三 オレンジ・果汁の輸入枠拡大(五九年)


 山村・ブロック会談

 五三年一二月五日に合意された輸入枠拡大スケジュールの付帯事項に、五八年下期前後に中間協議を行い、五八年以降の問題を検討することになっていたが、その時期が迫ってきたことから、五七年に入るとオレンジ自由化問題があわただしくなる。五七年四月二三日、東京・日比谷の野外音楽堂で、全国から農林漁業代表者八、〇〇〇人が集まり、「農産物輸入自由化・枠拡大阻止全国農林漁業者総決起大会」が開かれ、反対決議を行う。愛媛県から二五〇人が参加。愛媛県では、九月四日、一一日に、農協青壮年部、農協婦人部、果樹研究同志会、果樹婦人同志会が、自由化反対の署名運動を繰り広げる。一〇月一七日、松山市総合コミュニティセンター建設予定地で、県下の生産者・農協関係者など一万人が参加し、「守り抜こう日本の農業・愛媛の農業」をスローガンに、「農畜産物輸入自由化・枠拡大阻止愛媛県総決起大会」が開かれた。このような大規模な集会は、愛媛県でも例がなく、その関心の高さをうかがわせた。
 五八年に入ると、反対運動はますます高まりをみせ、一月、三月、四月と全国農林漁業者代表の総決起大会が東京で開かれるが、七月四日に、東京の武道館で、全国から一万人が参加し、「米価要求・自由化阻止全国農業者総決起大会」が開かれる。愛媛県では、九月二三日、松山市堀之内の陸上競技場に生産者・団体関係者一万二、〇〇〇人が集まり、「農産物輸入自由化・枠拡大阻止愛媛県総決起大会」を開催、再び大規模な阻止行動が展開された。
 農産物交渉は、事務レベルで再三協議が行われたが難航し、五九年三月の期限までの決着は困難視された。四月早々、山村農林水産相が直接ワシントンを訪れ、ブロック通商代表と閣僚レベルでの協議を行い、難航の末、四月七日に表7-9に掲げた内容で合意に達した。それによると、オレンジは、五八年から毎年一万一、〇〇〇tずつ拡大し、六二年には一二万六、〇〇〇tへ、オレンジ果汁は、毎年五〇〇tずつ拡大し、六二年には八、五〇〇tへ、グレープフルーツ果汁は、六一年から自由化するというものである。
 なお、オレンジ・果汁の自由化・枠拡大阻止の運動に関連して、二つの点を指摘しておかねばならない。一つは、生産者・関係団体が組織をあげて執拗な反対運動を展開した背景には、もちろん国産柑橘への直接的打撃を懸念してのことであるが、そればかりでなく、日米間の工業製品を含めた貿易摩擦、過剰農産物の処理問題など重要課題が山積しているにもかかわらず、オレンジ・果汁・牛肉だけが関心品目として標的にされた不満と怒りが内在していたことである。二つは、この長期間にわたる反対運動において、柑橘主産県としての愛媛県(生産者・関係団体・行政)の果たした指導的役割は極めて大きかったことである。



表7-9 昭和59年4月の日米農作物交渉合意内容

表7-9 昭和59年4月の日米農作物交渉合意内容