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愛媛県史 社会経済1 農林水産(昭和61年1月31日発行)

二 豚の改良過程


 品種の変遷

 本県には唐豚とか島豚などといわれるいわゆる在来豚の存在についての記録はなく、明治の初期以降に欧米より輸入した洋種に始まっている。
 当時の輸入品種はヨークシャー種、バークシャー種を主体にポーランドチャイナ種など数多くの品種が導入されたと伝えられるが、次第に淘汰消滅しおおむねヨークシャー種を中心にバークシャー種の二品種と両種の交雑種の時代が長く続いたが、特にヨークシャー種でもほとんど中ヨークシャー種に限られるようになった。
 これは当時の農業事情や食肉の消費状態などから、大きさも熟性も中位で生食用の中型種が、大型や小型にも代用し融通性のある最適品種との見地から国の方針として二品種が選択されてきたもので、しかも原種は英国の主産地より輸入されて、その子孫が広く普及された。
 本県でも昭和二七年度に本県種豚の画期的な改良をはかると共に、その創立を記念して県立松山畜産指導所(松山市溝辺)に原産地英国ヨークシャー州より中ヨークシャー種豚、雄雌各一頭を輸入して改良の基盤とした。
 このように三〇年代の初めまでは中ヨークシャー種が独占するに至り、他品種は僅かに南宇和郡にバークシャー種が、上浮穴郡にジュロックジャージー種が飼われていたにすぎない。
 しかし昭和三六年ころから加工用型、大型種の導入が緊急課題となり、三七年にスウェーデンよりランドレース種雄豚二頭、種雌豚四頭を県立種畜場に直輸入し、品種の特性と飼養技術の研究に併せて新品種の生産業務を開始したのである。
 またこのころはあたかも日本経済は急成長時代を迎えており、農業基本法の制定とともに農業にも明るい展望と期待が寄せられた時期であったので、大型種の持つ能力的な優位性や豚肉需要の急上昇などから養豚熱の急激な高まりと共に経済連などによる外国種輸入ラッシュを迎えて品種の急激な多様化が到来するのである。
 かくて中ヨークシャー種への交雑なども試みられながら、次第にランドレース種が県内の主要品種へと移り、四〇年には大ヨークシャー種、ハンプシャー種などが加わり、いわゆるYBLWHの五品種時代から、さらにエセックス種、ジュロックジャージー種に次いでスポット種なども導入されるなどと一層品種の多様化が進んだ。
 同時に、これまでのヨークシャー種、バークシャー種の純粋繁殖の時代から、量質の改善をめざすYL、LY、LWなどの一代雑種やYLW、YLH、LWHなどの三元交配などの交雑が一般に広く普及しはじめ、雑種化時代を迎えたのである。
 かくして五〇年代からはランドレース種(L)の雌に大ヨークシャー種(W)の雄を交配したLWの雌を母豚にハンプシャー種(H)またはデュロック、ジャージー種(D)の雄を交配する雑種強勢を応用しての三元交雑の方式が県内の主流に定着し、さらに雑種利用の多元交雑は強まって、多頭飼育化の進展と相まって養豚振興の支柱となるが参考までに農林省がまとめた五〇年二月現在の豚の品種別飼養頭数を上の表2-7に掲げる。
 この結果改良が進み、本県豚肉の規格格付けにおける「上」の及格率は常に全国平均を遥かに上回っているが、さらに七〇%まで高めるべく、優秀な純粋種豚の確保をはかっている。

 種豚基地の建設

 県では昭和四二年四月南予農業経済圏整備基本計画書を策定しその推進をはかった。本計画の基本構想は農業を中核とする第一次産業との関連において二次、三次産業の発展を誘発せんとするもので、農業の振興作目はみかん・乳牛・肉豚・養蚕があげられ、これらの関連施設と道路網の整備が柱にかかげられた。
 特に肉豚施設の整備計画には、と畜処理加工施設と原種豚場建設が示され、関係農協と経済連が事業主体として指定されたが、と畜関係は既存の食肉センターを利用することとし、原種豚センターを新設して県立野村種畜場や圏域内の三瓶ほか五か所の種豚センターとの関連を再編整備して優良種豚供給を一元化して、県外依存度の高い素豚供給の現状を改善することとなった。
 そこで四三年一〇月九日原種豚センター設置検討委員会が設けられて基本計画や広見町出目に設置の決定をみた。
 こうして原種豚センターは南予地区一市一九町村の広域農業経済圏事業として四四年一二月五日落成、優良原種豚の輸移入し、ランドレース種を中心に系統繁殖が開始され、県立種畜場ならびに農協種豚センター、養豚農家の系列化および生産販売の一貫体制の確立を前提に、純粋種豚の改良増殖と優良繁殖豚・肉豚の県内自給体制の確立の第一歩を踏みだしたのである。
 なおこれに先だち三八年に種豚生産基地造成事業により設置された伊方町子豚生産センターを初め各種設置事業により三瓶・宇和・津島・広見・三内・菊間・来村・南宇和などに順次設置された八子豚(種豚)センター、あるいは四二年の系統農協営農団地造成大綱によって樹立された一一養豚団地(土居・周桑・中予・伊方・三瓶・明浜・宇和・鬼北・宇和島・津島・南郡)および養豚団地育成パイロット事業による大洲市における種豚供給センターを中核とする大型団地などの造成推進および契約生産の着手などにより、子豚生産は飛躍的に増加し子豚需給面では間もなく自給自足態勢がとられることとなり、四〇年代末には養豚経営タイプでも一貫経営タイプの増加が目立ち、その経営タイプ別飼養戸数をみると、子取り経営が四六%、肥育経営が一七%、一貫経営が三七%となり、一戸当たりの飼養頭数も子取りで二五頭、肥育八六頭、一貫九四頭と一貫経営は大きく前進することとなった。

 清浄豚の作出と普及

 昭和四〇年代に入り、養豚経営が拡大し、飼養密度が高まるにつれて疾病が多発するようになり、特に豚流行性肺炎・豚萎縮性鼻炎・トキソプラズマ病・豚赤痢などのまん延が著しく、ほとんどの養豚場が汚染され、生産性の低下、斃死、廃用などの被害を受けその対策に苦慮していた。
 このため県でも、これら特定の真性伝染性疾病を保有しない豚、いわゆる清浄豚(SPF)の作出について、先進の農林省家畜衛生試験場の指導を得て調査研究に着手し、順次子宮切断法、帝王切開法、産道切開法などによる無菌的に胎児を摘出し、無菌的施設で、無菌的に飼育して特定病原菌不在豚を作出技術が開発されてきた。
 その後県畜産試験場・家畜保健衛生所・県経済連などの指導で昭和五〇年一二月野村町の雀田にSPF養豚場が建設され、コマーシャルSPF豚三七〇頭が導入されたのが始まりで、その後の経過も良好で五一年五月から分娩をはじめ、肉豚用SPF豚として肥育し出荷してきた。
 次いで五三年一一月日土青果農協が管内トリヤマ養豚団地(繁殖経営五戸、肥育経営四戸、一貫経営八戸)にSPF豚を導入し生産に取り組んだ。
 これらの経営実績による利点は、

 (1) 事故率が低い。 (2) 飼料要求率が低い。 (3) 一日当たりの増体がよい。 (4) 衛生費が安い。

ことなどがあげられ、県内一般豚と比べて、かなりの生産コストが引き下げられたので県でも一層の実用化、普及を図ることとなった。
 なお指導中の生産組織の体系図を示せば次のとおり。





表2-7 全国品種別豚飼養頭数・愛媛県種豚検査

表2-7 全国品種別豚飼養頭数・愛媛県種豚検査


図2-2 SPF豚生産組織の体系図

図2-2 SPF豚生産組織の体系図