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愛媛県史 社会経済1 農林水産(昭和61年1月31日発行)

二 地方競馬


 地方競馬の沿革

 馬産の振興に競馬は欠かせないものであった。また競馬の隆昌には馬券の発売は必須の条件であって、洋式競馬が初めて行われたのは、慶応元年の東京根岸競馬で、日本人の経営で馬券が発売されたのは、明治三九年の東京池上競馬が最初で、大変好評だったためその後各地に競馬が広がったが、明治四一年に馬券の発売が禁止されて、競馬の人気も衰えていった。
 以来十有五年、馬券のない競馬の開催で軽種馬生産業界は悩み続けたが、大正一二年に至り競馬法の公布となり、馬の改良増殖と馬事思想の普及をはかる目的のもとに、馬券を発売する競馬が行われるようになって、再び競馬人気は全国的に広がった。
 県内でも五〇〇年以上の歴史を持つ菊間町のお供馬のように古くから各地に娯楽競馬場があって盛んに草競馬が行われた。松山付近や東予では調子乗競馬(速歩)が好まれ、松山以南では駆馬競馬が主で、大抵二~三〇〇mの直線、円形の競馬場を持っていた。明治のころに城北練兵場で競馬が行われて一層盛んになったという。
 昭和二年地方競馬規則が公布されるや、こうした要望を背景に本県でも県畜産組合連合会が開設することとなり、昭和四年に三津浜競馬場が、同五年に三芳競馬場が発足して、大衆娯楽と馬産振興に大きな支えとなったが、戦時の軍馬資源保護法との関連で三芳は廃止され、三津浜は軍用保護馬の錬馬場と変わり、戦後二一年競馬場として復活したが、財源魅力も少なくなった三〇年五月競馬を最後に廃止された。