データベース『えひめの記憶』

えひめの記憶 キーワード検索

愛媛県史 社会経済1 農林水産(昭和61年1月31日発行)

一 家畜市場


  1 牛馬市場

 牧の制度の崩壊後、私牧の出現と牧の荘園化が起こり、さらに荘園内での牧場経営が多くなり、生産牛馬の一部は貢納されたが、後にはその余剰で、穀物市場のように牛馬の取り引き専門の市場が設けられるようになった。
 殊に馬が軍馬として使用されるようになり、その調達の場としてばかりでなく、農耕技術の進歩や交通の発展につれて農耕あるいは交通運搬に使役することが増えたことなどが、大きな原因となって牛馬市場が設けられた。
 牛馬の奨励が盛んとなるにつれて、大きな牛馬所有者も現れるようになり、近世になって産牛馬地も繁殖、育成、使役の各地帯に分化したのに対応して牛馬市場も産地、消費地、中継地市場へと機能分化し、各地で牛馬市が盛んに開催されるようになった。
 有名市場で最古のものは京都五条室町の馬市で、中央消費地での一大供給市場として名の高かったのは大阪天王寺市場であって、地元をはじめ中・四国、九州からも牛馬商人が集まり盛況を極め、日々牛馬の往来が絶えなかったといい、当時四国からも伊予牛や讃岐牛が天王寺へ「登り牛」として盛んに仕向けられていたという。
 県内でも各藩の牛馬奨励が進展するにつれて牛馬市場も隆盛となり、有名牛馬市では宇和島藩の喜木市(西宇和郡)、大洲藩の五十崎市(喜多郡)、松山藩内の野尻市(上浮穴郡)などで古くから繁昌し、遠く豊後・土佐・阿波の諸国からも牛馬商の訪れる者が大変多く、その年市や大市は地域ぐるみの一大行事として関心を呼んでいたという。
 またこれら以外の市場もそれぞれ古い歴史の中で中絶再興を繰り返しながら、明治二一年には四〇か所に達し、売買頭数も牛二、二一七頭、馬二、八八七頭、計五、一〇四頭の売買成立をみている。
 しかし、これらの取り引きは多くは牛馬商の手を通して行われていたため、市場における問題行為も多かった。そこでこれを防ぐため、明治元年一一月の牛馬渡世鑑札下付以来各種法令の規制が行われ、明治四一年九月には県令第一〇二号を以て牛馬売買取締規則の発令により、改善が講じられたが大きな実効が期待できなかったため、翌四二年四月に家畜市場取締規則が発令され、従来の市場外任意売買を厳禁し、家畜の売買はすべて市場内「セリ売法」によることとしたため、当時としては未曽有の一大改革であったので、当業者の打撃やとまどいも大きく、これに反抗して市場の成立を妨害しようとする者も多かったため、一層厳重な取り締まりを行い旧慣の打破に努めた。


  2 家畜市場

 明治四三年に家畜市場法(法律第一号)が発布され、売買法は完成の域に進み、同法に準拠して県下各地に市場が設置された。
 大正五年には今治、宇和島に常設家畜市場のほか四三定期市場が開催されていたが、昭和二年には松山市に常設の立花市場が加わり、常設三、定期五八、合計六一家畜市場を数えるに至っており、牛馬の売買頭数も市場外取り引きを除いて、なお七〇%を占める程になっていた。
 しかし終戦後GHQの意向により、昭和二三年に家畜市場法が廃止されることになった。
 そのためこれに代わり昭和二四年三月二五日愛媛県家畜市場条例(県条例第一三号)を施行すると共に、続いて二六年一二月二五日愛媛県子牛子馬取引条例(県条例第六七号)を施行して、混乱の渦中にあった家畜取り引きの正常化に努めたが十分な効果を上げ得なかった。
 そこで家畜市場を経由する公正妥当な取り引きと価格形成および不正取り引き防止をはかるため、「セリ売リ」の徹底で不正防止をはかるべく、昭和三一年六月一日家畜取引法(法律第一二二号)を公布すると共に地域家畜市場の再編整備を促進することとなったが覆水盆に帰らず家畜の入場、取り引き頭数は減少傾向をたどり、市場の開設状況も異常となり、やがて経済連との統合により残存三六家畜市場を経済連に引き継ぐことになった。
 なお昭和二三年における家畜市場の開催状況は次表3-5のとおりである。


  3 家畜市場の再編整備

 昭和三六年二月経済連と畜連との統合基本方針において、家畜市場を再編整備して、その運営を合理化することが示された。
 そこで経済連は家畜市場の集約整備にとりかかり三七年度には金生市場など一七市場を廃止して一九市場(表3-6)となり、これに呼応して県でも翌三八年一月二五日県告示第五六号で再編地域指定を行った。
 そして四〇年度までに三島など四市場が廃止され一五市場となった。また四二年度に内子など三市場を廃止するが翌四三年度に三瓶に豚市場を新設して一三市場となった。
 その後西条など七市場を廃止したが、南予家畜市場(宇和町)が新設され七市場となるが、五二年度にはまた新居浜市場を廃止することとなり現在の丹原、今治、松山、久万、大洲、南予の六市場となった。
 かくて長い歴史を持った家畜市場は、生体共同出荷についで食肉センター設置などによる枝肉あるいは部分肉出荷の急増などで、その機能を減退させて衰微するに至ったのであるが、その推移を次表3-7に掲げる。



表3-5 昭和二三年における家畜市場開催状況 ①

表3-5 昭和二三年における家畜市場開催状況 ①


表3-5 昭和二三年における家畜市場開催状況 ②

表3-5 昭和二三年における家畜市場開催状況 ②


表3-5 昭和二三年における家畜市場開催状況 ③

表3-5 昭和二三年における家畜市場開催状況 ③


表3-5 昭和二三年における家畜市場開催状況 ④

表3-5 昭和二三年における家畜市場開催状況 ④


表3-5 昭和二三年における家畜市場開催状況 ⑤

表3-5 昭和二三年における家畜市場開催状況 ⑤


表3-6 家畜市場別家畜別取引成績表 (昭和33~37年)

表3-6 家畜市場別家畜別取引成績表 (昭和33~37年)


表3-7 家畜市場取引成績 (昭和54年1月~12月)

表3-7 家畜市場取引成績 (昭和54年1月~12月)