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愛媛県史 社会経済1 農林水産(昭和61年1月31日発行)

一 場・所及び機関の沿革と業務の内容


  1 愛媛県立種畜場(旧周桑郡庄内村)

 本場は農業経営の合理化発展に伴い、畜産振興機運の上昇する大正九年、庄内村長村上盛一は郡内畜産関係有志と謀り、種畜建設運動を起こし、大正一〇年九月三〇日の創立にかかり、大正一〇年度及び同一一年度の継続事業として起工、大正一一年一〇月建設工事を完了し、家畜の改良増殖に資すべき諸種の施設を整備し、(イ)種畜の繁殖・育成・配付・(ロ)候補種牡牛の受託育成・(ハ)家畜の管理及び飼養に関する試験・(ニ)家畜の肥えい法に関する試験・(ホ)飼料の栽培及び貯蔵に関する試験・(ヘ)講習・講話などの事業を開始した。
 その後逐次施設を拡充し昭和九年七月農事修練場を併設し国有地七haを借り入れ修練生養成業務を開始した。
 同一一年に至り愛媛県立種畜場南予分場(野村町)を創立するが、一七年に至り農事修練場、南予分場ともに独立して県立庄内種畜場に戻った。


  2 愛媛県有畜営農伝習場

 終戦後の二五年四月一日庄内種畜場と農事修練場が統合して愛媛県立有畜営農伝習場が設置されたが、三四年に愛媛県農業研修所に改組し、四七年廃所となり、跡地に松山市より愛媛県養鶏試験場が移転設置された。


  3 愛媛県立野村種畜場(東宇和郡野村町)

 本場は昭和一一年九月、愛媛県立種畜場(庄内の本場)南予分場として設立認可を得、翌一二年二月竣工、黒毛和種種牡牛の繋養と種付け、候補種牡牛の育成貸し付け、牡犢の預託育成、種めん羊の繁殖配布、種豚の繁殖、育成、配布、畜産伝習生の養成、講習講話などの業務を開始した。
 昭和一七年に至り愛媛県立野村種畜場として独立し、未利用資源の飼料化試験、畜力利用試験、粗飼料利用試験、豚肉加工試験、獣医手養成、山羊の増殖無償貸し付け、人工授精試験と普及業務を加え、さらに一九年県立野村畜産指導場と改称して養鶏事業を加え重点を技術指導におくことになったが翌二〇年には再び県立野村種畜場に戻った。
 戦後県下酪農業の進展に併せ乳牛に関する事業に関心が注がれるようになると共に三二年に「県立酪農指導所」が喜多郡内子町に新設され、乳用種雌牛の全部が移管されることになったので愛媛県立種畜場と改称して、従来の業務に加え県下各地の全種雄牛を集中管理を行い、人工授精業務の万全を期することになったほか肉牛、肉豚業務の充実に当たることになった。また三七年に畜産技術研修所を併設し革新技術開発普及を行うことになった。


  4 愛媛県立酪農指導所(喜多郡内子町)

 さきに述べたように昭和三二年七月内子町の旧五城中学校跡地に愛媛県立酪農指導所が新設され、乳牛の改良増殖配布並びに飼料作物の栽培、酪農の技術指導、酪農振興に関する試験研究を重点に業務が開始され、特に四二年着手した乳用雄子牛の育成事業などは大きな影響を与えたが、四八年三月県畜産試験場に統合のため廃所となった。


  5 愛媛県立松山畜産指導所

 当所は昭和二七年七月一一日設立認可され旧蚕業試験場湯山支場跡に設置され、一〇月一日より中予地区における家畜改良の拠点として種雄牛の繋養と人工授精の普及及び中小家畜の振興に重点をおいて業務を開始し、逐次整備充実を期してきたが、その後三二年人工授精事業の一元化による県立種畜場への種雄牛の集中管理、また三四年の有畜営農伝習場より産卵能力集合検定の移転を契機に県一円の養鶏単独施設となった。


  6 愛媛県養鶏試験場

 こうして同年一二月二一日条例第五三号で養鶏試験場が設置され、松山畜産指導所を廃止して翌三五年一月一日より業務を開始した。
 その後養鶏の急速な発展により試験研究機関の重要性が叫ばれるようになり、現状の規模、施設あるいは立地条件などから移転が要請され、四六年一〇月県条例第三四号で東予市福成寺の県農業研修所廃所跡に移転することとなり現在に至っている。


  7 愛媛県畜産試験場

 革新技術体系の採用と新技術の開発を推進するため、農業関係試験研究機関の整備充実が強く要請されており、加えて家畜改良事業団精液移入への全面切り換えによる種雄牛の繋養廃止など時代の変遷に対応して県立種畜場・県立酪農指導所・県立畜産技術研修所を廃止統合して旧種畜場跡に愛媛県畜産試験場が四八年四月一日発足、業務を開始することになった。
 以来適切な県畜産行政への対応や畜産農家の要望に応える試験研究活動を拡大充実して、その成果に基づく技術の普及や研修指導を重点業務として推進し今日に及んでいる。