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愛媛県史 社会経済1 農林水産(昭和61年1月31日発行)

二 牧草及び飼料作物の生産


  1 明治時代から昭和前期までの牧草及び飼料作物の生産

 飼料自給の芽生え

 モンスーン気候と高い人口密度の結果、わが国の農業は古くから米・麦を中心とする主穀農業で、しかも、その経営規模は小さく、著しい労働集約的な農業が営まれていた。このため、欧米ならば当然畜産を主体とする経営が行われるような立地条件のところでも主穀農業が行われており、畜産は全くその地位を得るに至らず、家畜はあっても生産手段としての役畜か軍馬として飼養されていた程度であった。従って飼料生産については、古くからレンゲやウマゴヤシは外国から導入されていたが利用は少なく、明治になり酪農その他用畜を中心とする主畜農法が導入されるに及んで、飼料自給のため飼料作物が試作されるようになった。明治二三年には、新居・越智・温泉・伊予の四郡においてレンゲの栽培が始まり、その後も先進地の岐阜県よりレンゲ種子を導入して普及に努めたが、当時は肥飼料作物として水田裏作栽培を行っているが、大農の労力配分調整用の役目も大きかった。従って林野・畦畔の野草と稲藁を主体とし耕地特に表作(夏作)に飼料作物を栽培する農家はほとんどなかった。
 しかし昭和に入ってから、農村不況期にも牛乳の需要は順調に伸び続け、飼育者も従来の「搾乳業者」から農民の乳牛飼養、いわゆる酪農家が次第に増加したが、当時の酪農は小規模な主穀農業に従属したものであり、結局、夏場は青草で飼って、冬場は購入飼料で飼うという飼料構造が主体となった。このため自然飼料も肥料用レンゲの飼料化、あるいは農場副産物の飼料化が主体で飼料作物はカブなどの多汁性飼料作物が僅かに作られた程度であった。

 自給飼料の生産促進

 こうして戦時色が強まるにつれて、飼料の需給は逼迫し昭和一三年には飼料配給統制法が公布され、濃厚飼料の統制強化と同時に自給飼料の生産を促進するため、飼料自給奨励規定が制定された。これによりサイレージに関する模範施設や飼料の生産・調整施設設置に対する補助や県の専任指導技術者設置補助などにより、自給飼料生産の奨励指導面も強化され、飼料作物の作付け面積もレンゲ・青刈大豆・青刈蚕豆・ザートウィッケンなどの作付けが逐次増加の傾向にあったが、満州大豆はじめ飼料輸入がだんだん杜絶し、加えて米麦・いも類の食糧増産の必要から、自然飼料の栽培余地がないことから、やがて家畜も減少することとなった。
 県でも自給飼料生産の奨励指導を強化すると共に、昭和一六年一〇月三日県告示第七二八号で飼料作物種子配布規程を制定するなど、従来は直接肥料としていたものも、飼料として一度家畜の腹を通したのち肥料とするよう合理化も進んできたが、しかし、濃厚飼料へ依存度の高い家畜は打撃も大きかった。牛馬をはじめ、めん山羊などの草食家畜の被った影響は比較的少なくてすんだのは畜産復興に大きな力となった。


  2 昭和戦後における牧草および飼料作物の生産

 敗戦直後の日本は食糧不足や戦災による第二次産業の徹底的喪失により異常な荒廃状況となり、農業の使命も澱粉食糧の増産に注がれ、家畜はめん山羊を除いて大きく減少し、飼料作物も年々減退した。そして山野草のほか、クズの育種をはじめ、アカシア・ヤマハンノキ・イタチバギなどの飼肥料木の栽培、ミカン(葉・皮)などの飼料化、一毛田飼料作利用など未利用資源の活用、休閑地の利用による飼料の増産確保に関する畜産復興施策は大いに推進された。食糧事情が緩和されてきた昭和二六年ころからは甘藷・馬鈴薯・雑穀などの作付けが減少しはじめると、先ず飼料作物の畑作への導入が増加しはじめるが昭和二八~三〇年の粗飼料の需要量は上表3-14のとおり、飼料作物の年間供給量は六~七万tにすぎない状態であった。
 なお飼料作物種子を確保するため県営採種圃、国営原種補助採取圃を設置して、その生産種子と購入種子を県内希望者および四Hクラブに配布してきたが昭和二七年度における概況は次のとおりである。
 昭和二八年からはいわゆる有畜農業が推進されることになり、家畜の導入には所定の飼料生産基盤を備えることが要件となったため、家畜の増加に比例して飼料作物の作付け面積も増加した。
 かくして日本経済が「もはや戦後ではない」といわれた昭和三〇年前後から農業を取り巻く環境は急変することとなった。すなわち国民の食糧消費の構造も大きく変わり、昭和三六年には農業基本法が制定せられ、畜産は今後の成長作目となり農業構造改善事業の基柱となった。
 このような趨勢の中で、自給飼料増産奨励事業・飼料自給化研修事業・麦作対策の一環として麦作転換飼料協同化施設設置事業などが実施されると共に、昭和三六年度中予に一六か所、同三七年度東中南予に四八か所の飼料作物特別指導地設置事業が次表3-16の通り実施された。
 さらに飼料作物の大幅な作付け増大の必要から昭和三九年度より三か年間に増加作付面積を対象として飼料作物の生産、加工、調整、貯蔵のための協同化施設の設置を補助する緊急飼料増産利用促進対策事業あるいは飼料作物耕種基準なども策定され、また県飼料作物奨励品種も定められ順次改められて現状は下表3-17のとおりである。
 このように昭和三〇年代後半から飼料自給のための施策も積極化され、三九年には本県で飼料化に成功した温州みかん副産物のジュース粕サイレージ利用の試験が始まり、四〇年から従来の特別指導地の設置に代わる飼料作物高位生産指導地設置事業を野村町を中心に南予の中山間地に設けた。
 四五年には飼料基盤整備事業による飼料畑の造成事業が始まり、翌四六年には大洲市菅田にスチール製大型気密サイロが建設され、さらにこの年稲作転換が大きく打ち出されて、飼料作物は麦や大豆と共に特定転換作物として重視されるようになり、緊急粗飼料増産総合対策事業などの導入により酪農家を中心に転作田による飼料作物の生産が飛躍的に増大することになるが次表3-18にその一端を掲載する。
 五〇年に至り新規に水田裏飼料作物生産集団育成事業が着手され、その第一年度に土居・大洲・宇和・野村の四市町で一〇集団七七町七反の土地集積による作付け増加がみられると共にこの生産集団の育成に併せ以後三か年にわたり生産奨励補助金が一〇a当たり冬作五、五〇〇円、夏作六、五〇〇円、永年作目七、五〇〇円が助成され、さらに翌五一年には飼料用麦の政府買い上げが行われるようになり上表3-19のように作付けが定着した。





表3-13 公共育成牧場の現状 (52.9.1現在)

表3-13 公共育成牧場の現状 (52.9.1現在)


表3-14 粗飼料の需要量 (昭和二八~三〇年度)

表3-14 粗飼料の需要量 (昭和二八~三〇年度)


表3-15 県内採取圃場生産種子配布概況

表3-15 県内採取圃場生産種子配布概況


表3-16 飼料作物特別指導地設置事業実績

表3-16 飼料作物特別指導地設置事業実績


表3-17 愛媛県飼料作物奨励品種 (昭和57年度)

表3-17 愛媛県飼料作物奨励品種 (昭和57年度)


表3-18 飼料作物生産対策事業

表3-18 飼料作物生産対策事業


表3-19 飼料作物等の作付面積

表3-19 飼料作物等の作付面積