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愛媛県史 社会経済2 農林水産(昭和60年3月31日発行)

四 造林事業の沿革

         
 終戦当時の状況

 本県に於ける造林事業は、明治三三年一月県令第七号によって、愛媛県山林植樹費補助規程が制定され、本県内の保安林公有林及び共有林に樹苗の新植をなすものは、本規程に拠ってその費用が補助されたのを始めとする。その後数度の改正があったが造林補助の対象となるものは、公有林並びに之に準ずるものに限定されていた。昭和二年一二月に愛媛県令第八二号で水源涵養造林補助金下付規則が公布され公有林以外の私有林にも造林補助金が下付せられることになり、更に昭和四年一一月、愛媛県告示第七〇一号で民有林の造林を奨励するため一般造林の補助の途が展けた。戦事中は軍用材の供出に伴い、労働力の面で造林は低下し伐採跡地の造林は停滞した。戦後の造林事業は、戦時中の伐採跡地ならびに、終戦直後より復興用材として伐採された跡地に、いかにして造林するかが課題であった。終戦直後二~三年の間はただ食糧増産にのみ追われ、社会経済が不安定なために、造林のような長期事業への投資はほとんどかえりみられず、計画的な造林までに到達することはできなかった。
 昭和二三年当時、戦時中、戦後の乱伐、暴採に伴う伐採跡地は、約三万九、〇〇〇haの多きに達していた。これに年々伐採され新たに植林を要すると思われる面積約三、〇〇〇haをあわせ、植伐均衡にまで導くには如何にすべきであるかが、その当時の当面した問題であった。

 戦後の造林五か年計画

 昭和二四年敗戦国日本を復興するべく経済復興五か年計画が樹立せられた。これと同時に本県においても、愛媛県造林五か年計画を樹立し、三万九、○○○haの伐跡一掃にのりだしたのである。
 それまでの民有林造林の奨励は、森林資源造成法(昭和二〇年四月四日法律第三五号)にもとづく証券造林により行なわれていたが、昭和二四年度からは国費による民有林造林補助が大々的に実施せられることになった。緑化思想の普及のため、国土緑化推進委員会が設立せられ、学校造林の促進など、物心両面より造林の促進が実行されることになった。翌二五年五月には開拓行政の行き過ぎ是正と幼齢林に対する保護政策として、造林臨時措置法が公布実施せられ、造林者の不安を一掃した。
 当時県において最も腐心したのは苗木養成の問題であった。食糧増産を第一とする時代に農耕地の一部を山林用種苗育成のために確保することは極めて困難な問題であった。
 本県の造林が今日、全国的に上位の線に到達しだのは、当時の林政司政者と民間造林指導者が協力して、これら難問題の打開にっとめた結果である。
 一年生幼苗の養成に当たっては、全額県費でもって県営で養成し、これを県下の造林者に無償で配布したことが、今日の本県大造林形成の一因をなしたことは論をまたない。
 その後、昭和二七年には、経済復興計画の改訂と更に森林法の画期的な改正にともない、造林計画年次など若干の変更を見たが、この「造林未済地の解消」は常に計画の主目的をなしていた。
 かくて緑化思想の浸透と一般経済の復興にともない造林面積を拡大し、昭和二九年度には年間造林面積一万一、六一四haにも達し、本県民有林において未曽有の大面積造林が行なわれ、三万九、〇〇〇haに及んだ。造林未済地にたいする造林は、昭和三一年度をもって完了することが出来、植伐均衡の体制に一応導くことができたのである。
 その後年々減少する傾向にあったが、近年まつくい虫被害の拡大とともに被害跡地における樹種転換を早急に行なうよう指導援前に努めた結果、造林事業量は増加する傾向に転じた。
 また、造林事業を集団的、組織的、計画的に推進するとともに、植栽から除間伐に至る造林事業を総合的に実施するため、昭和五四年度から森林総合整備事業を導入し、また、昭和五六年度からは間伐促進総合対策事業を実施して、成熟期に向かいつつある本県人工林の除間伐の推進によって健全な森林の造成につとめている。

 造林の長期計画

 昭和三五年に林種転換を中心とした第二次造林一〇か年計画を樹立、ひき続き長期造林計画に基づいて人工林率七五%を目標に造林を推進してきたが、その後、経済社会の変化に伴う天然林の見直し、造林事業推進の困難性など、造林実績が計画を下回る傾向にあることから、昭和五六年度策定の愛媛県総合林政計画に基づき表1―10の長期計画によって造林事業を推進するものである。

 優良樹苗の養成

 造林に必要な優良、健苗を確保するため、優良母樹林、採種林より必要な種子を県直営で採取し、これを系統機関に払い下げ、需要計画の円滑な推進をはかっている(表1―11・表1―12)。

 造林面積の動き

 樹種別造林実績の割合は、昭和三三年まで五〇%を占めていたすぎが、造林適地の減少等から年々減少し、マツは、マツくい虫被害が影響して植栽実績は皆無となっている。これに対して、ヒノキの割合が昭和五七年度八四%を占めるまでに増加し、しいたけ原木林としてクヌギ(その他)の造林実績も約五%を占めるまでに増加している(表1―13)。

 除間伐等の保育事業

 戦後の拡大造林によって除間伐期を迎えた人工造林面積は一二万haにのぼり、この内緊急に間伐を必要とする森林は八万六、○○Ohaに達していることから、各種事業を活用して除間伐等保育事業の徹底を図っている(表1―14)。

 林木育種事業

 本県の林木育種事業は、昭和三一年より着手し、精英樹の選抜、クローン養成、採種園、採穂園の造成、次代検定林の設定並びに抵抗性(耐寒風)採種園、採穂園の造成を完了している。


表1-10 年次別、再・拡別造林長期計画

表1-10 年次別、再・拡別造林長期計画


表1-11 昭和57年度種子採取及び山行苗生産実績

表1-11 昭和57年度種子採取及び山行苗生産実績


表1-12 苗畑面積の動き

表1-12 苗畑面積の動き


表1-13 再・拡別樹種別人工造林実績表

表1-13 再・拡別樹種別人工造林実績表


表1-14 事業の種類別保育事業の補助実績

表1-14 事業の種類別保育事業の補助実績


表1-15 採種、採穂園

表1-15 採種、採穂園


表1-16 抵抗性採種、採穂園

表1-16 抵抗性採種、採穂園