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愛媛県史 社会経済2 農林水産(昭和60年3月31日発行)

七 特殊林産物の沿革


 竹材等生産の動き

(イ) タケとササのちがい
 タケとササの区別は、一般にはタケは大きくササは小さいもの、というようにはなはだ漠然と区別されているが、もっと的確で簡単な見分けかたがある。それはタケノコは竹の皮(学問的には稈鞘)で密に包まれているが、タケノコが生長するにつれて、竹の皮が下方のものからつぎつぎに落ちてゆくのがタケである。竹の皮が落ちずにいつまでも節について残っているものはササである。
 しかし名まえがタケなのにササで、ササなのにタケのものもある。たとえば、ヤダケ(矢竹)やメダケ(女竹)は名まえはタケでも竹の皮がいつまでも落ちないのでササであり、シャコタンチク(積丹竹)やカンチク(寒竹)も同じようにササであり、オカメザサ(阿亀笹)は名言えはササでも、竹の皮が早く落ちるのでタケである。

(ロ) 本県におけるタケとササ
 本県の石鎚山に石鎚教という山岳宗教のメッカがあり、登山参詣者は当山のイシヅチザサの葉を無病息災のお守りとして持ち帰り、それを家の軒下や田畑に立てて虫除けにしている。これはその名の指す如く明らかにササである。
 伊予の特産品イヨスダレはスダレヨシともいい、稈はヨシのように一本立ちで二mにも伸びる。それでだれもがヨシの類と思って旧幕府時代には製品はスダレ商が扱っていた。ところが当時、竹製品は竹屋で、ヨシの製品はすだれ商で取り扱うことになっていたので、竹商よりいいがかりがついて、ついに裁判沙汰となり、裁判官はイヨス山の自生地を見学して「スダレヨシはヨシの類ではなくタケの一種である。」と結論した。その後、竹商の勢力範囲に移されてしまい、すだれ商時代から長らくスダレヨシと銘打っていたが、その裁判に負けたときからイヨスダレと改め今日に至っている。
 このイヨスダレは、上浮穴郡久万町(旧父二峰村)露峰(八八七m)の頂上をやや下ったあたりの通称イヨス山に六六aの自生地がある。ここは樹木が伐採された笹つ原で他の山林とは確然と区別されている。この自生地の区域は旧藩時代までは大洲藩の所有地として、一般人民の使用を禁じていた。明治維新の際、国有林になり、その後、公売され私有地になったが、昭和二四年地主が父二峰村に寄付し、同時にイヨスダレの自生地は県の天然記念物に指定された。
 本県における竹の栽培については、マダケ・ハチク・モウソウチクの三つであるが、これの沿革については明治以前の林政史、松山藩で詳述したので省略する。

(ハ) 竹林と防災
 我々が忘れてならないことは、竹林がしっかりと国土を守っていることである。集中豪雨のあとには、どこかで山崩れによる大被害のニュースが伝わってくる。ところが竹林でしっかりおおわれている地域では被害がない。たとえば一〇年まえ高知県繁藤でおきだ山崩れで六〇余名の死者、家の倒壊などの惨害があり、この上方には竹林がなかった。しかし、この地つづきで竹林のあったところは何の事故もなく安泰であった。これに類する例は、昭和五一年本県の各地でもみられた。川の堤防が竹林で守られた実例、特に肱川両岸の竹林の如く、竹林の土中にネットを重ねたように連なり広がっている地下茎群と、地上に立つ多数の竹との強い連帯協同力が被害を防ぐ防災となっている。
 竹林は水害のみならず地震のときに安全な避難場所ともなっている。

(ニ) 竹林等生産の動き(表1―37)

 しいたけ生産の沿革

 本県におけるしいたけ生産は昭和の初期に九州大分県より経験者を招いて主として西宇和郡方面で指導を仰ぎ、栽培を始めたものと想われる。勿論、藩政時代より、明治、大正と杣人達が山に入り自然発生のしいだけを採取して食用にしていたことは充分に想像されるが、しいたけに適する原木を適期に切って、栽培を始めたのは昭和の初期である。初期の時代は天然栽培で、雌雄別々の胞子が、空中に飛散したものが、原木の鉈目に落ちるのを待つために、まず、原木を胞子が飛んできそうなところへ置き、傘木を厚く掛けて、胞子を含んだ風の速力を弱め、胞子を原木の上に落下させるような指導をしていた。
 昭和一〇年代になり、国立林業試験場で北島君三博士が培養菌糸による種菌を発見し、胞子よりのしいたけ発生を一年縮め、しかも栽培を安全なものにした。愛媛山林会では北島博士を久万町川瀬、東宇和郡野村町に招き、実地指導の講習を受けた。木県における近代的しいたけ栽培の技術講習は恐らくこれが初めてであろう。その後戦後昭和二三年に鳥取農業高等学校の椎名教授を迎えて人工培養した駒木による埋榾栽培の講習を行い、一方関東で有名な森喜作氏の鋸屑種菌による培養菌が広く本県に流入して来た。この二つの流れが広く県内に浸透し、森林組合連合会が昭和三六年松山市南立花町に共販市売市場を開設、続いて椎茸貯蔵庫を設立し三六年の秋子より共販を行なった。
 しいたけを中心とした特用林産物は、近年食生活の向上と多様化等から、需要は増加の傾向にあり、今後も複合経営の基幹作目としてその地位を占めるものと思われる。特に、全国第三位の乾しいたけ生産の地位にある本県では、しいたけ生産が農林家経済に占める割合は大きい。

 しいたけ生産の動き

 しいたけの生産は、急激な増加を示している・昭和四五年に乾しいたけ五五四tであったものが、昭和五七年には一一九六tに達し、約二・二倍の伸びを示している。
 特に生しいたけ生産の伸びは著しく、昭和四五年に比較して五倍に増加している。

 特用林産物の生産流通の見通し

 本県における特用林産物は前述した竹材としいたけであるが、この外、ひらたけ、えのきだけ、なめこ、わさび、木ろう、竹皮、しゅろ皮、栗等かあるが、詳述は省きこの数年の推移と将来の目標を下に示しておく。



表1-37 竹材等生産の動き

表1-37 竹材等生産の動き


表1-38 しいたけ生産の動き

表1-38 しいたけ生産の動き


図1-14 しいたけ生産量の動き(県林政課)

図1-14 しいたけ生産量の動き(県林政課)


表1-39 特用林産物生産の推移と見通し

表1-39 特用林産物生産の推移と見通し