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愛媛県史 社会経済2 農林水産(昭和60年3月31日発行)

二 新漁業権の設定と更新


 漁業権の切替え

 新しい漁業制度発足の最初の大きい仕事は旧漁業権を新漁業法に基づく漁業権へ切替えることであった。前述したとおり新漁業権への切替えは新漁業法施行後二か年間の準備期間をおいて、この間に新しい漁場計画を立てて行なうこととされた。
 昭和二六年五月の政令によって、旧漁業権の消滅は昭和二六年九月と二七年一月に指定され、この間にできなかったものは二七年三月までには消滅させることとされた。
 本県の漁業権切替えは最初昭和二六年九月一日に共同漁業権が、次いで同年一〇月一日区画漁業権、昭和二七年三月一日定置漁業権の順序で実施された。表2-11に昭和二六年から二九年までの間に免許された漁業権免許状況総括表を示したが、共同漁業権四四四件、区画漁業権一〇九件、定置漁業権二四件、計五七七件であった。これを昭和二三年のものと比較すると区画漁業権が五八件増加した反面、定置漁業権、特別漁業権が大幅に減少集約されたほか、専用漁業権がなくなったため総件数においては約六分の一に集約された。

  1 定置漁業権

 昭和二七年の定置漁業権

 新漁業法に基づく本県の定置漁業権は昭和二七年三月一日に三崎漁業組合と神松名及び四ッ浜地区の個人に対していわし定置漁業の八件が免許されたのが最初で、以後二七年三月一日にいわし定置網(町見地区二件、東外海地区一件)、さば定置網(真穴地区一件)、まぐろ定置網(内海地区二件、下灘地区一件、西外海地区二件、東外海地区二件)など一一件が、同年五月一日にいわし定置網(八幡浜地区一件、町見地区一件)など二件が何れも個人に対し三一年六月三〇日までの期間で免許された。そして翌二八年二月二七日にぶり定置網が(内海地区一件)三一年一二月三一日までの期間で個人免許となり、さらに二九年六月八日にいわし定置網が(町見地区一件)三三年一〇月三一日までの期間として免許となった。昭和二七年から二九年末までに免許した定置漁業権は何れも宇和海地域であり、合計二四件が殆ど個人免許となった。

 昭和五四年の定置漁業権

 昭和五四年四月一日現在の定置漁業権が免許されているがこの概要は資料編第三節34のとおりである。昭和二九年当時に比べ、件数では三分の一に減少し、対象魚種もいわし、ぶり、まぐろ、さばなどから雑魚一本となった。

  2 共同漁業権

 昭和二六年の共同漁業権

 昭和二六年九月一日に新漁業法に基づく初めての共同漁業権が燧灘で一三〇件、伊予灘で一三五件、宇和海で六四件の合計三二九件免許となった。
 以後二七年一月一八日燧灘四二件、同年三月一日宇和海五件、同年三月二六日一一件、同年四月一日伊予灘四一件、同年一〇月二八日燧灘一件、二八年九月一五日燧灘一二件、二九年六月八日伊予灘一件、同年一一月二四日二件の合計四四四件が昭和二九年末日までに免許された。

 燧灘

 第一種共同漁業は定着性の水産動物、貝類、そう類のうちそれぞれの地先に生息し、漁業上有用なものが内容となっている。このことは各海区とも共通のものである。
 第二種共同漁業としてはこの海区では小型定置網が魚島には特に多く、八重簀が新居浜・壬生川地区にみられる。
 第三種共同漁業には一般的な地曳網及び船曳網(無動力船に限る)以外につきいそが三島・小富士・蕪崎・魚島・波止浜地区などに免許となった。このほか、ちぬ飼付が魚島に、ぼら、ちぬ飼付が大三島・岡山地区などへ免許せられた。
 第四種共同漁業としてはぼら、すずき、このしろなどの寄魚漁業が新居浜・今治・関前・魚島などに免許され、特に魚島は件数が多かった。鳥付こぎ釣漁業もこの部類に入り、小部・渦浦・関前・弓削・岩城・伯方などの各地区に免許された。

 伊予灘

 第一種共同漁業については前述したとおり定着性の魚介藻類を対象として各地区でそれぞれ免許された。
 第二種共同漁業にはこの海域ではいかなご袋待網が、高浜・北条・鷲ヶ巣・安居島・興居島・東中島・神浦・西中島・元怒和・津和地などの各漁業協同組合に免許された。またぼら敷網が郡中・北山崎・上灘などへ、あじさば敷網が、出海・櫛生・磯津・有寿来・町見・三机・大江志津小島・足成などの各漁業協同組合に免許になった。
 第三種共同漁業としては地曳網及び船曳網(無動力船に限る)はすべての組合に免許されたほか、これ以外にたい地漕網が沖浦、櫛生地区に多く、それ以外にも今坊・長浜・出海・青島地区の各漁業協同組合に免許された。またこの海域にはつきいその漁業権が非常に多く、特に野忽那・下灘・青島・安居島その他温泉郡の島しょ部及び風早・今坊・長浜・沖浦・櫛生その他陸地部に免許された。さらにぶり、はまちの飼付漁業が三崎・佐田岬・正野・四ッ浜などの漁業協同組合へ漁業権として免許された。
 第四種共同漁業としては出海・浅海地区にぼら寄魚漁業が、また西中島・野忽那・津和地・二神などをはじめとして、青島・安居島・上怒和・元怒和などへ鳥付こぎ釣漁業が免許された。

 宇和海

 第一種共同漁業は他海区同様定着性の水産動植物が対象となりすべての組合に免許されている。
 第二種共同漁業は、あじさば敷網漁業が最も多く、伊方・真穴・穴井・蒋渕・下波・西海・東外海・奥南・柏崎などの各漁業協同組合に免許された。このほかにはあじさば建網が川之石・吉田・宇和島・九島・遊子などへ、磯建網が奥南へ、ぼらちぬを対象とした張切網が伊方・三瓶へ、たい・あじ・かれいなどを目的とした小型定置網が奥南へそれぞれ免許された。

 昭和五四年の共同漁業権

 免許期間一〇年ということで免許が事実上更新の形で継続されてきたが昭和五四年四月一日現在の共同漁業権は資料編第三節35・36・37に示したとおりである。すなわち、燧灘が二一一件(昭和二六年から二九年までは一九八件)伊予灘一六七件(同一七七件)宇和海五九件(同六九件)の合計四三七件(同四四四件)であり、燧灘が若干増加した反面、伊予灘と宇和海が減っているが県全体でみるとおおむね以前と変わらない件数である。

  3 区画漁業権

 昭和二六年の区画漁業権 

 新漁業法施行後の本県の区画漁業権は最初昭和二六年一〇月一日に燧灘で四件、宇和海で三〇件の合計三四件が免許となった。
 以後二七年一月一八日燧灘一六件、同年三月一日宇和海八件、同年三月二六日燧灘一件、同年一〇月二八日燧灘一三件、同年一二月九日宇和海二件、二八年四月七日宇和海二件、同年九月一五日燧灘一七件、二九年六月二九日宇和海一三件、同年一〇月八日宇和海三件の合計一〇九件が昭和二九年末までに免許された。

 燧灘

 養殖種類別にみると、第一種かき養殖業は越智郡島しょ部を中心に一三件、のり養殖業が新居浜市、西条市、周桑郡などに二一件、かき、のり養殖業が一の宮に一件、真珠養殖が大浜に一件、第一種・第三種のり、あさり養殖が多喜浜に一件、第三種あさり及びはまぐり養殖が西条市・新居浜市、周桑郡で一三件、じょろがい生名村で一件の合計五一件がいずれも漁業協同組合に免許された。

 宇和海

 この地区は第一種のみの免許で、かき養殖業が三浦・宇和島・吉田・北灘・御荘・下灘の各地区に対し一五件、真珠養殖が宇和島・御荘地区を中心として、八幡浜・三瓶・南内海・東海・三浦などの各地区に四〇件、のり養殖が吉田・宇和島地区に三件の合計五八件が免許された。漁業権のうちかき・のりについては漁業協同組合に免許され、真珠については養殖業者の単有又は共有一四件、漁業協同組合の単有一三件、漁業協同組合と養殖業者の共有一三件の合計四〇件となっておりほとんど真珠養殖専門業者が何らかの形で権利者となっているが、これは真珠養殖業が固有の技術を必要とすることなど特別な業態であることにも起因している。

 昭和五四年の区画・特定区画漁業権

 昭和五四年四月一日現在の区画漁業権並びに特定区画漁業権の状況は資料編第三節38・39・40・41・42・43に示したとおりである。昭和二六年当時と比較して宇和海における真珠・真珠母貝・ハマチ養殖などの区画・特定区画漁業権の増加が著しい。

表2-11 新漁業法に基く漁業権免許状況総括表

表2-11 新漁業法に基く漁業権免許状況総括表


表2-12 海域別共同漁業権種類別件数

表2-12 海域別共同漁業権種類別件数


図2-9 小部漁業協同組合

図2-9 小部漁業協同組合


図2-10 内海漁業協同組合

図2-10 内海漁業協同組合


表2-13 年次別漁業権免許件数

表2-13 年次別漁業権免許件数