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愛媛県史 社会経済2 農林水産(昭和60年3月31日発行)

一 鉱工業の発達と都市化の伸展


 経済成長と漁場環境

 太平洋戦争後におけるわが国の経済は奇跡的ともいえる伸長を示し、鉱工業生産は昭和二五年にはほぼ戦前の水準にまで回復し、その後の生産は急速に増加した。
 表8-1、表8-2にそれぞれ全国と愛媛県の主な製造業の生産額推移を掲げたが、本県では昭和二六年と昭和五六年とを比べると約四三倍に増加したが、これを産業部門別にみると石油及び石炭製品・化学・紙パルプ・第一次金属・機械・電気機械などの伸びが特に大きい。本県の工業化都市化は立地条件に恵まれた瀬戸内海沿岸を中心として伊予三島・川之江のパルプ工業、新居浜・西条及び東予各市の化学・非鉄金属工業が、まだ今治の染色・繊維工業や、松山・松前の石油・繊維・化学工業などを中心に伸展してきたが、特に昭和三〇年以降の高度経済成長期に急伸したことが注目される。わが国の企業は先進工業国に追いつくため、製造業関係の設備投資が急拡大したが、生産部門のみに注力し非生産部門である排水処理部門の整備は非常に立ち遅れてしまったのである。一方では生活水準の向上と都市への人口集中によりいわゆる都市化が伸展し、これに伴って都市下水が問題となってきた。下水道の整備は全国的にも他国よりきわめて遅れているのみならず、これを最終的に浄化するための終末処理場施設にいたってはさらに遅れたものとなっていた。このため昭和四七年度までは、し尿の海洋投棄が行なわれ社会的な問題となった。
 これら工場排水・都市下水・し尿海洋投棄などに加え、生活水準の高度化に伴い使い捨ての思想が高まり、年々家庭からのビニール・空カン・ビン類等の一般廃棄物の河川・海岸への投棄がゴミ公害を招来したほか、合成洗剤・肥料・家畜のふん尿等の流入は海域の富栄養化を促進し赤潮を多発させる原因となった。
 また工業立地に伴う浅海漁場の埋立と藻場の喪失や、工場への原材料・製品輸送のための海上交通の複そうが一段と激しくなり、これら航行船舶からの廃油の海洋投棄・タンカーの座礁・衝突事故による大量の油流出によって漁業資源並びに魚介藻類の生態系にも影響を及ぼした。
 さらに昭和四〇年代後半には、人の健康に係る因子としてシアン・水銀・カドミウム・クロム・ヒ素・PCBなどによる汚染が大きい問題となったが、幸いにして本県では特に問題となるものはみられなかった。

表8-1 全国製造品出荷額の推移(12月末日現在)

表8-1 全国製造品出荷額の推移(12月末日現在)


表8-2 愛媛県製造品出荷額の推移(12月末日現在)

表8-2 愛媛県製造品出荷額の推移(12月末日現在)


表8-3 愛媛県海域における主なタンカー座礁衝突による油流出事故

表8-3 愛媛県海域における主なタンカー座礁衝突による油流出事故