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愛媛県史 社会経済2 農林水産(昭和60年3月31日発行)

一 沿革


 明治三二年八月府県水産試験場規程及び府県水産講習所規程が公布されたことにより、各県では相次いで水産試験場が設立されるようになった。

 県水産試験場

 明治三三年四月一日初めて県庁内(松山)に漁労・製造・養殖の三部を置き、各種の試験調査を行ないその成績を発表して漁業者の啓発にあたるとともに、事業経営に対しては講習講話を開催してその指導にあたってきた。明治三九年六月北宇和郡宇和島町生産場に移転、さらに大正六年八月宇和島市樺崎、昭和一四年三月同市明倫町、昭和三七年一二月同市坂下津へと順次移転し、敷地面積の拡張と施設内容の充実が図られた。しかしながら同地の人口増加や、経済成長の伸展に伴って都市化が進み、この結果として必然的に周辺海域の水質が悪化したことと敷地が手狭なため、時代の要請に応える試験研究が充分実施できなくなったため、これらの諸問題を解決し、新時代に即応し得る近代的な試験場の設置場所として宇和島市下波に移転し現在に至っている。

 水産試験場東予分場

 大正四年五月新居郡役所内に初めて設置せられ、翌五年四月西條町明屋敷に、さらに昭和一八年五月西條市朔日市へと順次移転し主として浅海増養殖面の試験研究を行なうとともに、その成果に基づき東予地区の漁業者を中心にその技術と経営両面にわたって指導に努めてきた。しかしながら昭和三〇年代以降の工業化、都市化が急進したこともあり良質な試験用水の確保が困難になったことに加え、敷地も狭隘なため、県民の負託に応え得る試験体制がとれなくたったため、昭和五〇年五月東予市河原津に移転し今日に至っている。