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愛媛県史 社会経済2 農林水産(昭和60年3月31日発行)

五 未懇地買収の苦心


 開放の障害

 未墾地買収の急速な進展に刺激された山林所有者の反対気運は、昭和二三年ころからいよいよ激しく、当時、たまたま新聞紙上その他で、総司令部係官の『森林は開放せず』、『森林は農地改革の対象とならず』と報道された言葉(その真意は、実は農地改革的な森林改革は行なわないということにあった。)と絡み、未墾地開放に事実上、大きな障害となる恐れがあった。これに対しては、「総司令部覚書」の趣旨を徹底するのは勿論、適地調査に万全を期して「適地が全然買収されようとしていないものもある」事態を防止する必要から、農林事務次官通達(昭二四・一・一八 開拓適地選定の基準に関する件)が出される一幕もあった。
 山林所有者にとって、農地改革によって開墾可能地が、あのように急速かつ広範に行なわれようとは全く寝耳に水の出来事であったと推察される。小作農地の開放については、ある程度の諦めを持っていたが、唯一の財産保全の道と考えていた山林(未墾地)が、開墾可能地である限り、強制的に政府買収の対象となることから、農地改革に対する不満は、あげて未墾地買収に集中し、各種の理由をもって、開拓反対の声が聞かれた。
 このことは、買収される側からみれば、至極当然のことであったとも考えられる。
 県開拓課の買収関係担当職員(担当係長 長井義明氏)は、国補の未墾地定員四五人で対処していたが、軍政部へは、毎月、買収進捗状況報告を迫られ、成績不振の月は、厳しい督促を受け、一方、地主からは前述のとおり反対活動があり、腹背からの圧力に進退きわまった感があった。そこで農林省当局も遂には、地方職員の身分上の問題を案じ通達を発した程で、当時の緊迫した模様がうかがわれる。
 地主側は、国会に対しても、開拓政策反対請願を相次いで行ない、昭和二三年二月には、参議院で愛媛県森林組合連合会・愛媛県治水協会・愛媛県林政調査会連盟の反対請願が採択になり、農林大臣にその調査方を委嘱し、全国の森林関係者、開拓関係者の注目をひく問題に発展した。
 その他未墾地買収に伴う土地所有者の反撃は、無数にあった。法的にも異議の申し立てとなり、訴願となって現れた。